山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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八月の博物館

 時々拝見している「どことなくなんとなく」というブログがあります。書かれているkasa氏は、理系の研究者さんのようです。くどくなくて読み心地の良い文章なので、好きです。
 そのkasa氏が、最近、アマゾンのアフィリエイトを始めて、記事に本の表紙画像が載るようになりました。
 見ているとうらやましくなってしまったので、私も真似してみることにいたしました。


瀬名秀明「八月の博物館」
              (角川文庫,2003年)

八月の博物館 (角川文庫)総合評価:★★★★★
 『小学校最後の夏休み』、見知らぬ博物館に入り込んだトオルは、美宇という少女に出会う。
 美宇に導かれて着いた先には、19世紀のパリ万博が「展示」されていた。万博会場にいたマリエットと名乗る考古学者は、石像の牛を見せて、言う。『きみらは、これを見に来たはずだ。』
 なぜ、マリエットは、トオルのことを知っているのか。美宇の言う『ミュージアムのミュージアム』の目的とは。そして、時折文中に現れる「私」という作家とトオルの関係は。
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回転翼の海鳥たち(第16回)

16.ヘリ巡洋艦から汎用フリゲートまで
(承前)この一般水上艦でのヘリコプター利用という流れで一躍脚光を浴びたのが、ヘリコプター巡洋艦と言われる一群の艦でした。
Jeanne dArc その最初の例が、1964年に就役したフランス海軍の「ジャンヌ・ダルクJeanne d'Arc」と思われます。自称こそヘリ空母ですが、それまでの全通甲板型の対潜空母とは異なり、船体前半には普通の上部構造がそびえています。対潜空母としての機能だけでなく、練習艦や強襲揚陸艦としての機能も兼ね備えた汎用母艦です。
 搭載機は、アエロスパシアル「アルーエトAlouette(ひばり)III」の艦載型など8機。捜索装備は磁気探知機MADとレーダーのみで、ソナーは持っていませんでしたが、対潜魚雷のほかに対戦車ミサイルを搭載することも可能で、限定的な対艦攻撃能力も有しています。ちなみにアルーエトIIIの原型のアルーエトIIは、世界で初めて実用化されたタービンエンジン搭載ヘリでした。

 イタリアも1964年に「アンドレア・ドリアAndrea Doria」級ヘリコプター巡洋艦2隻を配備開始し、より大型の「ヴィットリオ・ヴェネトVittorio Veneto」も建造します。各3機と9機のベル212系の中型対潜ヘリを搭載できました。
 英海軍も、「タイガーTiger」級巡洋艦2隻を改装して、ヘリコプター4機の搭載能力を持たせました(1969年再就役)。
 東側ではソ連海軍が、「モスクワ」級ヘリコプター巡洋艦2隻を建造。全通甲板でこそないものの、14機搭載可能と、かなり強力な艦です。
 1970年代に入ってからも、ペルー海軍がオランダ巡洋艦「デ・ロイテルde Ruyter」改装の「アギーレAguirre」を入手したほか、日本の海上自衛隊が「はるな」型2隻と改良型「しらね」型2隻の計4隻を建造しています。日本の4隻はDDHと呼ばれ駆逐艦相当として扱われることが多いですが、イタリアの「ドリア」よりもやや大きく、名前も山岳名というあたり、巡洋艦格に扱ったほうが適切な気がします。
 これらは、「キエフ」「インヴィンシブルInvincible」などのVTOL空母へと発展的に解消していくことになります。この後継者もしばしば巡洋艦を自称しているのは、少し興味深いです。

 こうした中、やや出遅れたのはアメリカでした。米海軍では、巡洋艦に雑用のカマンHOK-1などを搭載してはいましたが、対潜用の機体は積んでいませんでした。
 第二次大戦型の駆逐艦の近代化改装FRAMとして、無人対潜ヘリDASH(追記)の搭載を実施し、新造の「ベルナップBelknap」級巡洋艦などにも搭載する計画でしたが、これは大失敗に終わっています。1960年に駆逐艦「ハゼルウッドHazelwood」での搭載試験を経て、実戦配備したはいいのですが、整備の手間は有人機並の割りに魚雷運搬用以外に使えず、しかも事故率が高かったようです。
 ようやく1960年代末に至って、小型艦用の対潜ヘリシステム「軽空中多目的システムLAMPS」の開発を始めます。これは、母艦とヘリを一体のシステムとして運用しようと言う思想のもので、対潜攻撃はもちろん、早期警戒機としての機能を艦載機に期待したものでした。「エイラートEilath」事件(1967年)での戦訓が加味されていると言われます。
 艦載機には、小型艦載ヘリで実績のあるカマンSH-2「シースプライトSeasprite」が採用されました。それまでのカマン社の機体は、第二次大戦中のドイツ軍機と同じ並列双ローターの特異な姿(追記参照)でしたが、SH-2系は普通の単ローターです。
 1971年に、SH-2D利用のLAMPS-MkIが実用化にこぎつけ、DASHに代わり米海軍の水上艦の多くへと搭載されていくことになります。艦載機には対潜捜索用にソノブイや磁気探知機MADを装備したほか、電子戦装置も搭載されています。ただし、あくまで母艦と組んでの運用のため、吊下ソナーまでは装備していません。
 その後、機体はSH-2Fへと改良され、さらに現在では、シコルスキーSH-60B利用のLAMPS-MkIIIへと更新されています。

 こうして、主要海軍国の間では、駆逐艦・フリゲートに至るまで、ヘリコプター搭載をしてこそ一級の汎用艦という認識が共有されるようになったのでした。(第17回へつづく

追記
 DASHは、対潜魚雷ないし核爆雷を搭載して目標付近で待機し、索敵と攻撃の時差をなくすことを狙って開発されました。ようはアスロックと同じ狙いのものです。
 使用された機体は数種ありました。いずれも二重反転ローター方式で、最大運用距離は40km弱でした。合計で700機以上が生産されましたが、約半数が事故で消耗したと言います。
 なお少数がベトナム戦争中に偵察用に流用されたそうです。
Kmax.png
 SH-2こそ普通の方式ながら、カマン社は今でも並列双ローター型のK-MAXを生産しています。

宿題

 8月もお終い、名残にプールに行ってきました。自転車がパンクしてしまっていたので、歩いて。
 大変よく晴れて、それなりに暑いですが、陽光には盛りの火力は無い気がします。見上げても入道雲は見えず、代わって千切れ雲が浮かんでいます。
 途中、自転車屋によって、パンクした愛車を預けます。

 プールサイドには、まだまだ子供の姿が一杯でした。赤い水泳帽を顔に被ってタオルマントをなびかせて走り回っている、小さな怪人がいます。
 屋台から流れてくる焼そばソースの甘酸っぱい匂いをかぎながら、文庫本を読んで、背中が少し熱くなってきたら、2、3百メートルだけ泳いで。そのように5時間ほど。

 帰りにハンバーガー屋に寄ると、数人の小学生がテーブルを囲んで問題集とノートを広げていました。少年たちのシャーペンは止まっています。ポテトをかじりながらの話題は、血液型。
 ある少年が言います。
「俺、AB型で、母親もAB型。で、父ちゃんがO型。」
 すかさず、AB型って二重人格じゃん、というつっこみが仲間から。必死に抗議する少年。

 でも、本当につっこむべきは二重人格という点ではない、と少年たちが気付くのは、いつのことでしょうか。彼らが開いていたのは理科の問題集のようですが、遺伝の話は、たぶんまだ出てこないでしょう。まあ、これは、ずっと解けないほうが良い宿題かもしれませんが。
 自転車屋で直った愛車を受け取り、家へ走ると、ヒグラシが鳴き始めました。

回転翼の海鳥たち(第17回)

17.新八八艦隊(しんはちはちかんたい)
 第二次世界大戦での敗戦により、日本海軍は公式には消滅しました。しかし、第二復員省などを経て、海上自衛隊と海上保安庁として復活を遂げたのはご承知の通りです。

 さて追記に記したような特殊な例外を除くと、新生日本海軍が所有した最初のヘリコプター母艦は、海上保安庁の南極観測船「宗谷」(1956年)になります。(第14回参照
 一方、海上自衛隊に限って言えば、1960年に就役した掃海母艦「はやとも」が、回転翼機の搭載設備を有する最初の例になるのではないかと思われます。これは、米海軍所属の揚陸艦「LST-802」改装の掃海母艦を供与されたもので、おそらく追記に書いた朝鮮戦争時の改装LSTと同様の性能です。
LST_siretoko.png ついで、1962年、同じく元米軍LSTの輸送艦「しれとこ」(左画像)にも改装工事が施され、ヘリコプターの発着設備が設けられます。建造中の新型砕氷艦「ふじ」艦載機の搭乗員訓練用でした。
 そして、1965年、海上自衛隊最初の本格的なヘリ搭載艦である砕氷艦「ふじ」が就役するのです。戦後20年が経っていました。

 戦闘用の護衛艦への搭載例として最初となったのは、1967年就役の護衛艦「たかつき」への無人ヘリDASH採用でした。米海軍に習ったものですが、既述のように米海軍で使用中止になると、これは部品供給が絶たれて使用中止に追い込まれてしまいます。
 しかし、カナダ海軍でベア・トラップが開発され、小型艦でも本格対潜ヘリコプターの運用が可能になると、海上自衛隊にもヘリコプター搭載護衛艦DDHが就役することになりました。海上自衛隊には、警備隊時代からずっと対潜空母の保有構想が存在してきましたが、ついにその夢が(少しだけ)実現することになったわけです。
DDH_haruna.png
  1967年からの三次防のなかで2隻が計画され、1973年にDDHの1番艦「はるな」が就役しました。1964年就役のイタリア海軍ヘリコプター巡洋艦「アンドレア・ドリア」に類似した艦ですが、搭載機は大型のHSS-2対潜ヘリが3機と強化されていました。改良型の「しらね」型も合わせ4隻が整備され、現在に至るまで自衛隊の洋上航空戦力の中核となっています。なお、前出の輸送艦「しれとこ」が再び改装され、ベアトラップの導入試験に用いられています。

 ところで、かつての日本海軍には「八八艦隊」と称する戦艦8隻・巡洋戦艦8隻の艦隊構想がありました。
 後継者の海上自衛隊にも、通称「新八八艦隊」という艦隊構想が生まれることになります。護衛艦8隻に艦載ヘリ8機をもって1個護衛隊群とする構想です。従前の研究の結果、対潜作戦には護衛艦8隻を集中するのが効率的ということが判明していましたが、これに艦載ヘリ8機を組ませることとしたものです。
 実は、当初は各護衛隊群にDDH2隻を配備しヘリ6機を運用する、いわば八六艦隊の構想でした。6機を配備すれば4機は即応体制に置け、2機組の攻撃部隊が2組作れるという計算だったようです。
hss2.png しかし、そのうち、艦隊の前方警戒のために1機を空中待機させたい、高性能の原潜に対処するには3機組でないと効果が薄いなどの事情から、汎用護衛艦にもヘリコプターを配備して編成変えし、8機に増やすという結論になったようです。8機あれば6機は即応体制を期待できる計算だといいます。
 かくて1982年に、ヘリコプター1機を搭載した汎用護衛艦「はつゆき」型の配備が始まり、構成艦・搭載機を更新しつつ、1990年代中盤には八八艦隊編成の護衛隊群4個が完成するに至ったのです。(第18回へ続く


追記
 海上自衛隊の前身である海上警備隊が成立したのは朝鮮戦争のときですが、いささか強引に言えば、戦後最初の「日本の」艦載回転翼機が出現したのも、この朝鮮戦争のときではないかと思われます。
 朝鮮戦争には、海上保安庁の掃海部隊が派遣されたのが知られていますが、これとは別に、日本の民間船籍の揚陸艦も従軍していました。当時の日本には、引揚船や民需用として使用するために、旧米海軍のLST型揚陸艦が多数貸与されていました。これらが国連軍に傭船されることになり、日本人船員ごと軍事輸送に駆り出されたのです。
 そして、これらのLSTの中に、改装工事を受けて臨時のヘリコプター搭載掃海母艦になったものがあったのです。既述のように、米海軍自身が有するLSTの中にも同目的の改装を受けたものがあり、これと同様の改装とすれば最大でヘリコプター3機が搭載できたものと思われます。少なくともSCAJAPナンバー(占領軍が日本船に割り当てていた整理番号)でいうと「LST-Q007」「Q009」「Q012」の3隻が改装されたようです。もちろん、搭載されたヘリコプターは米海軍所属のものですが。

水母の起源

 「水母」といっても、クラゲの話ではありません。クラゲの起源はカンブリア紀にさかのぼると聞きますが。
 水上機母艦のお話です。世界初の水上機母艦は日本の「若宮丸」ではないかとの指摘を頂いたのですが。

1910年、水上機が実用化される。
1911年、米装甲巡「ペンシルヴァニア」で、水上機発着実験に成功。
 同年、敷設艦「フードル」(旧水雷母艦)が、航空機搭載設備を装備。
1912年、敷設艦「フードル」が、本格的な水上機母艦に改装完了。
1913年、運送船「若宮丸」が、臨時に水上機3機を搭載し、演習に参加。
1914年5月、「フードル」で、滑走台からの発進に成功。
 同年6月、米海軍が、戦艦「ミシシッピ」等に水上機を搭載し実戦使用。
 同年8月、「若宮丸」、水上機母艦としての艤装完了。
 同年9月、「若宮丸」、青島攻略に参加。

 概ね、水上機母艦の出現から実戦までの歴史は、以上のような経過のようです。
 見ての通り、フランス海軍の「フードル」の方が、最初の水上機母艦と呼ぶにふさわしいかと思われます。1912年の同艦の改装完了をもって、水上機母艦が誕生したと言えるのでは無いでしょうか。
 1912年の「フードル」の航空設備は、8機分の格納庫のほかに、艦首には滑走台が設置されていました。1914年5月には、この滑走台を利用した発艦にも成功しています。

 この点につき、1914年5月を「フードル」の実用開始と誤解して、1913年に発進させた「若宮丸」の方が世界初と言う方がいらっしゃいます。
 しかし、1913年段階の「若宮丸」は、演習に際して臨時に水上機を積んだだけです。母艦と呼ぶのは、やや苦しい気がします。「若宮丸」の改装が完了した1914年8月では、結局「フードル」よりも後になってしまいます。
 それに、前述の通り、1914年5月は、「フードル」の滑走台を利用した発進実験の日であり、「若宮丸」同様の水上発進は、1912年にすぐに行われているようです。ちなみに、「若宮丸」が滑走台からの搭載機発進実験に成功するのは、1920年のことになります。

 一方で、実戦に用いられた最初の水上機母艦というタイトルは、「若宮丸」のものとして良いかと思います。1914年9月の、有名な青島攻略作戦です。

 もっとも、1913年の「若宮丸」のように、臨時に積んだだけでも水上機母艦と呼ぶとしたなら、1914年4月のアメリカ海軍の例が、世界初ということになるかもしれません。メキシコ内戦への介入において、前ド級戦艦「ミシシッピ」及び軽巡「バーミンガム」が、それぞれ1機の水上機を搭載して実戦参加しています。以前にも少しだけ触れたベラクルス上陸作戦です。
 部隊上陸後、計2機の水上機は「ミシシッピ」に集中され、偵察や連絡任務に活躍しています。当時「ミシシッピ」は、水上機の訓練部隊付属の母艦になっていて、整備・補給設備を設置されていたようです。最長1ヵ月半近くにわたって、地上整備無しでの水上機運用を継続しており、それなりに充実した航空設備があったように思います。ただし、追記のように戦艦として輸出されていますから、基本デザインの変更まではないでしょう。
 同年夏には、同様に臨時改装を受けた装甲巡洋艦「ノースカロライナ」に母艦任務を引き継いでいます。なおこの「ノースカロライナ」は、翌年に、世界初の艦載機カタパルトを装備して、航空巡洋艦と呼ぶべき姿になっています。最大5機を搭載して、カリブ海方面での警備任務を行ったといいます。

 このほか、バルカン戦争(1912~1913)の際に、ギリシャ海軍が貨物船に水上機を搭載して実戦投入したという話も、福井静夫氏の著作で見たことがあります。ただ、ほかの資料で確認したことが無いのですが。


追記
 戦艦「ミシシッピ」は、その後、姉妹艦と共にギリシャに輸出され、ギリシャ戦艦「キルキス」となっています。「キルキス」は、第二次世界大戦時に、ドイツ空軍の爆撃で撃沈されることになります。

参考文献
佐藤和正「空母入門」(新装版、光人社NF文庫、2005年)
瀬名堯彦「世界の『水上機母艦』発達史」(「丸」(潮書房)に連載中)
福井静夫「世界空母物語」(福井静夫集第3巻、光人社、1993年)
 

回転翼の海鳥たち(第18回)

18.赤い赤いカモフカモフ
 米海軍を代表する艦載ヘリのメーカーは、シコルスキー社といういかにもロシア風の名前ですが、これは創設者シコルスキー氏がロシアからの亡命者だったからです。

 他の国で始まったのと同様、ロシア=ソ連でも、独自に艦載回転翼機の開発が進められてきました。亡命以前のシコルスキーもヘリコプターの研究をしていたようですが、ソ連で実用級の回転翼機が誕生したのは1930年代になってからです。輸入したシエルバ系オートジャイロの模倣から始まったその研究の、中心にいた人物がニコライ・カモフ(Nikolai Kamov)でした。
 1934年に実用級のカモフA-7オートジャイロの初飛行に成功すると、2年後の1936年には改良型A-7bis(A-7-3)の軍用観測機としての制式採用にこぎつけます。A-7bisは7.62mm機銃3丁のほかにロケット弾まで搭載でき、おそらく史上初の本格的な武装回転翼機です。第二次世界大戦中には、少なくとも5機が第163戦闘機連隊に配備され、1941年にスモレンスク付近で連絡任務やビラ散布に実戦投入されたようです。1939年のノモンハン事件にソ連軍のオートジャイロが出現したという話を聞いたことがありますが、もし事実であればA-7bisであろうと思います。
 そして、このA-7bisは、ソ連にとって最初の艦載回転翼機でもあります。1938年にパパーニン観測隊の救出に向かった砕氷艦「イェルマーク(Yermak)」に、A-7bisが1機臨時搭載されていたと言われます。もっとも、本家シエルバのようなジャンプ発進が可能と思えないので、一旦氷上に降ろして滑走する必要があったのではないかと思いますが。

 一方、実用級ヘリコプターの開発に成功したのは、第二次世界大戦後の1947年初飛行の単座機カモフKa-8ででした。カモフ系列のヘリコプターは、二重反転ローターという形式が特徴ですが、この最初のKa-8もすでに二重反転ローターを採用しています。
 二重反転ローターとは、主ローターを二段重にして逆回転させることで、機体への回転トルクを打ち消す技術です。第一次世界大戦時にはすでにオーストリアが試験していたように、割合に古くから注目されていたものですが、量産化したのはカモフが嚆矢のようです。
 このKa-8にソ連海軍が注目します。さっそく改良型のKa-10が開発され、1950年末には、巡洋艦「マクシム・ゴーリキー(Maxim Gorky)」での艦上試験に成功しました。その後、黒海艦隊でより実戦的な艦上運用試験が始まり、1953年の演習時には連絡任務などに使用されています。

 しかし、運用試験を重ねるにつれ、小型すぎるKa-10の限界が見えてきます。単座機では連絡将校を運ぶこともできませんし、なんといっても開放式コクピットでは、ロシア領海上空は寒すぎたようです。
 そこで新型艦上ヘリの競争試作が命じられます。カモフ設計局と戦うは、東側回転翼機のもう一方の雄ミーリ(ミル)設計局。完成したカモフKa-15とミーリMi-1により、巡洋艦「ミハイル・クトゥーゾフ(Mikhail Kutuzov)」上での比較試験が行われた結果、見事勝利を収めたのはカモフでした。テール・ローター方式なので「しっぽ」の分だけ全長の長いMi-1に対し、二重反転ローターのおかげで「しっぽ」の無いKa-15のほうが、コンパクトで艦上運用に向いているとの判定になったのです。
 ライバルを破ったカモフは、現在に至るまでソ連=ロシアの艦上ヘリを独占することに成功しています。

 1958年から、56型(コトリン級)駆逐艦「スヴェトリィ(Svetly)」にヘリ甲板が装着され、対潜型Ka-15の試験が始まります。西側の初期対潜ヘリがハンター・キラー方式の 2機組で運用されたのと似て、搭載力の関係上、爆雷を積んだ攻撃機とソノブイ運搬機、それにソノブイの受信解析機の3機組でないと作戦できなかったようです。その後、Ka-15搭載の57型(クルップニイ級)駆逐艦8隻を建造し、62年10月に実戦配備しています。西側のベア・トラップのような着艦装置に相当する設備としては、甲板上に網を張って横滑りを防ぐ方式がとられていました。
kamov25.png  1966年には、より高性能のKa-25(ホーモン)の艦隊配備が始まります。Ka-25には、対潜用のA型のほか、長距離ミサイルの中間誘導装置を積んだB型などの派生型が生まれました。ただ、比較的小型の機体だったので対潜作戦時には2機組での使用が依然として必要でしたし、自動ホバリング機能が無いなどの弱点もありました。それでも、ソ連水上部隊は、本土をうかがう西側の戦略原潜に立ち向かうため、頼れる杖を手に入れたことになります。
 ヘリコプター巡洋艦「モスクワ(Moscow)」級も翌1967年に就役し、14機ものKa-25Aを搭載したこの艦は、ソ連艦載回転翼機史上のひとつの到達点となったのです。

 その後のソ連は、VTOL空母「キエフ(Kiev)」級や強襲揚陸艦「イワン・ロゴフ(Ivan Rogov)」級を就役させ、艦載ヘリの活用を広げていきました。
 そして、それらの艦上には、いつもカモフ設計局謹製のKa-25系列、新型のKa-27系列の二重反転ローター機が居たのでした。(第19回へ続く
kiev.png(「キエフ」級空母)

回転翼の海鳥たち(第19回)

19.新しき猛禽の巣立ち
 いまや艦載ヘリコプターの存在はすっかり定着しましたが、さらに新しい回転翼艦載機も実現しようとしています。ひとつは転換式航空機と呼ばれるグループ、もうひとつは無人回転翼機グループです。

(1)転換式航空機
 転換式航空機Convertible Aircraftとは、ヘリコプターのように垂直離陸VTOLして、飛行機のように飛ぶ機体のことです。滑走路が要らず、ヘリコプターよりも高速という夢のような機体です。
 その起源は1941年頃のドイツに遡ります。軍用ヘリ一号Fa223を実現したフォッケ・アハゲリス社が研究したもので、Fa269と称する機体でした。主翼に左右一基ずつのローターを装備して一見双発機に見えますが、エンジンは胴体に装備した1基だけという凝った造りの単発機として計画されます。離陸時にはローターを下向きにして揚力を得て、離陸後は後向きにローターを向けて推進式のプロペラ機として飛ぶ……はずでした。木製模型のみで終わっています。完成すれば艦上戦闘機などに用いる予定だったといいます。
tiltwing.png

 転換式航空機が実際に艦上に姿を見せたのは、1960年代のことです。米軍向けにヴォート社やヒラー社の共同開発した4発輸送機XC-142が、1966年5月18日に米空母「ベニントンBennington」での艦上試験に成功します。このXC-142は、ローターだけの向きを変えるのではなく、エンジンのついた主翼ごと向きを変えるティルト・ウイングと呼ばれる形式の転換機構を備えていました。(これに対して、Fa269のようなローター部分だけの向きを変える形式をティルト・ローターと呼びます。)
 ついで1971年には、カナダが開発した同じくティルト・ウイング形式の双発輸送機カナディアCL-84も、米強襲揚陸艦「グアムGuam」での艦上試験を行っています。
 しかし、この2つの機体は、いずれも採用されることはありませんでした。

v22.png このように構想は古くからあっても、長年実用化されなかったこの分野の機体ですが、20世紀末についに制式採用機が登場します。それがベル・ボーイングV-22「オスプレイOsprey」です。愛称はミサゴという猛禽類の一種のこと。
 代表的なヘリコプターメーカーのひとつベル社は、1955年にティルト・ローター機XV-3を初飛行させ、1977年には米陸軍の依頼にこたえてXV-15を試作してきました。このXV-15が好成績を収めた結果、1982年にV-22の開発計画が決まったのです。
 その計画の中に、海兵隊向けの強襲揚陸仕様が含まれていました。既存の艦載輸送ヘリCH-46などに替わって配備される予定です。なお艦載用としては、他に早期警戒仕様なども提案されてはいるようです。
 1989年に試作機が初飛行し、翌年には強襲揚陸艦「ワスプWasp」での艦上試験にも成功します。その後、何度も開発中止の危機を乗り越え、1996年には先行量産開始、2005年には本格生産も決定されています。すでにイラクで実戦試験も始まったようです。
 ヘリコプターに替わって甲板上に並ぶ日も、そう遠くないことでしょう。(最終回へ
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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Twitter:baron_yamaneko

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