山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。
    --:-- | Top  このエントリーをはてなブックマークに追加

このブログについて

このブログは、私設司書の山野こうたがつづるものです。
書評(軍事SFその他)と日々の記録のほか、歴史軍事水産資源など興味を持ったことについての記事を書き、以下のような連載読み物も公開しています。モットーは「鳥無き里の蝙蝠」。

スペイン内戦と海軍(本編29回+参考文献+年表)
  大戦前夜に無敵艦隊の末裔と欧州列強海軍が描いた、航跡図の切れ端。

リーフ共和国興亡(全14回)
  1920年代スペイン領モロッコで繰り広げられた独立闘争「リーフ戦争」。
  アルセマス上陸作戦は、米海兵隊も参考にした両用作戦である。

帝国の守護者(本編11回+外伝3回)
  落日のポルトガル海上帝国を護った砲艦列伝。
  外伝はポルトガル領東ティモールに関わったオランダ海防戦艦について。

回転翼の海鳥たち(全20回)
  回転翼機が甲板上に地位を占めるまでの、意外に知られざる進化史。

ノモンハン捕虜の運命(序+本編9回)
  あの日本軍が多くの捕虜を出したノモンハン事件。捕虜の人数、辿った運命は。

鋼棺戦史(こうかんせんし)(連載中)
  決して強力とはいいがたい鋼鉄の棺桶に乗った日本軍戦車兵の戦歴。

ひろゆき講演会記録(全4回)
  2ちゃんねる管理人西村氏が、一橋大学の文化祭で行った講演の聴講録。

空母艦爆隊―艦爆搭乗員死闘の記録

山川新作「空母艦爆隊―艦爆搭乗員死闘の記録」
            (光人社NF文庫、1994年)
空母艦爆隊―艦爆搭乗員死闘の記録 (光人社NF文庫)総合評価:★★★☆☆
 太平洋戦争の主役として戦った日本海軍機動部隊。その艦爆搭乗員として、日中戦争での敵陣爆撃に初陣を飾り、真珠湾攻撃から南太平洋海戦、レイテまで数々の戦闘に参加した下士官パイロットの個人戦記。激しい消耗戦で同僚たちが倒れる中、弾幕を潜りぬけて急降下爆撃一筋、北はアリューシャンから南はガダルカナルまで戦い抜いた第48期操縦練習生の戦歴を振り返る。(画像は新装版)

ガダルカナルを生き抜いた兵士たち

土井全二郎「ガダルカナルを生き抜いた兵士たち―日本軍が初めて知った対米戦の最前線」
                  (光人社NF文庫、2009年)
ガダルカナルを生き抜いた兵士たち―日本軍が初めて知った対米戦の最前線 (光人社NF文庫)総合評価:★★★★☆
 太平洋戦争の名高い激戦地ガダルカナル島。そこには、ソロモン海戦、一木支隊の全滅、ヘンダーソン飛行場砲撃、奇跡の撤退作戦と良く知られたエピソードの陰で、苦しみ生き抜いた兵士たちの戦闘があった。果敢に戦った建設部隊、飢島の果ての人肉食、撤退援護の捨て石部隊、そして取り残された兵士たち。重い口を開いた生存者の声を集め、地獄の戦場ガダルカナルの、さらに最奥の深淵を垣間見る。

勤労感謝の日に、最近まじめに働いていないことを詫びる話

このところ何かと用事が多く、ブログの記事を書かないで放置しておりました。
1か月以上放置してしまった結果、ブログの最上部に広告記事が入ってしまうのは知っていたのですが、
コメント欄に頂いたコメントも、承認手続きをしないと表示されない状態に切り替わってしまっていたようです。
普段は、承認不要で自動的に表示される設定にしてあったため、このような不都合があることには気づきませんでした。

せっかく貴重なコメントを頂戴しながら、放置してしまった方には、大変ご迷惑をおかけしました。
決して頂いたコメント内容に問題があったというわけではなく、
私のあまりの無精ゆえに承認待ちのままという状態になっていただけであります。
本当に申し訳ありません。

どうかお見限りにならないで、今後ともお付き合いいただければ幸いと存じ上げます。

サイパン特派員の見た玉砕の島

高橋義樹「サイパン特派員の見た玉砕の島」
                 (光人社NF文庫、2008年)
サイパン特派員の見た玉砕の島―米軍上陸前のマリアナ諸島の実態 (光人社NF文庫)
総合評価:★★★☆☆
 太平洋戦争後期、絶対国防圏と称された決戦地帯マリアナ諸島。しかし、その防備の実態はお寒いものであった。
 著者は、同盟通信社の特派員である従軍記者として、決戦前夜のマリアナ諸島を訪れる。そこで目にしたのは、日露戦争時代の旧式砲や、最前線とは思えないのんびりとした警備隊の将兵であった。期待の新型爆撃機隊が到着したと聞いて撮影に行くと、すぐに別地点に移動して消耗し、ほんの十数機にやせ細ってしまう。
 大丈夫かと不安のうちに、敵機動部隊襲来、輸送船団出現と事態はたちまち緊迫。従軍記者の著者は、輸送任務の潜水艦に便乗して戦場を脱出しようと企てるのだが……。
 堀川潭名義の「あ号作戦」(図書出版社、1978年)改題。

ある731部隊関係者らしき人物の海没戦死

 ネット上のとある海軍予備士官の従軍記を読んでいたところ、少し気になるエピソードに出くわしました。
 「わがトラック島戦記」というその従軍記の著者は、海軍予備学生第3期の予備士官(最終階級はポツダム昇進で大尉)で、館山砲術学校の対空専修を経てトラック島の第46防空隊付になった方です。編制改編に伴い、第41警備隊付から第46警備隊付と所属が変わったそうですが、実質は変わらずトラックの春島で対空戦闘に従事されていました。
 問題の記述は、トラック島への移動過程が書かれた第2章「トラック島へ赴任」の中にあります。館砲を卒業した著者は、「第2長安丸」という特設運送船に乗船して1944年4月12日に横浜から出航、サイパン島とグアム島を経由してトラック島へ向かうのですが、そこで次に引用する奇妙な陸軍軍医が登場するのです。

 「第二長安丸の士官室の便乗者は、館山砲術学校同期のH、W、私(以上トラック島行き)、N、O(ポナペ島行き)と陸軍軍医少尉(どこかの島の鼠の調査とか)の6名で、指揮官、船長、1等航海士らと食事を共にした。」(太字は引用者強調)

 米軍のサイパン上陸を2カ月後に控えたこの時期に、わざわざ野生動物の調査のために南方に向かう軍医とは、いったい何者でしょうか。

 私は、この軍医少尉の正体は、満州第731部隊こと関東軍防疫給水部本部に関係する細菌戦要員だったのではないかと考えます。
 731部隊に代表される日本陸軍の生物戦組織については、これまでの研究で、サイパン島などのマリアナ諸島においてペスト菌の散布を計画していたことが判明しています。島を疫病で汚染して、米軍による航空基地としての利用を妨害しようという意図であったようです。当時においても細菌兵器の実戦使用は国際法違反でしたから、この作戦は陸軍参謀本部の関与の下で極秘裏に進められていたと推測されています。
 このマリアナ諸島での細菌作戦準備のため、731部隊などから十数人の軍医・研究員らが集められて、中部太平洋方面へ海路派遣されたのですが、実はこのうち岩崎光三郎軍医大尉(当時)指揮する3人が「わがトラック島戦記」の著者と同じ松5号船団加入船の「第18御影丸」(トラック島行き)に乗船していたのです。当時の海上移動は危険になっていましたから、敵襲による被害極限のため分散乗船することは十分に考えられます。
 そして、マリアナで生物兵器としての使用が予定されたペスト菌は、ネズミとノミによって媒介される病原体です。731部隊でもペスト感染させたネズミにより蔓延させる方式が検討されており、ネズミは不可欠な作戦資材でした。
 問題の軍医少尉は、このペスト作戦用ネズミの現地調達の可能性や、野生ネズミへの伝染がどの程度期待できるかなどを調査するため、派遣されたのではないでしょうか。悠長な生物学調査ではなく、米軍上陸後に備えた特殊任務であったとするなら、こんな時期にネズミの調査に赴くのも納得できます。研究者の秦郁彦によれば、マリアナ作戦用の派遣要員にネズミ飼育担当の軍属が含まれていることから、作戦資材のネズミも携行していたのではないかといいます。しかし、ネズミの大量輸送は共食いなどのおそれから難しく、現地調達の可能性を探るためのネズミ調査が並行して行われたとしても、不自然ではありません。
 ただ、後述のようにほぼ同時戦死となる731部隊岩崎軍医らに対しては異例の参謀本部葬が行われるのですが、その際に謎の軍医少尉に該当する人物は祭神となっていないことが気にかかります。同じ任務であれば、一緒に葬儀が行われてもおかしくないと思われますが、指揮系統上で参謀本部直轄要員ではなかったとすれば一応説明はつきます。

 そもそも予備的調査段階だったのか、あるいは実行寸前だったのか不明ですが、結果としてマリアナ諸島での細菌兵器実戦使用は無かったようです。「わがトラック島戦記」の著者や軍医少尉が乗船していた「第2長安丸」と、岩崎軍医ら乗船の「第18御影丸」は、ともにグアム島を出港後の5月10日未明、米潜水艦「シルバーサイズSilversides」に相次いで雷撃されて撃沈されてしまいました。謎の軍医少尉はこの戦闘で戦死し、「第18御影丸」の岩崎一行も全滅しています。731部隊要員の中にはサイパン島に上陸したグループもあるようですが、同地の玉砕戦に巻き込まれ、生存者は全くないといいます。
 秦郁彦は、仮にペスト菌を実戦投入すれば日本軍の方が被害を受ける結果になったのではないかと推測し、使用が無かったのは幸いであると評価しています。私も、大きな被害を受けるのは衛生装備不十分な日本軍の方で、しかも推定2万人の日系民間人や多数の現地人が居住していたこと、万一露見すれば米軍による報復を誘発しただろうことを考えると、実戦に至らずに済んで本当に良かったと思います。

参考文献
自由平の書棚」より「わがトラック島戦記
秦郁彦「昭和史の謎を追う〈上〉」(文春文庫、1999年)より「日本の細菌戦」
プロフィール

山野こうた

Author:山野こうた
旧称:山猫男爵
年齢:29歳
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
連絡したいことがある方は、記事のコメント欄か、サイドバー下方のメールフォーム、あるいはツイッターから、お気軽にどうぞ。
Twitter:baron_yamaneko

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
参加企画
にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ
にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
リンク
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール(不要ならそのまま):
件名:
本文: