山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

帝国の守護者(第1回)

1.はじめに
 イベリア半島の先端、スペインの隣の小国ポルトガルは、かつて海上帝国と呼ばれた時代がありました。大航海時代初期、エンリケ航海王子を産み、スペインやマムルーク朝エジプトを向うに回して活躍した輝かしい頃。トルデシリャス条約などというものを結んで、世界を二分していた頃。
 アフリカをはじめ、南アメリカ、遠くインドや東南アジアにまで植民地を作り、海上交通でそれらを結んでいたのです。

 そうした植民地を維持する拠り所になったのは、軍事力、特に海軍力です。
 植民地を保有する各国は、砲艦と総称される小型軍艦を各地に派遣して、植民地を守っていました。国ごとに、通報艦やスループ、海防艦などいくつかの分類がされてはいましたが、いずれも植民地に君臨して、その支配の象徴的存在になっていた軍艦です。
 ポルトガルも例外ではなく、各地に砲艦を展開させていました。

 16世紀後半、オランダやイギリスなどの新興海洋国が進出してくると、ポルトガル海上帝国は、その短い黄金期を終り、徐々に衰退を始めます。モロッコでの国王の戦死、スペインによる併合、ナポレオン戦争による再占領。最良の植民地であったブラジルの独立……。
 それでも、斜陽の帝国に残された植民地を護り抜くべく、ポルトガル海軍の砲艦部隊は、戦いを続けます。そして……。
 これから、本稿では、彼女たちの戦いを追っていきます。それが、海上帝国の最後の日々、ポルトガル近現代史の一端を照らすことに繋がればと思います。


1386年 ポルトガル、英国とのウィンザー条約により、永久攻守同盟を結ぶ。
1497年 ヴァスコ・ダ・ガマが、インドへ遠征。
1510年 ゴアを占領。
1543年 ポルトガル人、日本に漂着。

1801年 ナポレオン軍、ポルトガル侵攻。王室、ブラジルへ脱出。(1821年帰還)
1822年 ブラジル独立。
1859年 西ティモールをオランダへ割譲。
1890年 英国の圧力に屈し、アフリカ植民地拡張「薔薇色地図」計画を断念。
     砲艦「リンポポ」就役。
1894年 モザンビークで、グングニャーナの乱。
1896年 非装甲巡洋艦「アダマストル」就役。
1899年 英国とウィンザー秘密条約を結び、植民地保障を得る。
1909年 河川砲艦「マカウ」就役。
1910年 ポルトガル革命。王政終結。共和制移行。

1914年 第1次世界大戦勃発(~1919年)
1916年 連合国側で参戦。
1917年 特設砲艦「アウグスト・デ・カスティーリョ」就役。
1919年 王党派が北部で割拠し「王国」を名乗るも、鎮圧。
1926年 クーデターにより、カルモナ将軍が大統領就任。
1932年 サラザール蔵相が、首相に就任。
1934年 一等通報艦「アフォンソ・デ・アルブケルケ」就役。
1936年 スペイン内戦に介入。
1939年 第二次世界大戦勃発(~1945年)するも、中立を宣言。
     連合軍(1941年)、次いで日本軍(1942年)が、東ティモール占領。
     オランダ海防戦艦「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」自沈(1942年)。
1943年 アゾレス諸島を連合軍に提供。
1955年 国連加盟。
1961年 ゴア紛争。インドの残存植民地喪失。
     アンゴラ独立戦争勃発。
1968年 サラザール首相退任。
1974年 カーネーション革命により、サラザール体制崩壊
1999年 マカオ返還。
2002年 東ティモール独立。国際法上、ポルトガルからの独立。
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
連絡したいことがある方は、記事のコメント欄か、サイドバー下方のメールフォーム、あるいはツイッターから、お気軽にどうぞ。
Twitter:baron_yamaneko

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
参加企画
にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ
にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
リンク
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール(不要ならそのまま):
件名:
本文: