山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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帝国の守護者(第5回)

3.「アダマストル」の場合
カルルシュ1世
 ポルトガル国王カルルシュ(カルロス)Carlos1世は、強権的で評判の良くない王様だったようです。海軍拡張や宮廷費の濫費など、財政面でだらしがなく、おまけに女性関係でもだらしがなかったと言います。
 まあ、そのおかげで、海軍は、防護巡洋艦「ドン・カルルシュ1世」、小型防護巡「アメリア王妃Rainha Dona Amelia」ほか2隻といった新型艦を手にすることができたわけですが。
 「アダマストルAdamastor」(左下画像)もこのとき建造されたうちの一隻で、装甲を持たないちっぽけな巡洋艦でした。排水量は1700tほど。船体のわりに強力な15cm砲を2門装備しています。名前こそ巡洋艦ですが、航洋砲艦とでもいうべき軍艦でしょう。名前の由来は、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を通る際に現れたという精霊の名でした。
 カルルシュ国王は、ますます強権を発揮し1906年には議会を解散してしまいますが、1908年に、とうとう暗殺されてしまいました。犯人は共和派の活動家でした。

 王太子もこのとき重傷を負ってしまい、「在位」20分のギネス記録で亡くなります。そこで即位したのが次男で、今のところ最後のポルトガル国王となるマヌエル2世です。彼も負傷したのですが、一命は取り留めました。
 このマヌエル2世は、強権を発揮したのか、それとも議会重視の立憲改革をするのか。それがはっきりする前に、もう次の時代の波が押し寄せてきてしまいました。

 1910年10月3日、共和派軍人による革命クーデターが発生します。
 クーデターの首謀者は、カンディド・ドス・レイスCandido dos Reis海軍中将でした。反乱軍は、リスボンの石畳を血に染めて、王党派政府軍との市街戦に突入します。
 クーデターの知らせを聞いたとき、国王は、ブラジルの次期大統領フォンセッカHermes de Fonseca元帥と豪華な晩餐の途中だったそうです。おそらくその後のカード遊びはお流れになってしまったことでしょう。
 さて、ここで、予定されていた海軍艦艇による艦砲射撃が始まりません。レイス中将が説得したはずの士官たちが、日和見を決め込んだのです。
 期待した市民の動きもなく、反乱軍は戦意を失い始めました。それでも、一部の熱狂的な海軍陸戦隊だけが、広場に陣取って戦闘を続けました。

 翌10月4日になって、ついに艦隊が動き出します。
 その先陣を切ったのが「アダマストル」でした。カルボナリ党と呼ばれる下士官たちが、士官を突き上げ実権を握ったのです。
 「アダマストル」は王宮に向けて砲門を開きました。帝国の護りとして建造された砲艦が、国王に対して牙を剥いた瞬間でした。防護巡「サン・ラファエルSão Rafael」も後に続きます。国王は慌てて王宮を脱出しました。
 午後になると、それまで沈黙していた最有力艦の「カルルシュ1世」も動き出しました。王党派のスループに砲撃を浴びせると、陸戦隊を上陸させます。同艦の王党派士官は惨殺されたようです。
 海軍主力が反乱軍に回ったのを見て、リスボン駐在の各国外交官も自国の船へ避難しようと動きがあわただしくなります。すると、その動きを見て国王が降伏したのだと勘違いした市民までが、いっせいに街に飛び出してきました。
 そして多数の市民を目にした王党派部隊は、市民が襲ってくると勘違いして、急にあっけなく投降してしまったのです。
 かくて大勢は決しました。回りくどいですが、前国王の名を冠した艦が、王政にとどめを刺したと言えなくも無いでしょう。

 翌10月5日、王党派の抵抗が止んだのを、避難先の避暑宮殿で知った国王マヌエル2世は、王室ヨットでポルトガルを離れます。ジブラルタルを経由し、英国へと亡命したのです。
 クーデターの首謀者、レイス中将が臨時首相に……なりませんでした。なぜなら、レイス中将はすでにこの世にいなかったからです。クーデター初日に海軍艦艇が動き出さないのを見た中将は、失敗と早とちりしてピストル自決してしまっていたのです。ああ勘違い。

巡洋艦アダマストル こうして、「アダマストル」の活躍により、多くの勘違いに彩られたポルトガル革命は成功しました。
 成立した共和政府によって、防護巡「カルルシュ1世」「アメリア王妃」の2隻は、「アルミランテ・カンディド・ドス・レイス」「レプブリカRepublica(共和国)」と改名されました。悲劇(?)の提督レイス中将の名も、このようにしてめでたく後世に残ったわけです。

 国王の忘れ形見の艦艇は、数年後の第一次世界大戦の際、ポルトガルの主力艦となって働きます。「アダマストル」も、船団護衛や沿岸警備に従事したようです。ただ、特に大きな戦闘は経験しませんでした。
 第一次大戦後も「アダマストル」は、他のより有力な艦が次々と退役させられる中、さらに旧式の装甲巡洋艦(1876年製の気帆走装甲艦の後身)「ヴァスコ・ダ・ガマVasco da Gama」と並んで、長期に渡って使用されました。極東植民地マカオにも駐留し、1932年の第一次上海事変の時には居留民保護のために上海へ急行して陸戦隊を揚陸しています。ようやく「アダマストル」が退役したのは、新造の通報艦が就役し始めた1933年になってからのことでした。(「アウグスト・デ・カスティーリョ」の場合へ

追記
 革命の際、リスボンの港には、ブラジル海軍のド級戦艦「サン・パウロSão Paulo」が停泊中でした。英国で竣工したばかりの最新鋭艦で、本国へ回航途上に次期大統領を迎えに寄ったもの。その威力は、当時世界最強ともいわれます。
 逃亡した国王が匿われていると疑った反乱軍は、同艦の臨検を要求しますが、あっさり拒絶されています。「サン・パウロ」が実力行使すれば、1隻でポルトガル海軍を全滅させることができたでしょうから、反乱軍にはとうてい手出しできませんでした。もし戦闘となれば、革命自体が失敗したかもしれません。
 目の前で展開されたポルトガル革命はブラジル水兵たちに大きな影響を与え、約1ヶ月半後の水兵反乱事件を起すきっかけとなったと言われます。
参考:『大戦艦』(「三脚檣」より)
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