山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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スペイン内戦と海軍(第0回)

0.はじめに
 この連載記事は、私が、主にネット上の資料を参考にまとめたものです。
 裏付け不十分な部分が多い代物ですが、興味をもたれた方の手がかりの一つとなればと思います。

<目次>
0.はじめに
1.概要
 (1)スペイン内戦の概略 (2)スペイン海軍の状態
 (3)内戦におけるスペイン海軍の行動の概要
2.諸外国海軍の動向
3.内戦に参加したスペイン艦艇の一覧
 (1)戦艦・巡洋艦の部 (2)駆逐艦の部 (3)潜水艦の部
 (4)小艦艇・特務艦の部 (5)魚雷艇の部 (6)特設艦艇の部
4.海軍航空隊と海軍歩兵について
5.主要軍港
6.海軍の人材
7.海上作戦の経過
 (1)内戦の勃発と海軍 (2)海の上の「ノー・パサラン」 (3)バレアレス諸島攻防戦
 (4)ビスケー湾という選択 (5)エスパルテル岬沖海戦 (6)「Y」船の航海の始まり
 (7)ビルバオへの道 (8)ビスケー湾の戦いの終わり (9)戦艦の受難
 (10)「国籍不明」潜水艦とニオン会議 (11)姉妹の明暗 (12)パロス岬沖の凱歌
 (13)エブロ川の舞台裏にて (14)終わりと始まり
8.エピローグ
 (1)第二次世界大戦とスペイン海軍 (2)「エルカノ」の事情 (3)アルマーダよ永遠に
付.スペイン内戦年表

主要参考資料
<書籍>
ヒュー・トマス「スペイン市民戦争」(みすず書房,1963年)(書評記事へ
木俣滋郎「欧州海戦記」(光人社,2000年)より『スペイン重巡洋艦「バレアス」』
エドウィン・グレイ「ヒトラーの戦艦」(光人社,2002年)(書評記事へ
James W Cortada編「HISTORICAL DICTIONARY OF THE SPANISH CIVIL WAR」(1982年)
飯山幸伸「中立国の戦い」(光人社,2005年)(書評記事へ
岩波徹「スペイン内戦と列強」(「軍事史学」21巻3-4号,1985年)
イアン・パルマー「ドイツ海軍のEボート 1939‐1945」
  (オスプレイミリタリーシリーズ,大日本絵画社,2006年)
Robert Gardner「Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946」(1979年)
   同「1906-1921」(1980年)
狩野美智子「バスクとスペイン内戦」(彩流社,2003年)
三野正洋「スペイン戦争」(朝日ソノラマ文庫,1997年)(書評記事へ
「Soviet shipping in the Spanish Civil War」(Research Program on the U.S.S.R.より1954年)

<ウェブサイト>
陸奥屋」(日語)各国艦艇・軍用機解説。
La Armada Española」(西語)
  スペイン海軍全般についてのサイト。19世紀~現代の艦艇解説ほか。
El Arma Submarina Española」(西語)
  スペイン海軍潜水艦についてのサイト。全潜水艦の詳細な戦歴など。
Len's Naval Wargame Page」(英語)
  ボードゲームのページだが、自作シナリオ解説としてスペイン内戦の記述有。
Submarino C3 in Memoriam」(西語)独潜に撃沈された潜水艦「C3」についてのサイト。
The Naval Data Base」(日語)膨大なデータを収録した「近代世界艦船事典」。
Museo Naval Madrid」(西語)マドリード海軍博物館の公式サイト。
Vladimir N. Kuznetsov」(露語・英語)
  スペインに軍事顧問として赴任した、ソ連海軍クズネツォフ提督の回顧録。
Uboat.net」(英語)ドイツ潜水艦に関する高名なサイト。
Sociedad Benéfica de Historiadores Aficionados y Creadores」(西語)
  スペイン内戦についてのサイト。主に共和政府陣営。艦隊編成の変遷など。
LA GUERRA CIVIL ESPAÑOLA」(西語・英語)
  スペイン内戦に関するサイト。人物録など、様々な情報。
Warships of World War II」(英語ほか)第二次大戦期の各国艦艇データ。
Almanac Wars.History.Facts」(露語)軍事史サイト。内戦中の魚雷艇の解説など。
Generalísimo Francisco Franco」(西語)
  フランコ将軍についてのサイト。重巡「バレアレス」の解説有。
Naval History of World Wars」(英語)
  各国海軍のデータベース。艦艇、航空機、人物など。
Asturias Republicana」(西語)
  アストゥリアス地方についてのサイト。特設艦艇を含む、ビスケー湾方面での戦闘の詳細。
Aula Militar Bermúdez de Castro」(西語)
  バレンシア自治政府の関係団体が運営する歴史サイト。地中海戦線の詳細記録等。
Боевые корабли мира」(露語)
  英訳すると“The warships of the peace”マイナーな国を含む各国海軍研究サイト。
PRINZ EUGEN.com」(英語)
  ドイツ海軍について。内戦後スペインでのドイツ魚雷艇の情報など。
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スペイン市民戦争

 長々連載した「スペイン内戦と海軍」シリーズのきっかけとなった本を御紹介しておきたいと思います。


ヒュー・トマス「スペイン市民戦争」
 都築忠七訳(原題“THE SPANISH CIVIL WAR”)(みすず書房,1963年)

総合評価:★★★★★
 スペイン内戦を、政治・軍事・外交の様々な視点からまとめた歴史書。内戦に至った経緯から、その終結までを克明に描き出す。
 全2巻。注釈ごとの文献表示のほか、巻末に参考文献一覧、及び若干の統計付属。
 1962年度サマーセット・ムーアSomerset Maugham文学賞、受賞作。(画像は英語版)

スペイン内戦と海軍(第1回)

1.概要
(1)スペイン内戦の概略
 スペイン内戦(1936.7~1939.3)は、1936年2月に成立した人民戦線政府(以下「共和派」)と、これに対して反乱を起こした陸軍右派を中心とした反乱軍(以下「国粋派」)との間で行われた内戦です。
 国粋派は、エミリオ・モラEmilio Mola将軍とフランシスコ・フランコFrancisco Franco将軍ら陸軍右派のほか、ファシスト、王党派、教会などが核となっていました。これをドイツとイタリアのほか、隣国ポルトガルが支援していました。
 一方の共和派は、社会党や共産党のほか、無政府主義者、バスク独立派、カタルーニャ独立派などの諸派連合体でした。こちらは、ソ連とメキシコの支援を受けていました。フランスも当初は支援に動きましたが、不干渉政策に移行します。このほか、有名な義勇兵の国際旅団が加わっています。

 反乱は北アフリカのスペイン植民地で始まります。直後に本土の各地でも国粋派が蜂起。ビスケー湾岸のバスクVasco地方などを残し、北西部を支配します。
 次いで、国粋派の植民地駐留軍はアフリカから海を渡り、ジブラルタルGibraltar海峡西域に増援を送り込むことに成功します。本土に上陸した植民地軍は、ポルトガルとの国境沿いに北上、北西部の国粋派支配地域との連絡を果たします。
 さらに、国粋派はビスケー湾岸に残るバスク地方などを制圧した後に、中部で東へ侵攻して地中海沿岸にまで到達。共和派の支配地域を南北に分断してしまいます。分断成功後、エブロ Ebro川の防衛ラインを突破して北上した国粋派軍は、そのまま北東部カタルーニャを占領。残る南東部の共和派地域も、雪崩を打つように崩壊。1939年4月1日に、新政府首班に納まったフランコ将軍が内戦終結を宣言します。
 もう少し詳しい経過は、こちらの記事の年表をご覧下さい。


(2)スペイン海軍の状態
 当時のスペイン海軍には、かつて無敵艦隊と呼ばれた面影はありませんでした。内戦勃発時のスペイン海軍の主要戦闘艦は、戦艦2隻・軽巡5隻・駆逐艦15隻・潜水艦12隻・スループ5隻・水雷艇13隻。このほか、建造過程で内戦中に完成したものに、重巡2隻・駆逐艦2隻・敷設艦4隻・スループ1隻がありました。
 2隻の世界最小のド級戦艦を中心にした一応のバランスの取れた編制でしたが、かなりの旧式艦も含んでいました。整備状態も練度も不良であったようです。しばしば座礁事故などを起こしています。世界ランキングでいうと、米英日仏伊の5大海軍国から遠く離れ、ドイツ、ソ連、アルゼンチンなどと6位争いというところになります。
重巡洋艦カナリアスの進水式 保有艦艇の多くは、かつてのライバル、イギリス海軍の模造品です。例えば新鋭の巡洋艦は、いずれも英アームストロング社の造船官フィリップス・ワッツSir Philips Wattsが設計したものでした。フィリップス・ワッツ卿は、元祖ド級戦艦の「ドレッドノート」などの主任造船官を務めていた人物です。ただし、建造は自国の海軍工廠で行っています。この工廠自体、英系資本が入っていますが。右画像は、重巡洋艦「カナリアス」の1931年5月28日、エル・フェロル海軍工廠における進水の様子です。(第2回へ続く

スペイン内戦と海軍(第2回)

1.概要(承前)
(3)内戦におけるスペイン海軍の行動の概要
 スペイン内戦の勃発時に直ちに国粋派陣営に参加した海軍艦艇は、駆逐艦1隻、スループ1隻に留まりました。しかも、駆逐艦の方は艦内で下士官兵が士官を制圧する「革命」が発生し、すぐに共和派に復帰します。反乱の謀議は陸軍主導でありましたが、海軍でもハビエル・サラ総参謀長など、それなりに謀議に参加していたとされます。しかし、共和政府がクーデター予防策として実施した人事異動の影響で、反乱計画が変更されたため、陸海軍が十分に連携できなかったようです。
 反乱勃発後、艦隊では次々と革命が発生。艦隊勤務のほぼ全ての海軍士官は、監禁された挙句に処刑されてしまいます。以後、共和派艦隊は、各艦ごとの人民委員会指揮による「民主的」操艦をすることになりますが、これにより効果的運用ができなくなってしまいました。
 一方の国粋派は、海軍力確保のため、軍港エル・フェロルel Ferrol、カディスCádizなどへ侵攻。停泊中の艦隊と数日の交戦の後、投降させることに成功します。

 かくして、両陣営が確保した初期兵力は、以下のようなものでした。
共和派:戦艦1隻、軽巡3隻、駆逐艦14+2隻、潜水艦12隻、スループ1隻、水雷艇8隻
国粋派:戦艦1隻、重巡+2隻、軽巡2隻、駆逐艦1隻、スループ4+1隻、水雷艇5隻、敷設艦+4隻
 (注1)A+Bの表記は、現役+建造中の意。未成艦は内戦中に完成した分。
 (注2)国粋派の軽巡のうち1隻は、改装中の上、接収時の戦闘で損傷。

 加えて、両陣営とも、トロール漁船などを徴用して特設艦艇としています。
 内戦中には、国粋派はイタリアから、駆逐艦4隻・潜水艦2隻・魚雷艇4隻を獲得し、潜水艦2隻を貸与されています。ドイツも魚雷艇5隻を国粋派に供与しています。さらに、イタリアとドイツの艦艇は直接戦闘に参加しています。一方の共和派も、ソ連から魚雷艇4隻を乗員ごと派遣されています。(諸外国の介入については第3回を参照

 両陣営の海軍の主要な任務は、海上交通線確保と敵の交通妨害、艦砲射撃による陸上支援でした。
 海上交通線に絡む制海権戦略上の焦点となったのが、ジブラルタルGibraltar海峡と、ビスケー湾ビルバオBilbao沖海域、地中海のバレアレスBaleares諸島の3ヶ所です。ジブラルタル海峡は、序盤はアフリカ植民地と本土との間の国粋派の移動を巡って、後半にかけてはバスク地方政府と共和派本隊との交通線を巡って、しばしば海戦の舞台になりました。ビルバオはバスク地方の要港で、共和派陣営についたバスクへの海上補給線の終着駅でした。バレアレス諸島は、黒海方面からの共和派への援助ルート上の要衝です。バレアレス諸島の主島マリョルカMallorca島は、国粋派の蜂起によって制圧されてしまっています。マリョルカ島のパルマPalmaには、国粋派艦隊に加え、イタリアの海・空軍が展開します。共和派も奪還を試みますが、結局失敗に終わります。
 艦砲射撃は、内戦の全期間を通じて、両軍が盛んに行っています。

 呼称付の、ある程度の規模な海戦は、4回起こっています。一度目は、海峡警備の共和派艦隊を国粋派巡洋艦部隊が駆逐した、エスパルテルEspartel岬沖海戦(1936年9月29日)です。二度目と三度目は、いずれも国粋派重巡が共和派の護送船団を襲撃したマチチャコMachichaco岬沖海戦(1937年3月5-6日)とシェルシェルCherchell岬沖海戦(1937年9月7日)。最後は、船団護衛中の国粋派艦隊と、マリョルカ島奇襲を計画した共和派艦隊が遭遇戦になった、パロスPalos岬沖海戦(1938年3月5-6日)です。ここでは、国粋派旗艦の重巡「バレアレス」が撃沈される最大の戦闘になりました。
 このほか、名も無い水上戦が何度か起きており、数隻が沈んでいます。

 水上戦以外に、後の第二次世界大戦の様相を予感させるような、艦船に対する空襲がしばしば起きています。陸上が、戦略爆撃や装甲部隊による電撃戦など、第二次大戦の実験場になっていたのと同様、海上でもそうした現象が起こっていたのです。
 最終的に共和派艦隊をスペインの海から追い払ったのも、航空機の力でした。内戦終結直前、制空権を失いマリョルカ島などからの空襲に晒された共和派艦隊は、これ以上の空襲には耐えられないと出港したまま帰らず、仏領チュニジアのビゼルタBizerteへと逃亡、抑留されてしまうことになるのです。

 内戦終結までに、共和派は戦艦1隻・駆逐艦3隻・潜水艦10隻・スループ1隻・水雷艇6隻を失いました。
 一方の国粋派も、戦艦1隻・重巡1隻・スループ1隻・水雷艇1隻が沈んでいます。
 残存艦艇の多くは、その後のフランコ政権の海軍に所属し、かなりの長期間にわたって使用されました。フランスに抑留された艦艇も返還され、同様に使用されています。沈没艦の多くも浮揚され再使用されました。イタリアの貸与潜水艦2隻は返却されましたが、第二次大戦中に、イタリア艦として戦没しています。(第3回へ続く

スペイン内戦と海軍(第3回)

2.諸外国海軍の動向
 スペイン内戦というと、ゲルニカ空襲をはじめ、ドイツ・イタリアの介入があったことが知られています。
 しかし、形式的には、独伊両国を含む諸外国は内戦不干渉の立場を取っていました。独伊両国やソ連も含む国際的な不干渉委員会が組織され、武器輸出の制限が行われます。悪名高い「コンドル軍団」などは、不干渉に抵触しないよう「義勇軍」の形式を取って派遣されていたのです。
 そして、この不干渉の遵守のために、各国海軍による海上査察が実施されることとなりました。イギリスやフランス、オランダ等のほかに、独伊海軍も「査察」に加わり、多数の艦艇を派遣します。独・伊・ポルトガルが、一時脱退する事態もあったものの、内戦終結まで査察は続けられました。
ビルバオの戦艦オクラホマ ところが、この査察は多分に名ばかりのものでした。例えば、国粋派支配下のマリョルカ島の監視は、途中からは、国粋派を支援するイタリアの担当とされました。実際の行動も、各国海軍とも自国船舶の保護を重視することが多かったようです。(右画像は、1936年8月にスペイン北部ビルバオで撮影されたアメリカ戦艦「オクラホマ」艦上の写真。水兵が、収容した難民の子供を抱えている。)
 西洋海軍の伝統であるのか、前線の士官同士は比較的仲がよかったようです。マリョルカ島泊地で、英独伊の艦艇が、イギリスのサマーヴィルJames Somerville中将の指揮を受けたこともありました。独海軍司令官レーダーErich Raederは、『英海軍士官の中には、フランコ将軍への共感を隠そうとしない者が何人もいる』と述べています。この背景には、共和派が多数のスペイン海軍士官を処刑したことに対する共通の反感があったのかもしれません。

 イギリス海軍は、巡洋戦艦「フッドHood」など最も多数の艦隊を派遣しています。
 イギリス艦隊は、名目通り、かなり中立的ではあったようです。ただ、自国籍の貨物船が共和派支配地へ食糧輸送中に、国粋派艦隊に拿捕されそうになったときなどは、示威行動をして解放させたりしています。それでも、弱腰であるとの批判が英国内では起きたようです。おかげでチェンバレン失脚を恐れたイタリアが、潜水艦の暗躍を制限する一幕もあったといいます。
 また、難民や亡命者の輸送などの人道活動にも協力しています。撃沈された国粋派重巡「バレアレス」の乗員救助中、共和派航空機の誤爆を受け、死者1名を出しました。
 なお、「フッド」乗員の一人が内戦中の1937年から1938年に撮影した写真コレクションが、インターネット上に公開されています。

 イタリア海軍は「査察」の名目の下、国粋派支援に活動します。国粋派艦隊に寄り添うように行動し、事実上の船団護衛までしています。あまりに密着しすぎたか、輸送艦「バルレッタBarletta」は、マリョルカ島停泊中に共和派の誤爆で死者6名を出しました。
 さらに、多数の潜水艦を派遣し、共和派支配地へ物資を運ぶ船をほぼ無差別に攻撃しています。一説によると、水上艦艇による戦果も合わせ、商船20隻以上を撃沈破しているようです。乗船していた不干渉委員会の監視将校にも犠牲が出ていますし、あまつさえ英駆逐艦まで攻撃され爆雷で交戦しています。商船以外に、共和派の軽巡1隻と駆逐艦1隻を撃破しています。このイタリア潜水艦の暗躍は当時公然の秘密で、不干渉委員会は「国籍不明」潜水艦の掃討をする決議をしています。「国籍不明」外相とまで揶揄されたチアノ伊外相は、手記の中で、イタリアが査察することを「海賊がいまや警官になった」と嘯いています。
 当時活動したイタリア潜水艦のうち2隻は途中で国粋派海軍に譲渡され、さらに2隻が貸与されています。もっとも「貸与」された2隻は、内戦終結後にきちんと返却されていることや、最新鋭艦であること、乗員の練度の問題などから推測すると名目上の貸与で、実際にはそのままイタリア海軍が運用していたのかもしれないと思います。

 ドイツの場合、ヒトラーは当初艦隊の投入に消極的であったようです。しかし、海軍司令官エーリッヒ・レーダーの進言を受け、装甲艦「ドイッチュラントDeutschland」(旗艦:ロルフ・カールスRolf Carls中将座乗)、「アドミラル・シェーアA.Sheer」、軽巡「カールスルーエKarlsruhe」「ライプツィヒLeipzig」などを中心とした、水上艦艇の主力を派遣します。
 ドイツ艦隊もイタリア艦隊同様に、国粋派艦隊に密接して行動します。
 1937年5月29日、イビサ島沖に停泊中の「ドイッチュラント」は共和派機の誤爆を受け、死者31人に負傷78人という被害を受けます。3日前には独水雷艇「アルバトロスAlbatros」が誤爆を受けていたばかりの時でした。報復として、「シェーア」と水雷艇4隻がアルメリアAlmeriaの市街地を砲撃し、全壊家屋35棟、死者19人という結果を招きました。(E.グレイによれば、死者数百、家屋8000人分。)
 そして、ドイツ海軍も、「ウルスラUrsula作戦」の秘匿名で潜水艦2隻(「U33」「U34」)を派遣します。イタリアの場合と違い、これは当時知られていなかったようです。ウルスラ作戦は短期間でしたが、「U34」は共和派潜水艦「C3」を撃沈しています。
 このほか、軍事顧問として国粋派艦艇への乗艦もわずかに行い、重巡「バレアレス」沈没時に1名が戦死しています。

 ソ連も、不干渉委員会に加わっていましたが、共和派に対し「義勇軍」を送るなど支援を行っていました。海軍に関しても、「駐在武官」クズネツォフ海軍大佐を代表に計78人の海軍士官を軍事顧問団として派遣。さらに、魚雷艇4隻を乗員と共に供与しています。

Durango.jpg メキシコも、スループ「ドゥランゴDurango」(画像参照)を派遣し、共和派への物資輸送を行っているようです。同艦はスペイン製で、建造が遅れた姉妹艦のほうは国粋派に接収されて「カルボ・ソテロ」となっています。

 アメリカは、不干渉委員会にすら参加せずに局外中立を宣言しています。
 但し、自国民保護のため、戦艦「オクラホマ」、巡洋艦1隻、駆逐艦2隻程度の小艦隊を派遣していました。駆逐艦「ケインKane」は、自国民救出作業中に国粋派に誤爆されています。

 日本海軍は、ほとんど関係を持っていません。国粋派陣営から駆逐艦の供与を要請されて、拒絶している程度です。陸軍は、国粋派側に観戦武官がおりました。
 なお、ジャック・白井をはじめ20人ほどの在米日系人が国際旅団の義勇兵に加わっていたことが、知られています。日本人の従軍記者の伝聞では、国粋派側の義勇兵にも数名の日本人がいたと言います(坂井米夫「動乱のスペイン報告―ヴァガボンド通信ー一九三七年」)。

第4回へ続く

スペイン内戦と海軍(第4回)

3.内戦に参加したスペイン艦艇の一覧
 ここでは、内戦に参加した以下の艦艇を、紹介したいと思います。
 戦艦(1タイプ):2隻、重巡(1タイプ):2隻、軽巡(3タイプ):5隻、駆逐艦(4タイプ):21隻
 潜水艦(4タイプ):16隻、水雷艇(1タイプ):14隻、スループ(3タイプ):6隻
 敷設艦(1タイプ):4隻、特務艦(2タイプ):2隻、特設艦艇:6隻
 (注1)以下、艦名の後に「」を付した艦は戦没。但し、一部再就役。
 (注2)水雷艇に関しては、所属が不明確なものがある。
 (注3)小艦艇若干についても、簡単な記述を加えた。

(1)戦艦・駆逐艦の部

「エスパーニャEspaña」級戦艦:保有数2隻(うち戦没艦2隻。ほか戦前喪失1隻)
Acorazados_Jaime1-España1931 世界最小のド級戦艦。1番艦「エスパーニャ」は、リーフ戦争中の座礁事故で喪失。
 「エスパーニャ」(2代)は、先代の喪失により襲名(旧名「アルフォンソ13世Alfonso XIII」)。国粋派所属。1937年4月30日にサンタンデル沖で触雷沈没。
 「ハイメ1世JaimeI」は、共和派所属。1937年6月19日にカルタヘナで事故爆沈。
 満載排水量16450t、速力19.5kt、305mm×8、102mm×10、47mmAA×4
(注:副砲102mm砲は一部高射砲に換装。撤去した砲は、重巡「カナリアス」や特設艦艇等に流用。ほか機銃も増備)

「カナリアスCanarias」級重巡洋艦:保有数2隻(戦没艦1隻)
canarias.jpg 2隻とも未成状態で国粋派が捕獲し、その主力となる。英「ケントKent」級重巡の改型。
 「カナリアス」(右画像)は1936年9月就役。ただし、射撃指揮装置未搭載で、沿岸砲台用で代替。就役時副兵装の半数は「エスパーニャ」から撤去した102mm平射砲だったようであるが、1937年には完全状態に。
 「バレアレスBaleares」は1937年1月就役。ただし、当初は第4砲塔未搭載で、就役後装備。また、写真を見ると、マスト頂部の高射指揮装置(?)を欠いている。副兵装も異なる。パロス岬沖海戦で被雷沈没(1938.3.6)。
 満載排水量13200t、速力33kt、203mm×8、120mmAA×8(「カナリアス」)
   (「バレアレス」の副兵装は、120mmAA×4、100mmAA×4)
 ほか、魚雷の固定発射管III×4が計画されたが、一部文献では未装備とある。写真では中甲板舷側の発射口は見える。
 カタパルト等の航空設備も計画されたが、実装されず。

「プリンシペ・アルフォンソPrincipe Alfonso」級軽巡洋艦:保有数3隻(戦没艦なし)
800px-Almirante_Cervera-crucero.jpg 英E級軽巡の改型。かなり武装強化がされている。
 「アルミランテ・セルベラAlmirante Cervera」(右画像)は、国粋派所属。開戦時は整備不良のため23kt程度の速力ながら、共和政府海相に「海賊」と呼ばれるほどの活躍をする。戦中、整備により速力も向上。
 「リベルタードLibertad」(旧「プリンシペ・アルフォンソ」)は、共和派旗艦。
 「ミゲル(ミグエル)・デ・セルバンテスMiguel De Cervantes」は、共和派所属。1936年11月、伊潜により被雷。入渠中にも空襲をうけ、1938年3月まで行動不能。
 満載排水量9240t、速力34kt、152mm×8、102mmAA×4、37mmAA×8、魚雷III×4

「メンデス・ヌネスMendez Nunez」級軽巡洋艦:保有数1隻(戦没艦なし。ほか戦前喪失1隻)
 英C級軽巡の改型の旧式艦。共和派で、主に「リベルタード」と行動を共にする。開戦時は海外に航海中だった。同型艦「ブラス・デ・レソ」は戦前に事故により喪失。
 満載排水量6045t、速力29kt、152mm×6、47mmAA×4、魚雷III×4

「ナバーラNavarra」級軽巡洋艦:保有数1隻(戦没艦なし)
thump_1164872nav1.jpg 英「バーミンガムBirmingham」級軽巡の改型の旧式艦。当初艦名「レイナ・ビクトリア・エウヘニアReina Victoria Eugenia」、共和制移行時に改称して「レプブリカRepública」。さらに、国粋派によって捕獲され「ナバーラ」と改名。
 開戦時はカディスCádizで改装中。国粋派の接収時に損傷し、係留砲台状態で半放棄。火砲の一部は陸用に転用。1937年に国粋派によって近代化改装再開。1938年に再就役。右画像は再就役後のもので、カナリアス級に近い印象となっている。
 満載排水量6500t、速力25kt(改装後25.5kt)、152mm×9、47mmAA×4、魚雷II×2
  (改装後兵装152mm×6、88mmAA×4)

第5回へ続く

スペイン内戦と海軍(第5回)

3.内戦に参加したスペイン艦艇の一覧(承前)
(2)駆逐艦の部

「チュルカChurruca」級駆逐艦:保有数12+2隻(戦没艦2隻。ほか、戦前に2隻を輸出、戦後完成2隻)
Destructor_Almirante_Valdes_(AV).jpg 英「スコットScott」級嚮導駆逐艦の改型。1・2番艦の「チュルカ」「ガリアノ」(各初代)は、アルゼンチンに戦前に輸出されている。開戦時に4隻が建造中で、うち2隻が戦時中竣工。「チュルカ」(2代)が開戦直後に一時的に国粋派に協力したのと、撃沈された「シスカル」が浮揚されて末期の2ヶ月ほど国粋派に使用された以外、全艦が共和派に所属している。
Destructor_Jorge_Juan_(JJ).jpg 竣工順に、「サンチェス・バルカイステギSanchez Barcaiztegui」、「ホセ・ルイス・ディエスJosé Luíz Díez」、「アルミランテ・フェランデスA. Ferrandiz」、「レパントLepanto」、「チュルカ」(2代)、「アルカラ・ガリアノAlcalá Galiano」(2代)、「アルミランテ・バルデスA. Valdés」(右上画像)、「アルミランテ・アンテケラA. Antequera」、「アルミランテ・ミランダA. Miranda」、「シスカルCiscar」、「エスカーニョEscaño」、「グラビナGravina」、「ホルヘ・フアンJorge Juan」(1937年就役・左画像)、「ウリョアUlloa」(1937年就役)
 後期7隻は前部マストの三脚檣化・主砲架などを改正され、うち「アンテケラ」を除く6隻は主砲1門を減らして高射砲等に替えて竣工。前期型でも、内戦中に同様の改装をしたものがある。減らした分の主砲は、建造中の艦に共食い的に流用したのではないかと思われる。
 満載排水量1800t(後期型1914t)、速力36kt
 120mm×5(後期型は4、一部は102mmで代替?)、76mmAA×1(後期型の一部2)、機銃若干、魚雷III×2

「アルセドAlsedo」級駆逐艦:保有数3隻(戦没艦なし)
Destructor_Alsedo.jpg 英前大戦型「ニムロッドNimrod」級嚮導駆逐艦の縮小型。
 「アルセド」「ラサガLazaga」は、政府軍に所属も不活発。
 「ベラスコVelasco」は、反乱軍が当初保有した唯一の駆逐艦として活躍。
 満載排水量1315t、速力34kt、102mm×3、47mmAA×2、魚雷III×2

「セウタCeuta」級駆逐艦:2隻(戦没艦なし)
 1937年10月に、イタリアから反乱軍に譲渡された、前大戦型嚮導駆逐艦。
 「セウタ」(旧「アキラAquila」)と「メリリャMelilla」(旧「ファルコFalco」)の2隻。
 煙突を追加するなどして、「ベラスコ」に擬装していた。
 満載排水量1800t、速力34kt、120mm×4、76mmAA×2、魚雷II×4

「ウエスカHuesca」級駆逐艦:2隻(戦没艦なし)
Destructor_Huesca1937.jpg 1937年7月に、イタリア海軍から国粋派に譲渡された、前大戦型嚮導駆逐艦。
 「ウエスカ」(旧「ジュグリエルモ・ペーペGuglielmo pepe」・右画像)、「テルエルTeruel」(旧「アレッサンドロ・ポエリョAlessandro Poerio」)の2隻。
 満載排水量1028t、速力32kt、102mm×4、37mmAA×2、魚雷II×2

第6回に続く

スペイン内戦と海軍(第6回)

3.内戦に参加したスペイン艦艇の一覧(承前)
(3)潜水艦の部

「B」級潜水艦:保有数6隻(全艦戦没)
 「B1」(衝突事故で大破放棄)、「B2」(敗戦時自沈?)「B3」(衝突事故?)、「B4」(座礁)、「B5」(空襲?)、「B6」(「ベラスコ」ほかの砲撃)の全艦を内戦中に喪失。
 排水量556t(水中740t)、16kt(水中10.5kt)、76mmAA×1
 発射管:前×2、後×2(魚雷搭載数:8)

「C」級潜水艦:保有数6隻(戦没艦4隻)
c5.jpg 「C3」(独潜「U34」の雷撃)、「C5」(右画像・サボタージュによる?)、「C6」(ヒホンで自沈)は、内戦中に沈没。「C1」は一度空襲で沈没後一週間で浮揚も、停戦まで使用不能。
 スペイン海軍の主力潜水艦。より新型の「D」級は建造中で、内戦後の完成に終わった。
 排水量925t(水中1144t)、16.5kt(水中8.5kt)、76mmAA×1
 発射管:前×4、後×2(魚雷搭載数:10)

「ヘネラル・モラGeneral Mola」級潜水艦:保有数2隻(戦没艦なし)
 1937年4月にイタリアより反乱軍へ譲渡された、旧「アルキメーデArchimede」級大型潜。
 「モラ」(旧「アルキメーデ」)、「ヘネラル・サンフルホG. Sanjurjo」(旧「エヴァンジェリスタ・トリチェリEvangelista Torriceli」)の2隻。
 「サンフルホ」は、イタリア艦時代にも、政府軽巡「セルバンテス」大破などの戦果を挙げている。
 なお、このほか同型2隻「ガリレオ・ガリレイGalileo Galilei」「ガリレオ・フェラリスGalileo Ferraris」が、伊海軍でスペイン艦に擬装した名前で行動しているようである。
 排水量985t(水中1259t)、速力17kt(水中8kt)、100mm×2
 発射管:前×4、後×4(魚雷搭載数:16)

「ヘネラル・ロペスG. Ropez」級潜水艦:保有数2隻(戦没艦なし)
 イタリアより貸与された「ペルラPerla」級中型潜。1936年就役の新鋭艦。おそらく、実際には伊海軍が運用。戦後返却。
 「ロペス」(伊「イリデIride」)、「アグイラル・タブラダAguilar Tablada」(伊「オニーチェOnice」)の2隻。
 「ロペス」は、イタリア艦時代にもかなりの戦果を挙げている。
 排水量680t(水中844t)、速力14kt(水中7.5kt)、102mm×1
 発射管:前×4、後×2(魚雷搭載数:不明)

第7回に続く

スペイン内戦と海軍(第7回)

3.内戦に参加したスペイン艦艇の一覧(承前)
(4)小艦艇・特務艦の部

「カノーバス・デル・カスティーリョCánovas del Castillo」級スループ:保有数3隻(戦没艦1隻。但し復旧)
dato.jpg スペイン海軍の正式類別では砲艦Cañoneroで、いわゆる植民地警備スループの類である。メキシコ海軍に準同型艦3隻が輸出され、2001年まで海軍籍にあった。
 「エデュアルド・ダトEduardo Dato」(右画像)は国粋派所属。序盤の陸兵輸送や船団護衛に従事するが、戦艦「ハイメ1世」に撃沈される。浮揚再就役。
 他の2隻「カノーバス」「カナレハスCanalejas」も共和派所属。一部の兵装を、特設艦艇用に供出したという記述があるが、その後の時期でも普通に活動は続いており真偽不明。
 満載排水量1335t、速力15kt、102mm×4、76mmAA×2

「レカルデRecalde」級スループ:保有数2隻(戦没艦1隻。ほか戦前に退役2隻)
 警備スループ。内戦時現役は、「ラヤLaya」「ラウリアLauria」。
 「ラヤ」は共和派に所属し、ドイツ機の空襲で撃沈される(1938年6月15日)。
 「ラウリア」は国粋派所属。ほとんど活動せず。
 満載排水量811t、速力14kt、76mm×4

「カルボ・ソテロCalvo Sotelo」級スループ:保有数1隻(内戦中完成)
calvo_sotelo.jpg 国粋派所属。本来はメキシコ海軍艦「サカテカスZacatecas」として発注を受けて建造中だったが、内戦勃発によりカディスで接収。1938年就役。艦名の由来は、その暗殺が内戦のきっかけとなった右翼政治家の名である。
 なお、同型艦「ドゥランゴDurango」は内戦直前にメキシコ海軍に引き渡され、2001年まで海軍籍に健在。内戦中には、密かに政府軍への援助物資輸送に使われたようである。
 満載排水量2000t、速力20kt、102mm×4、76mmAA×2

「T1」級水雷艇:保有数13隻(ほか退役済9隻)
portmao.jpg 第一次大戦前に建造開始された旧式水雷艇。一部は退役済で、現役艦も稼働状態微妙。内戦前半には比較的活発に行動し、哨戒や墜落機の乗員救出などに従事。画像は1920年代にメノルカ島マオン軍港に碇泊中の同級水雷艇。
 共和派保有は「T3」「T4」「T14」「T16」「T17」「T20」「T21」「T22」の8隻か。「T3」はフランスへ脱出時に座礁放棄。「T14」は火災放棄。「T20」~「T22」は、敗戦時自沈。
 国粋派保有は「T2」「T7」「T9」「T18」「T19」の5隻か。一部資料では「T8」もあるが、退役済と思われる。「T2」は座礁放棄。
 満載排水量180t、速力26kt、47mm×3

「ユピテルJúpiter」級敷設艦:保有数4隻(全て内戦中竣工)
 「ユピテル」(1937.1就役)、「マルテMarte」(1938就役)、「ネプチューノNeptuno」(1939就役)、「ブルカノVulcano」(1937.1就役)。
 全艦が、エル・フェロルで未成状態のまま国粋派に捕獲される。
 満載排水量2600t、速力18.5kt、120(102?)mm×4、76mmAA×2、機雷264基

「デダロDedalo」級水上機母艦(内戦時退役済。戦没)
dedalo.jpg 独商船「ノイエンフェルスNeuenfels」改装。リーフ戦争では実戦で活躍したが、内戦前の1935年には退役して係留状態となっており、内戦中の1937年7月18日に国粋派側の空襲を受け沈没。画像は現役時代の写真で、甲板に並ぶのはフェリクストウFelixstowe F.3飛行艇。艦名の由来は、ギリシア神話のダイダロス(イカロスの父で、羽を発明して共に空を飛んだ)。
 基準排水量10800t(9900t?)、速力10kt、105mm×4、57mmAA×2
 搭載機:水上機×20機以上、係留気球×2、飛行船係留設備×1

「カングロKanguro」級潜水艦救難艦:保有数1隻(戦没艦なし)
潜水艦救難艦カングロ 1920年就役、1943年退役。オランダで建造の双胴型救難艦。共和派所属。
 満載排水量2750t、速力10knt

 このほかに各種小艦艇が存在する。以下、簡単に触れる。
 沿岸警備用の排水量350~800tの巡視船(日本語文献では「海防艦」「大型砲艦」などとも表記)を、共和派4隻、国粋派5隻保有。多くは、旧英海軍の哨戒トロール。植民地モロッコの地名にちなむ艦名を持つ。共和派は2隻を軽巡「セルベラ」に撃沈され、1隻はマラガ陥落時に自沈(国粋派が浮揚)。国粋派も戦艦「ハイメ1世」に1隻を沈められている(後、浮揚)。
 測量艦を共和派が2隻、国粋派が1隻保有。102mm×2程度の武装があるため、警備任務などに使用。共和派は全滅(空襲1隻、マラガで自沈1隻)。
 排水量800tの航洋曳船1隻を共和派が保有。武装76mm×1等。空襲により沈没。
 その他、漁業保護艇や哨戒艇、小型掃海艇など。
 また、魚雷艇5隻がドイツから、4隻がイタリアから、国粋派に供与されている(うち2隻は、内戦中事故で喪失)。同様に、ソ連製魚雷艇4隻が、乗員ごと共和派に供与されている(戦没2隻、鹵獲2隻)。魚雷艇の詳細は第7.5回参照

 なお一部資料では、共和派に砲艦「レミーヒオ・ベルドア少佐Remigio Verdoa」という艦名が見られるが、これはフェリー改造の特設敷設艦。1939年3月、空襲によりカルタヘナで沈没。戦後、復旧。

第7.5回へ続く

スペイン内戦と海軍(第7.5回)

3.内戦に参加したスペイン艦艇の一覧(承前)
(5)魚雷艇の部

 スペイン内戦中、共和派・国粋派の両陣営とも、外国から供与を受けた魚雷艇Lancha-torpederaを実戦に投入しています。共和派はソ連から4隻。国粋派はイタリアから4隻と、ドイツから5隻。
 内戦中のこれらの高速艇たちの戦歴を、調べた範囲で簡単にまとめておきたいと思います。

ア.共和派の魚雷艇
 共和派は、ソ連から「G5」型魚雷艇4隻の供与を受けました。おそらく、乗員もソ連から派遣されたものと思われます。これらは、1937年の5月~6月に、「カーボ・サント・トーメ」ともう一隻の輸送船により2度に分けて到着しました。
 共和派海軍は、4隻に対し「11号」「21号」「31号」「41号」という呼称をつけています。
KirovTKA-G-5-1940.jpg
「G5」型は第二次大戦時のソ連の主力魚雷艇のひとつです。右画像は、ソ連海軍で運用中のG5型魚雷艇(手前)を捉えた写真で、背景に写っているのは重巡「キーロフ」です。
 排水量18t、速力51kt、航続距離200浬、魚雷×2or爆雷×2、7.9mmMG×2

 共和派は、主に大型艦の襲撃用として魚雷艇を使用するつもりだったようです。国粋派艦隊が艦砲射撃に襲来したときに、数度に渡り迎撃にあたっています。一度は至近距離からの軽巡「セルベラ」雷撃に成功したとも言いますが、命中は確認されていません。
 最大の見せ場となるはずだったのは、1938年3月5日に計画されたマリョルカ島パルマ泊地の夜襲ですが、これは悪天候を理由に中止になっています。ただ、この作戦が、内戦中最大の海戦であるパロス岬沖海戦のきっかけではあるのですが。もちろん、パロス岬沖海戦自体には、魚雷艇は参加していません。
 内戦末期には、分断されたバレンシア・カタロニア間の連絡に使用されました。

 内戦中の「活躍」を結果的に見ると、なんの戦果も無いまま2隻が空襲で失われただけでした(1937年11月、1938年7月30日)。
 残りの2隻もバルセロナ港内で空襲により損傷し、放棄されました。この2隻は国粋派に鹵獲され、内戦後のフランコ政権海軍に「LT15」「LT16」として使用されています。


イ.国粋派の魚雷艇
e03Candido perez 435 魚雷艇の本家イタリアは、MAS系の魚雷艇4隻を供与しました。第一次大戦型の中古艇「ナポレスNapoles」(旧「MAS100」)、「シシリアSicilia」(旧「MAS223」)と、新型の「カンディド・ペレスCandido Perez」(旧「MAS435」)、「ハビエル・キロガJavier Quiroga」(旧「MAS436」)。

「MAS435」「MAS436」は、1931年建造で、第一次大戦型の改良型でした。右画像は「MAS435」の写真。
 満載排水量14t、速力40kt(公称)、航続距離125浬、魚雷×2、7.5mmMG×1

 このうちの新型2隻については、当初はイタリア海軍所属のまま、国粋派に協力していました。供与潜水艦の場合と類似しています。イタリア海軍時代に、駆逐艦に曳航されてマラガ泊地の攻撃を試みていますが、波浪大のため作戦を中止しています。
 4隻とも、1937年1月~3月に国粋派海軍に引き渡されます。
 引渡後は、カディス港などジブラルタル海峡付近での警備任務についていますが、航洋性の不足などから活動は不活発です。マラガに共和派駆逐艦が艦砲射撃に来た際に、迎撃に出ているのが唯一の大きな行動のようです。このときも波浪のため、雷撃できませんでした。ただし、共和派艦隊は、魚雷艇の出現に脅威を感じ撤退したようです。穏やかな地中海といっても、ジブラルタル海峡付近の海域では、小型の魚雷艇の活動は無理があったように思われます。
 なお、「キロガ」は、僚艇と衝突して沈没しています(1937年5月6日)。
 生存した3隻は内戦後に、「LT17」(「ナポレス」)、「LT18」(「シシリア」)、「LT19」(「ペレス」)と改名しました。

 もう一方のドイツからは、内戦中に少なくとも5隻の魚雷艇が供与されています。第二次大戦で勇名をはせるドイツ魚雷艇Sボートですが、そのうちの最初の5隻がそれです。これら5隻は日中戦争中の中国に売却される予定でしたが、途中からスペインに振り向けられています。

「S1」は、ドイツ海軍が建造した最初の魚雷艇です。試作艇と言っていいでしょう。
 満載排水量52t、速力34kt、航続距離600浬(?)、魚雷×2、20mmMG×1、7.7mm×1

「S2」~「S5」は、初の量産型です。「S1」と基本設計は同一。左下画像は「S5」。
 満載排水量58t、速力34kt、航続距離2000浬、兵装は同じ。

e010LT14,S5 最初の生産型ということで、これらはまだ多くのトラブルを抱えていました。ドイツ魚雷艇特有の、船体と一体化した魚雷発射管もまだ使われておらず、比較的低い甲板上に発射管が載っています。
 しかし、大型の船体に大きな航続力、機雷敷設能力といった後のSボートと共通する性格は有していました。こうした特長のおかげで、ドイツ製魚雷艇は比較的活躍をすることができました。

 36年11月と37年3月に2隻ずつ、「S1」~「S4」が引き渡され、番号順に「バダホスBadajoz」「ファランヘFalange」「オビエド Oviedo」「レケッテRequete」と名付けられました。残りの1隻「トレドToledo」(旧「S5」)の引渡は、内戦終結直前の39年2月になります。
 先に引き渡された4隻は、機雷敷設任務を中心に、輸送船襲撃や哨戒任務等を行いました。駆逐艦不足を補うため、爆雷を搭載して船団や大型艦の対潜護衛任務にも駆りだされています。まるで、第二次大戦時のドイツ海軍での作戦行動を予言するかのようにも思えます。
 魚雷艇が敷設した機雷による可能性がある戦果としては、貨物船1隻撃沈のほか、英駆逐艦「ハンター」の損傷があるようです。
 逆に受けた損害は、「オビエド」が、ビナロス港停泊中に空襲で大破着底させられています(戦後、復旧)。また、「ファランヘ」は、エンジントラブルから火災発生して、完全喪失となってしまいました。
 復旧した「オビエド」を含め、内戦を生き残った4隻は、旧番号順に「LT12」「LT13」「LT11」「LT14」となっています。

 なお、このほか、「S6」も内戦終結直後に引き渡されているようです。「S6」は、新型の機関部を搭載した高性能艇として開発されたものですが、実際には完全な失敗作だった艇です。おそらく「LT20」となったものと思われます。


ウ.小括
 結局のところ、両軍合わせ13隻の魚雷艇は、あまり目に見える戦果は無いまま、後に復旧したものも含め7隻が戦闘力を失っています。魚雷艇自体が、設計・運用とも未だ成熟しない新兵器だったともいえるかもしれません。
 しかし、この結果まったくの役立たずとスペイン海軍に判定されたかというと、そうではなかったようです。内戦直後の艦隊再建プランには、すでに魚雷艇の建造が挙がっています。実際にも、ドイツからの援助により、洗練された魚雷艇「S38」型が供与(「LT21」~「LT26」)され、ライセンス生産(「LT27」~「LT32」)もされています。イタリアには声がかからなかったようですが、これはやはり航洋性や汎用性のなさが問題視されたのでしょうか。
 最後に、内戦を生き延び改名された魚雷艇のその後ですが、これらはドイツからの新しい供与艇が到着するのと入れ替わる様に、急速に退役しました。1946年に「LT20」までは全て除籍となったようです。

第8回へ続く
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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