山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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世界のミリメシを実食する―兵士の給食・レーション

 神保町の祭りに行って来て不思議だったのが、レトルト食品の露店が出ていたことです。本を買いに来た人が、このシチュー美味しそう、などと買うとは思えないのですが。実際、繁盛している気配は無く。


菊月俊之「兵士の給食・レーション 世界のミリメシを実食する」
                 (ワールドフォトプレス,2006年)

世界のミリメシを実食する―兵士の給食・レーション (ワールド・ムック (612))総合評価:★★★★★
 アメリカ独立戦争から来年導入予定の最新型まで、古今東西の軍隊食事情を、全ページカラーの豊富な写真・絵画とともに一望する楽しいムック本。
 いわゆる「レーション」の携帯糧食は、各国現用の19種類を紹介するほか、過去の戦場で用いられたものも、歴史として振り返る。
 さらに、平時の給食や調理器具などについても。自衛隊のお誕生日食、コーヒーミル内蔵型小銃、ロシア宇宙軍用ストーブなんてご存知であろうか?
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ケルト人のやり方

 ハロウィンが近づいて、オレンジ色のお化けかぼちゃが、ショーウィンドウなどに姿を見せています。
 もともとは「蛮族」ケルト人の大晦日だそうですね。
 海外作家のホラーやファンタジー作品のお決まりの題材です。例えば、レイ・ブラッドベリも、いくつも書いています。「十月のゲーム」「ハロウィーンがやってきた」……等々いずれもおすすめです。「何かが道をやってくる」も10月の話ですね。

 さて、昨日の記事の「サハラに舞う羽根」にも、ケルトの風習らしいものが出てきました。
 主人公ハリーの婚約者エスネが、ハリーとの婚約を解消して、思い出の品を整理する場面です。エスネは、ひとつだけ記念として手元に残しておこうと考えます。
 そして、『ポケットナイフで、まえに借りて返すのを忘れていたもの』を一度は手に取るのですが、止めます。『結局彼女もアイルランドの娘であり、自分では迷信など信じてはいないと思っていたが、それでも縁起の悪いことは少しでも避けたかった。』
 代わりに、彼女は、写真を一枚残すことにしています。

 エスネの出身地アイルランドは、ケルトの地とされますから、問題になっている『迷信』もケルトのものでしょう。
 ただ、私には、具体的にどういった部分が縁起が悪いのかが、よくわかりません。(1)返すのを忘れていたもの、である点なのか、それとも(2)ナイフあるいは刃物である点なのかのいずれかだろうと思うのですが。形見分けのようになってしまい、相手に実際に不幸が起こると言う言い伝えなのでしょうか。
 当時の英国人にとっては、こうした言い伝えの存在は常識だったのでしょうが、詳しく知らない私にはさっぱりです。そんな認識の違いを感じるのも楽しいのですけれどね。
 創元文庫から別な訳本が出ているので、そちらになら注があるでしょうか……と思ったのですが、近くの公立図書館で読んでみたところ、注はありませんでした。そもそも訳が若干違っています。ますます困りました。

サハラに舞う羽根

 テレビ東京の映画番組「木曜洋画劇場」は、妙に面白い作品を放送してくれることがあります。期待しないで見ていると特に。
 だいぶ前ですが、何の気なしにチャンネルを回したら、砂漠を進軍する英軍ラクダ部隊が映って、見入ってしまいました。真っ赤な制服、白いヘルメットの兵士が、ラッパに従って方陣を組んでいるのは、なかなか様になっていました。「サハラに舞う羽根」という映画でした。


A・E・W・メイスン「サハラに舞う羽根」
金原瑞人・杉田七重(訳) 原題“The Four Feathers”(角川文庫,2003年)

サハラに舞う羽根 (角川文庫)
総合評価:★★★★☆
 19世紀末、大英帝国の栄光の頃。
 エジプト出征が近いことを知った青年将校ハリーは、そ知らぬ振りで、婚約を理由に軍籍を離れる。彼は、戦場で臆病な振る舞いをするのではないかと、ずっと怯えていたのだ。
 しかし、出征を知って逃げたことは、すぐに3人の同僚にわかり、彼は臆病者の印「白い羽根」を送りつけられる。そして婚約者エスネまでもが、それを知って、白い羽根を突きつけたのだった。
 全てを失ったハリーは、4枚の羽根を返上する機会を求めて、単身エジプトへ向かうことを決意する。

雨の日に飲むもの

 昨日から、東京では久しぶりの雨が降っています。
 冷たい雨です。

 こういう雨の日には、紅茶がとてもおいしい気がします。
 温かく、香り高い湯気が立ち上るカップを用意して、本のページをめくれば、とても幸せです。
 BGMをかけるのも悪くないですが、雨垂れの音だけでも良く合います。

 ブランデーを垂らすと美味しいと聞きますが、試したことはありません。今度、小瓶で買って来ようと思いながら、いつも買い忘れています。
 ちなみに、小雪さんがCMに出ていた「マカディア」を入れるのが、結構美味しいと思います。少し甘く、体が温まって、夜に飲むに良いです。
 マカディアには、今年の春先、猫のおまけフィギュアが付いていました。自室の机の上に、3匹並んでいます。

ヘリコプター作戦

 魚群探知に航空機が使われたことがあったようです。
 第二次大戦中にも、対潜哨戒をしていた米海軍の飛行船が、潜水艦ではなく魚群を見つけて通報し、感謝をされたことが何度もあったとか。
 遠洋船団の中には、ヘリコプターを母船に積み込んで、目標の魚群や鯨群を捜索した例もあるようです。「回転翼の海鳥」の平和利用ということで、気になって資料を探しているのですが、あまり見つかりません。


ハワード・ホィーラー「ヘリコプター作戦」
     芳地昌三(訳)      (朝日ソノラマ文庫,1990年) 

総合評価:★★★★★
 輸送機から対潜哨戒、攻撃ヘリに救命用まで、いまや軍事的に欠かせない存在となった、ヘリコプター。
 その発達過程を、ヘリコプター実用化以前のオートジャイロから説き起こし、近くは湾岸戦争まで網羅した軍用回転翼機通史。

イタリア軍入門 1939~1945―第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち

 好きなジブリ映画はなんですか。
 私は「紅の豚」と答えますが、なかなか同志はみつかりません。


吉川和篤/山野治夫「イタリア軍入門」
                 (イカロス出版,2006年)

イタリア軍入門 1939~1945―第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち (ミリタリー選書)総合評価:★★★★★
 第二次世界大戦の同盟国ながら、日本では影が薄く、その脆弱性のみが話題とされてきたイタリア軍。
 しかし、彼らイタリアにも、古代ローマの栄光に恥じない、特筆すべき戦いぶりがあったのである。
 戦歴・装備から、兵士の食卓まで。多数の図版と共に語る、WWIIイタリアの画期的入門書。

ルソンの押収自走砲

山本七平著作集よりメモ。
第103師団(「駿」兵団)師団砲兵隊(羽田少佐)所属。見習士官→少尉。

師団砲兵隊は4個中隊編制で、砲数18門。野砲編制。
うち38式改造野砲4、「12センチ榴弾砲(125mm口径)」1以外は、鹵獲兵器中心で装備。
「旧式山砲」や沈船から回収した船舶砲兵の野砲(これも38式か)なども保有。

第4中隊のみは、緒戦時に鹵獲した「押収自走砲」4門で編制。
75mm砲搭載のハーフトラック(おそらくM3自走砲)。
かなり劣化しており、履帯脱落など故障頻発。メートル単位系でないため、照準に難儀。
自走砲弾薬は、8000発確保。
燃料ガソリンが不足するうえ、燃費悪く行動困難。ダッグイン中心。

なお、第103師団には「師団戦車隊」もあり、自走砲中隊とは整備等で協力関係。
装備車両は89式甲を3両。著者によれば、大阪陸軍工廠の廃品再生。
(あるいは戦車第2師団の分遣隊か、配属の独立戦車中隊の一部か?)
師団自動車隊は海没。

米軍上陸時は、ルソン島北部アパリに展開。
師団主力は、1945年3月にバレテ増援のため南下し、途中壊滅。
自走砲中隊主力(3門)も、ツゲガラオ付近で全滅。

著者含む残置隊(歩兵1大隊基幹)には、各中隊から抽出の砲兵。
12榴、自走砲各1門、野砲・山砲各2門。但し、病兵と故障機材ばかりの員数部隊。
結局、ほとんど使用せず、放棄。


追記
戦史叢書の記述よりメモ。
第103師団砲兵隊は、迫撃砲中隊(第3中隊)、臼砲中隊を保有。
配属戦車部隊は、軽戦車2個中隊。ひとつは独立戦車第9中隊(中島戦車隊)。
(もうひとつは、津守独立戦車中隊か?)
(別に、師団固有の戦車隊も存在の可能性はありか?第102師団に「特殊戦車隊」有)

第103師団転進決定は、4月末。沖縄戦との関連+バレテ方面の危機。
アパリ残置部隊(湯口支隊:歩80旅団長指揮)は、独歩177、180大隊基幹。
師団主力は、オリオン峠占領のため、ほとんど行軍隊形のまま分散交戦し壊滅。
臼砲中隊、独立戦車第9中隊などは軍直轄とされ別行動。
湯口支隊は、空挺降下をうけ、後退しつつ崩壊。

ちょっと勇魚捕り史

 昨日の記事「鯨飲は原因か」で頂戴したユウ氏のコメントで、『日本の捕鯨の歴史をアピールしてますが、実際調べてみると?なこと多いです』とのご指摘がありました。
 気になって、手元の資料で少しだけ調べたところ、なかなか面白かったので一部ご紹介させて頂きます。

 日本での本格的な捕鯨は、江戸初期頃に起源があるのだそうです。
 始めは「突捕り式」と呼ばれる、小型船から手投げ銛を使って捕獲する方法でした。
 そのうち、有名な紀州太地の辺りで発明されたのが、「網捕り式」という、先にクジラを網で包み込んでから銛を打つ方法です。死ぬと沈んでしまう種類のクジラでも、捕獲することが可能になったのが改良点のようです。

 ただ、太地の捕鯨は、享保頃に最盛期を迎えた後、以後は早くも衰退期に入るようです。二野瓶徳夫「日本漁業近代史」に拠れば、沿岸のクジラ資源の枯渇ないし回遊パターンの変化に原因があるのではないかと言います。
 ネットで調べると米国船の捕鯨拡大や「背美(せみ)流れ」という一大遭難事故が原因と書かれていることが多いです。しかし実際には、それ以前に衰退が始まっていたようで、個人的には新発見でした。

 一方、近代的な捕鯨砲を使った「ノルウェー式」捕鯨の導入のきっかけは、ロシアの南下政策と関係があるそうです。
 日本近海で本格的なノルウェー式捕鯨を開始したのは、ロシア人なのだと言います。ロシア皇太子(後の皇帝ニコライ2世)が訪日した際、随員のカイゼリング伯爵が、鯨資源が豊富なことを知り「太平洋漁業社」を設立。日本向けに鯨肉輸出を始めたのでした。
 この「太平洋漁業社」には、もうひとつ裏の顔があったと言います。それは、一種のスパイ組織でした。ロシア政府の資金を得て、極東方面の測量活動を行っていたようです。極東での南下政策の一端を担っていたわけです。

 「太平洋漁業社」の成功を見て、日本でもいくつかの企業が、ノルウェー式捕鯨に乗り出しました。
 最初に成功したのが、1899年創業の「日本遠洋漁業株式会社」でした。創業者は、ロシアの捕鯨を直接見てきた代議士だそうです。
 日露戦争後には、ロシアからの鹵獲捕鯨船3隻の払い下げを受けるなどし、日本のノルウェー式捕鯨は急速に発展していきます。

 ところが捕鯨の発展は、必ずしも歓迎されなかったようです。
 日本では、クジラは、しばしば漁民の信仰の対象になっていました。クジラが魚群を追いかけて出現することから、クジラの存在が豊漁と結びつき、「恵比寿」と称されたとか。北欧でもニシンの仲間Seiを漁場に呼んでくれるという似たような伝承があるそうで、イワシクジラの英名Sei-whaleの由来となっているとか。
 従来は漂着鯨を授かり物として利用するだけでいたところ、恵比寿様を殺すとは何事かとなったようです。魚が取れなくなったらどうすると。
 さらに、捕鯨に伴う公害も、実質的問題でした。捕鯨業者は、クジラを解体した後、価値の高い皮脂や上級肉のみを利用していました。残りは、付近に海洋投棄していたようです。
 その後、工場を建設して低級肉や骨なども肥料として利用するようになったため、多少は改善されたものの、今度は捕鯨シーズン以外も工場からの廃棄物や騒音、悪臭などが出るようになってしまいました。

 1911年には、1000人以上の漁民が捕鯨事業場を焼き討ちし、死傷34人を出す大惨事まで発生したようです。もともと捕鯨の習慣がなかった地域へ、新興産業の近代捕鯨が乗り込んできたため、生じた悲劇と言えるかもしれません。

 私は、いままで、捕鯨推進派の主張内容のほうが、基本的に真実に近いと思ってきました。
 でも、昨日から、ちょっと調べてみた今の感想としては、推進派・反対派とも相当変なことを言っているのねと言う風に変わってしまいました。

<参考文献>
二野瓶徳夫「日本漁業近代史」(平凡社,1999年)

鯨飲は原因か

 サンマ、大変おいしく頂いています。サンマという魚は、年によって豊漁・不漁がだいぶ変動がある生き物のようですが、今年は豊漁とか。
 ふと思い出したのが、変動の一因にクジラが絡んでいるという話です。大学の歴史学の講義で、なぜか取り上げられていて、聞いた記憶があります。当時の資料を引っ張り出して見てみると、人類が利用している海面水産物の数倍をクジラが食べているとあります。なるほど。

 原資料の小松正之「くじら紛争の真実」にあたると、人類の海面生産9000万tに対して、クジラ類の捕食量は3~5億tとありました。ミンククジラはサンマやイワシを食い荒らしていると写真付きで載っています。
 著者は、捕鯨が、食糧危機の救世主となりうると言っています。増えすぎたクジラを減らせば、水産資源のより効率的利用ができるということのようです。

 ただ、よく読むと、この数字はちょっと大げさなように思えました。
 実際には人間と競合しない部分が多く含まれているようです。
 付表を見ると、クジラ側の算定ベースになっているのは、シロナガスクジラやミンククジラなどのヒゲクジラのほか、マッコウクジラやイルカ類まで含めた推定値です。
 ところが、同書によると、このうちマッコウクジラなどは深海イカを主食としているとあります。さらに、南極にいるクジラは、ナンキョクオキアミというプランクトンだけを食べるのだそうです。太平洋などのヒゲクジラも、別に魚だけを食べるわけではなく色々食べるようです。
 著者自身、深海魚やオキアミは人が好むものではないとして、利用可能資源の計算から除外しようとしているのに、一方で計算に入れるのは適当では無いでしょう。
 非常におおざっぱな計算ですが、こうした非競合分は2億~3億5000万tくらいになりそうです。マッコウクジラと、南極のヒゲクジラと、太平洋のヒゲクジラの半数の消費量を足した数字です。

 そうすると、実際の競合分は、せいぜい1億t~1億5000万tといったところとなりそうです。それでも人間以上の量ですから、なかなか大きな数字です。
 ただ、色々な種類を全部合わせてこの量ということを考えると、雑食なのにこれだけ食べるホモ・サピエンスの方がすさまじいかなとも、私には思えます。

 クジラに漁獲減少の責任を被せるのは、ちょっと無理があるんじゃないかなというのが個人的な結論です。人間の方が増えたから、最近競合するようになってきたというのが、客観的なところではないでしょうか。
 それにクジラを減らしても、それで単純に人間の取り分が増えるほど、生態系は単純ではないような気がするんですけどね。例えばマッコウクジラを減らすと、生き延びるイカが増えて、それがイワシをもっと食べるかもしれないなあなどと。
 人間の知ってることなんて、まだまだ少ないでしょう。生物を『合理的に管理すべき人類』なんて発想は、いまのところ忘れておいたほうが賢いと思うのですけど。

 少しだけ利用させて下さいくらいが良いとこなんじゃないかな、と思いつつ、食べるサンマのはらわたはちょっと苦いのです。

参考
小松正之「くじら紛争の真実 その知られざる過去・現在、そして地球の未来」(地球社,2001年)

フランコ スペイン現代史の迷路

色摩力夫「フランコ スペイン現代史の迷路」
                (中央公論新社,2000年)

フランコ スペイン現代史の迷路 (中公叢書)総合評価:★★★★★
 時にヒトラーと並ぶ極悪ファシストとされ、また一方では卓越した外交手腕を誇る天才のようにも描かれる、独裁者フランコ将軍。しかし、それらの見方は、いずれも「神話」に過ぎないのではないか。
 一見難解な過程を辿るフランコの人生を、元外交官の著者が出生から丹念に追い、同時にスペイン現代史の断章「フランコ時代」の実体にも迫る。

 本書タイトルの「迷路」というのは、フランコの政治的・外交的選択の外面を言っています。スペイン内戦では「ファシスト」でありながら、第二次大戦では中立を選びチャーチルに感謝されたり。それでいながら、戦後は孤立し、王政復古を認め。確かに複雑です。
 ところが、著者は、フランコ個人は『面白くもおかしくも無い秀才』軍人とやや切り捨てるような表現をします。結果としての業績は優れたものとしながらも、彼の人物自体には別に冷静な観察を加えます。
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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Twitter:baron_yamaneko

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