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山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

スペイン内戦と海軍(第9回)

4.海軍航空隊と海軍歩兵について
 スペイン海軍には、艦隊以外に航空隊と海軍歩兵が存在していました。実力としては、艦隊以上に小規模なものではあったのですが。

(1)海軍航空隊
 当時のスペイン海軍は、すでに退役していた水上機母艦「デダロ」以外には、航空機運用可能な艦船を保有していませんでした。(重巡「カナリアス」級が、計画では搭載するはずであったようです。また、軽巡「セルベラ」「セルバンテス」は、内戦後の改装で水上機を搭載しています。)
 しかし、水上機を中心に、12個飛行隊およそ100機の独自の基地航空兵力を持っていました。水上機は、サヴォイアS.62爆撃飛行艇31機、マッキ M.18汎用飛行艇14機、ドルニエ「ヴァール(ワール)Wal」哨戒・輸送飛行艇13機。陸上機は、ヴィッカース「ヴィルデビーストVildebeest」雷撃機 27機(うち水上機型2機)、マーチンサイドF.4「バザードBuzzard」戦闘機9機といった辺りが一応の実用機でした。変わったところでは、スペインの誇るシエルバ系のオートジャイロもC.19やC.30など数機を保有しており、水上機母艦「デダロ」で運用試験がされたこともありました。
spanish_vildebeest ただ旧式化した機材も多く、F.4戦闘機などは、ほぼ練習機扱いだったようです。1928年初飛行のヴィルデビースト雷撃機が、精一杯の新型機でした。
 ヴィルデビーストのうち26機など、かなりの機体はライセンス生産したもので、一部はエンジン換装等が行われていました。例えば、ヴィルデビーストは、本来のブリストル空冷エンジンを、イスパノスイザ製の液冷に換装しています(左画像参照)。

 内戦時には、S.62が5機だけ反乱に加わった以外、共和政府に忠実だったようです。これは、スペイン空軍が政府に忠実だったのと同様です。もっとも、大勢に影響を与えるだけの力は無かったのですが。すぐに戦力を消耗し、1937年には空軍に吸収されてしまったようです。ちなみに国粋派空軍のトップエースとなるガルシア・モラトGarcia Morato大佐の初撃墜は、共和派海軍のヴィルデビースト雷撃機でした(1936年8月12日)。
 一方の反乱軍側の海軍航空隊は、独伊から援助を受けて戦力を充実させています。ヴァール、S.62、マッキM.41戦闘飛行艇など各60機ほどを供与されたようです。この他、コンドル軍団などにも水上機部隊があり、艦船攻撃に活躍しました。
 なお、機体の一覧画像は、こちら「Spanish Civil War aircraft」で見ることができます。このサイトを見ると、あまりの使用機種の多さに、びっくりするやもと思います。

<内戦勃発時の配置(推定)>
マオン:S.62×5
バルセロナ:ヴァール×1、ヴィルデビースト×1、S.62×3、M.18×14(一部整備中)
サグント:ヴァール×5、S.62×18、ヴィルデビースト×26、F.4×9
カディス:ヴァール×7(整備中。おそらく国粋派により捕獲)
モロッコ:S.62×5(造反)
その他:若干


(2)海軍歩兵Infantería de Marina
infantaria_de_marina.jpg いわゆる海兵隊です。直訳すると海軍歩兵となります。1537年に起源のある由緒正しい部隊です。
 もともとは接舷切り込みを主要任務としていたのですが、第一次世界大戦でのガリポリ作戦や、リーフ戦争と呼ばれるモロッコ出兵の戦訓から、上陸作戦部隊としての任務が重要視されるようになったようです。画像は、着岸したXライター(イギリスの第一次世界大戦型上陸用舟艇)から上陸する海軍歩兵隊の写真。

 内戦開始時にはマドリードに司令部があり、エル・フェロルとカルタヘナに連隊規模の部隊が、カディスには大隊があったようです。それぞれ一部は各基地所属の艦艇に配属されていたのではないかと思います。重巡「バレアレス」沈没時の戦死者に、海軍歩兵が混じっています。
 このうち、エル・フェロルとカディスの部隊は国粋派の反乱に加わり、序盤の艦船接収に活躍しています。また、内戦末期のコルンブレテス諸島占領も行っています。
 カルタヘナの部隊は、共和派についたようです。(第10回に続く

スペイン内戦と海軍(第10回)

5.主要軍港

 当時のスペイン海軍が主要基地をおいていたのは、エル・フェロルel Ferrol、カルタヘナCartagena(右画像)、カディスCádiz、マオンMahón(バレアレス諸島メノルカMenorca島。マヨネーズの語源)、ビゴVigoです。
GCE_SD_BNCartagena.jpg このうち、エル・フェロルには、大型の乾ドックがありました。カルタヘナとマオンにも乾ドックはありましたが、中小型艦用のものでした。カディスも中型艦までの整備能力があったようです。バレンシアValenciaやビルバオBilbaoでも、メキシコ向けのスループの建造が行われているので、軍艦の整備能力があるかもしれません。
 艦隊は、その主力がエル・フェロルに駐留し、内戦勃発時にはうち半数は整備中。駆逐艦部隊は、カルタヘナに集中。その他の小型艦艇は、各地の警備部隊などに分散配備されていました。この当初の配置が、共和派と国粋派のいずれの陣営に属するかを、大きく左右することになります。
 このほか、マラガMálagaやバレアレス諸島マリョルカ島パルマPalma、ヒホンGijón、スペイン領モロッコのセウタCeutaなどの港も、内戦中に海軍の拠点となっています。(第11回へつづく
spain_map1.png

スペイン内戦と海軍(第11回)

6.海軍の人材

 陸軍の場合と異なり、海軍士官は、内戦勃発後に直ちに国粋派軍に加わることは、割合少なかったようです。これは、反乱の謀議が陸軍主導であったため、計画を十分に知らなかったのかもしれません。
 そして、反乱発生を知った共和派の海軍士官がラジオにより水兵に呼びかけたため、士官のうちの多くが行動前に拘束され、最終的には処刑されました。海軍補給総監ブルーノ・アロンソによると、8月までの10日間に、艦隊配置士官の70%が処刑されたと言います。かろうじて生き残った士官のほとんどは、国粋派に身を投じました。
 結果として、共和派が確保した海軍士官は、将官almirante2人(19人中)、大佐capitán de navío2人(31人中)、中佐capitanes de fragata7人(65人中)、少佐capitanes de corbeta13人(128人中)に留まりました。共和派海軍は、深刻な人材不足に苦しむこととなります。共和派の艦隊司令長官は、正式階級では少佐の人物でした。
 共和派海軍の艦艇の多くは、各艦ごとの委員会が実権を握り、動かしていきます。艦長といえど、委員会に逆らうことはできませんでした。国際法上の軍艦資格を得るために、軟禁状態の士官を乗艦させるケースすらあったようです。
 共和派の軍紀はかなり乱れていたようで、内戦初期に軽巡「セルバンテス」と交渉したイギリス海軍士官は、まるで海賊のような服装だったと書き残しています。なお、この英軍士官は、士官室の壁に銃痕と血痕が残っていたのも目撃したそうです。


<共和派海軍の主要人物>

ミゲル・ブイサMiguel Buiza:海軍少佐(実質的な扱いは中将)
 初代共和派海軍艦隊司令長官。輸送作戦の失敗から、1937年10月に解任。海軍省で人材養成に苦心。1939年1月、長官に復帰。

ゴンザレス・デ・ウビエタLuis González de Ubieta:海軍少佐(同上)
 ブイサの後を襲い、司令長官に就任。パロス岬沖夜戦の英雄。ブルーノ・アロンソやソ連顧問団との仲が悪く、メノルカ島守備隊に左遷。メノルカ開城後、渡仏。

ブルーノ・アロンソBruno Alonso:政治家?
 共和派海軍の補給総監に就任。人事裁量を握る。

インダレシオ・プリエトIndalecio Prieto:政治家
 共和派政府の海空軍大臣。
 バスク地方出身の社会党系政治家だが、バスクの独立運動とは距離を置く。
 戦略立案に大きな影響力を有した。内戦末期、敗北主義者とされ更迭。

ニコライ・クズネツォフ(Nikolai Kuznetsov):ソ連海軍大佐
 駐在武官として派遣され、軍事顧問に当たる。後、ソ連海軍最高司令官。



<国粋派海軍の主要人物>

モレノ・フェルナンデスFrancisco Moreno Fernandez:海軍大佐(内戦中に少将経て中将)
 国粋派海軍の艦隊司令長官として活躍。内戦後半は海軍総司令官。戦後も海軍要職に。

マヌエル・デ・ビエルナManuel de Vierna Belando:海軍大佐(内戦中に少将)
 モレノの後任として、国粋派艦隊の前線指揮を執るが、パロス岬沖夜戦で戦死。

カレロ・ブランコCarrero Blanco:海軍大佐
 戦死したビエルナの後任として、前線の艦隊を指揮。戦後は、フランコ総統の懐刀として国家戦略に携わる。首相に就任し、フランコの事実上の後継者と目されるが、バスク独立派のテロで暗殺。

フアン・セルベラJuan Cervera:海軍少将(後、大将)
 国粋派海軍の軍政を担当。米西戦争のセルベラ少将の甥にあたる。

第12回へつづく

スペイン内戦と海軍(年表)

<1936年>
2月 スペイン共和国で、アサーニャ人民戦線政権成立。
7月18日 陸軍右派クーデターも政権掌握失敗。本格内戦突入。
   20日 国粋派がエル・フェロルなど本土北部を制圧。在泊艦艇を捕獲
      共和派艦隊、ジブラルタル海峡を封鎖。
   29日 在モロッコ植民地の国粋派軍、本土へ空輸開始。
8月 5日 国粋派の輸送船団「勝利の船団」が本土上陸成功
   7日 第1次マドリード攻防戦。モラ将軍「一週間で占領」宣言も敗北。
   8日 フランス、不干渉へ方針転換。
   9日 共和派がバレアレス諸島上陸作戦を開始。(9月3日撤退)
9月 9日 非干渉委員会の開始。
  21日 共和派艦隊主力、ビスケー湾へ進出
  29日 エスパルテル岬沖海戦。国粋派がジブラルタル海峡の制海権を掌握。
10月1日 フランコ将軍、国粋派プルゴス政権樹立。
      ソ連援助船の第一陣、黒海発
10月7日 共和派陣営のバスク地方政府成立。
 中旬 第2次マドリード攻防戦。モラ将軍「第五列」発言。
     国際旅団が本格参戦。マドリード初空襲(29日)(11月末に包囲移行)
11月6日 共和政府、マドリードからバレンシアへ遷都。
  15日 コンドル軍団、初作戦。
  18日 独伊エルサルバドル、フランコ政権を承認。
  22日 伊潜水艦「トリチェリ」、共和派の軽巡「セルバンテス」を撃破。
12月12日 国粋派重巡「カナリアス」が、ソ連援助船「コムソモール」を撃沈
      独潜水艦「U34」、共和派潜水艦「C3」を撃沈。
  23日 バスク特設砲艦が、独援助船「パロス」を拿捕。(翌年1月、独艦隊報復)

<1937年>
1月28日 非干渉委員会、海上査察を決定。(4月末までに完全実施)
2月 7日 国粋派がマラガを占領
3月 5日 マチチャコ岬沖海戦。国粋派重巡「カナリアス」、バスク護送船団を撃滅。
   8日 第3次マドリード攻防戦。伊義勇軍、グアダラハラの戦いで敗北。
4月26日 ゲルニカ空襲。
  30日 国粋派戦艦「エスパーニャ」、触雷沈没。
5月 3日 五月事件。バルセロナで共和派が大規模な内紛。(5月8日まで市街戦)
  21日 共和派戦艦「ハイメ1世」、空襲で大破。(6月17日、修理中に爆沈)
  29日 独装甲艦「ドイッチュラント」、共和派航空機により誤爆。(31日、独艦隊報復)
6月初旬 (ソ連、赤軍大粛清始まる)
   3日 モラ将軍、航空機事故(?)で死亡。
  19日 国粋派がビルバオ占領。バスク政府亡命。
  月末 独伊、海上査察から離脱を表明。
7月 6日 共和派の反撃、ブルネテの戦い開始。(26日までに共和派敗北)
8月初旬 フランコ将軍の要請により、伊軍は地中海の通商破壊を強化
  24日 共和派が、アラゴン攻勢を開始。(9月中旬までに敗退)
  26日 国粋派が、サンタンデル占領。
  27日 バチカンが、フランコ政権を承認。
9月 7日 シェルシェル岬沖海戦。国粋派重巡「バレアレス」が、護送船団を襲撃。
   9日 ニオン会議開始。(英仏の譲歩により、中旬に独伊、査察復帰。)
  23日 国粋派重巡「カナリアス」が、共和派の護送船団を拿捕。
10月21日 国粋派が、ヒホン占領。ビスケー湾の北部戦線消滅。
   25日 共和政府、バレンシアからバルセロナへ遷都。
11月 6日 (日独伊三国防共協定)
   11日 英国、フランコ政権に代表部派遣決定し、事実上の外交関係樹立。
12月 1日 日本、フランコ政権を承認。
   15日 共和派が、テルエル攻勢。(テルエル一時占領も翌年2月末撤退)

<1938年>
1月末 フランコ将軍、正式に政府樹立。
3月初旬 国粋派が、アラゴンで本格攻勢。地中海岸を目指す。
   5日 パロス岬沖海戦。共和派艦隊が、国粋派の重巡「バレアレス」を撃沈。
  13日 (ドイツ、オーストリアを併合)
  16日 バルセロナ連続空襲。石油施設破壊。(18日まで)
4月15日 国粋派が、ビナロス占領。地中海岸に到達し、共和派勢力を南北分断。
  16日 (英伊協定成立。将来的撤兵の代わり、エチオピア領有を承認)
  28日 ポルトガル、フランコ政権承認。
7月22日 共和派がエブロ渡河、反撃作戦開始
8月27日 共和派駆逐艦「ディエス」、ジブラルタル海峡突破を図るも撃破
9月30日 (英仏独伊、ミュンヘン協定調印)ソ連、援助打ち切り決定。
11月15日 エブロ川の戦いが共和派の敗北に終わる。国際旅団解散式。

<1939年>
1月26日 共和政府首都バルセロナ陥落。(2月10日までにカタルーニャ戦線消滅)
  27日 英仏、フランコ政権を承認。
3月 4日 共和派陸軍カサード大佐、クーデター実行。共産党系部隊と戦闘状態。
     カルタヘナで国粋派市民が蜂起、共和派艦隊脱出。(6日、仏領に抑留)
   6日 国粋派のカルタヘナ上陸作戦、要塞の反撃により失敗。
  26日 カサード大佐、国粋派への無条件降伏を受諾。
  28日 マドリード開城。(31日までに、全土制圧)
4月 1日 フランコ政権、内戦終結を宣言。
   9日 (イタリア、保護国アルバニアを併合)
9月 1日 (第二次世界大戦勃発

スペイン内戦と海軍(第12回)

7.海上作戦の経過
 (1)内戦の勃発と海軍


 1936年7月16日、アフリカ北部モロッコのスペイン植民地で、国粋派陸軍部隊の反乱が始まりました。
 これを知った共和政府は、現地の高等弁務官に対し艦隊による救援を約束して徹底抗戦を指示する一方、海軍部隊を出動させます。本土の艦隊の可動戦力のほとんどを、ジブラルタル海峡方面に展開させ、メリーリャMelillaなどのアフリカの反乱軍拠点の海上制圧と、本土への上陸阻止を図ろうとしました。この時点では、共和政府は、反乱がアフリカだけで計画されたものと誤解していたようです。モロッコのセウタ Ceuta駐留のスループ「ダト」には、捕獲を避けるべく緊急出港が命じられました。
 艦隊の素早い行動を見て、海峡本土側のマラガMálagaの国粋派は、蜂起をあきらめます。(このマラガは、共和派の海峡封鎖作戦の拠点になります。)

 ところが、7月18日に入ると、鎮圧に出動したはずの艦隊でも、士官が国粋派に同調する動きを見せます。メリーリャ砲撃に向かった「バルカイステギ」など駆逐艦3隻が国粋派陣営に加わろうとしますが、これは水兵の抵抗によって阻止されました。しかし、駆逐艦「チュルカ」は、国粋派の指令に従い植民地軍の本土移送を開始します。脱出命令を受けていたはずのスループ「ダト」も、命令を無視して国粋派に参加してしまいました。

Capitania_General_y_Arsenal-Militar_de_Ferrol.jpg この頃、本土各地でも、国粋派の陸軍部隊の反乱が広まっていました。
 18日中に軍港カディスCádizが国粋派の手に落ち、軽巡「レプブリカ」も捕獲されました。さっそく駆逐艦「チュルカ」が、植民地軍第一波の200人をカディスに揚陸。翌日には、スループ「ダト」が、第二波を上陸させています。
 19日には、軍港エル・フェロルel Ferrolの陸上施設も国粋派に制圧されてしまい、停泊中の残留艦隊とにらみ合いになります。(右画像は1970年代のエル・フェロル軍港。大改装後の重巡「カナリアス」が碇泊中)

 大西洋上の植民地カナリア諸島でも、駐屯司令官に左遷されていたフランコ将軍が、全島を制圧して18日に反乱参加を宣言。突撃隊の一部だけは、共和政府への忠誠を掲げて抵抗を試みましたが、国粋派スループ「カナレハス」に粉砕されています。

torpederorep14.jpg こうした事態に、首都マドリードMadridに居た共和派の海軍士官ベンハミン・バルボアBenjamin Balboaは、独断でラジオを使って直接に水兵への呼びかけを行い、徹底抗戦と士官の拘束を指示します。この指示を受けた各艦では、水兵による「革命」が発生。戦艦「ハイメ1世」など一部の艦では戦闘となりましたが、結局は共和派による指揮権奪取が成功します。一時は国粋派側に参加した「チュルカ」でも水兵が蜂起し、共和派が指揮権を奪還しました。(左画像は人民戦線式敬礼で気勢を上げる水雷艇「T14」の乗員達)
 洋上の共和派艦隊は、委員会による集団指導での「民主的」操縦の下、とりあえず国際自由港タンジールTangierへ集結します。

 一方、国粋派地上部隊に包囲されたエル・フェロルの各艦は、共和派水兵が革命には成功したものの、そのまま港内で包囲されたままの状況が続きました。もともと稼働状態に問題があって残留していたうえ、水兵の間でも必ずしも意見が一致せずに行動できなかったようです。巡視船「シャウエンXauen」のみが、マラガへの脱出に成功しました。(このほか、水雷艇「T3」が、付近の別の港にいて共和政府側に残っています。)
 陸上部隊と砲火を交えつつ抵抗を続けましたが、軽巡「セルベラ」で共和派の艦長が殺害され、同艦が投降したのを皮切りに、21日夕刻までには戦艦「エスパーニャ」、駆逐艦「ベラスコ」以下の全艦が国粋派に投降しました。拘束されていた士官は、すでに処刑された30名を除き救出され、革命に参加した水兵多数が処刑されました。
 このほか、建造中の重巡2隻と敷設艦4隻がドック内で捕獲されています。

 以後、エル・フェロルは、国粋派海軍の本拠地となっていきます。特に、その造船所は、共和派海軍の総合戦力向上に大きな役割をはたしていくことになります。(つづく
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
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