山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

行き止まり、息止まり、生き止まり

 ブログを利用すれば誰でも簡単にウェブサイトを作れるようになったためか、ネット上でご自身の体験記を書かれる高齢の方が増えたようです。私は、従軍体験記を中心に、興味深く拝見しています。

 そうしているとしばしば、途中で執筆が止まってしまわれたものにも出会い、その事情を思ってぞっとすることがあります。お年を考えるとおそらく、と。
 読み進めてきて急に続きがなくなったとき、最後の日付に妙な現実感を持って死を想像してしまいます。苦しまれたのでしょうか。幸せな人生だったのでしょうか。
 それでも、お話の内容を拝見すると、日本に帰ってこられただけでも幸運であったのだろうかとも思います。

 サーバー会社によって、更新が途絶えたあと、一定期間でサイトが削除されてしまうことも多いようです。
 その中に、ご遺族の方が管理を引き継がれているものを見ると、とてもうれしい気持ちになります。

あらかじめ用意の絶筆に

 お気に入りにしていたサイトが休止・閉鎖すると、なんとも悲しいものです。しかたがないのだろう、事情はあるのだろうとは思いつつも、突然に404Errorになっていたりするのは、参ってしまいます。
 事前に告知があったり、あるいは運営に疲れているような雰囲気が感じられたりしていれば、まだ良いのですが。特に日記的な更新がまめだったブログの場合、管理人さんの身を案じてしまいます。

 こういうことがあったときにいつも、自分がブログをやめるときには、きちんと告知だけはしようと思います。
 その時に備えて、立派な絶筆を用意しておこうとも思うのですが、今のところ良いものが思いつきません。だから、今のところ止める予定はありません。

ノモンハン事件の反省文

 失敗は成功の母と言います。
 ノモンハン事件で日本陸軍はどういった教訓を得たのかを、知る手がかりになる資料を読んだので、メモを残しておきます。
『「ノモンハン」事件より得たる地上部隊の編制装備に関する意見提出の件』
(関東軍参謀長より、陸軍次官への報告という形の書類です。「昭和14年 満受大日記(密)第15号」に記録のものが、国立公文書館のアジア歴史資料センターで、リファレンスコードC01003495200として公開)

 歩兵大隊ごとに速射砲(対戦車砲)4門を装備させるべきである。
 事件中は、師団の各連隊固有装備に加え、第8国境守備隊と第1および第7師団の保有する全速射砲を追加装備させたが、それでようやく足りるくらいであった。
 連隊レベルには不要である。大隊装備の歩兵砲は迫撃砲に替えても良いから、実現させて欲しい。重点兵団には、大隊ごと8門にすべき。
(ソ連戦車、特に「量」がいかに脅威だったかを物語っている気がします。日本の標準型3単位歩兵師団は、連隊ごとに速射砲4門ですから、一挙に3倍~6倍という計算です。)

 歩兵直協の分以外に、師団に独立速射砲大隊12門を編合すべきである。
 師団砲兵を、敵戦車による迂回攻撃から防護するために必要。
(事件中には砲兵が直接戦闘に陥るケースが見られました。後述するように、師団砲兵が重量級になると、直接戦闘がさらに困難になることも考慮してでしょうか。師団全体の速射砲装備数は従来の12門から、48~84門+捜索連隊の保有分に、一挙に増加するはずです。)

 軍直轄の重砲を充実させる。
 別に平原地域の師団砲兵を大口径化するべき。主力砲を10センチ級にして、野戦重砲を装備させる。機械化も必要。暫定的には90式75mm野砲でも。
(従来装備の38式世代火砲は、短射程で役に立たなかったようです。)

 平原地域向け師団は、機動化を進め自動車装備を増やすべき。
 捜索連隊は、対戦車砲装備の乗車歩兵2個中隊と、戦車(ないし装甲車)中隊1個とする。乗馬騎兵は一切不要。但し、伝令用の自動車を追加する必要がある。
 輜重兵連隊は、自動車6個中隊編成にする。歩兵大隊3個程度を緊急展開できる規模。
(第23師団捜索隊は装甲車中隊を持ち、従来の騎兵連隊よりは近代化された存在のはずでした。しかし、実際には乗馬中隊と機動力が違いすぎ、兵力も不足で運用が困難だったようです。ちなみに装甲車ではなく戦車装備にする計画は、第一次事件の後の再建計画にもすでに見えています。)

 自動車部隊を補給用に増強する必要がある。
 満州既存の600両に加え、増援の4個中隊を投入したが、それでも不足だったため。
 各師団2個当てになる量の、自動車連隊を整備したい。
(ソ連の戦車に敗れたのではなく、トラックに負けたのだとする後世の評もあるくらいですから、良い着眼でしょう。)

 戦車部隊の整備に関しては、既定路線以上の増強は必要ない。
 確かに良く働いていたが、一方で、対戦車戦闘には歩兵の装備でも十分だということが判明した。但し、支那戦線向けには有用である。
(少し意外な感もあるかもしれません。しかし、費用対効果で考えると、火砲装備の方が優先というのは自然でしょう。ただ、一般に対歩兵用と言われる日本戦車なのに、対戦車任務が理由に挙がっているのが興味深い気がします。)

 おおむね以上のような内容でした。失敗に学ばない日本軍というイメージとは違い、きちんと教訓を得ているのがうかがえます。
 ただ残念ながら、ここでの提案は、ほとんど実現されないままに終わったようです。例えば、38式改造野砲(明治38年制式)は、終戦まで日本軍の主力野砲として戦わざるをえませんでした。90式野砲や10cm榴弾砲の生産が、師団の増加に追いつかなかったのです。速射砲の配備も、ほとんどの師団で連隊あて4門に留まり、臨時に独立速射砲大隊が配属されれば幸運といった程度に終わります。(おまけに、性能的にも旧式化してしまうのです。)
 それなりに実現されたのは、平原向け師団として第23師団が再建され砲兵が強力になったこと、その他優良師団への捜索連隊配備くらいではないでしょうか。捜索連隊は、優良なものでは乗車騎兵中隊と装甲車中隊が各2個に改編されたものが多いようです。
 なお、手元に資料がなく未確認ですが、関特演時の第1師団の編成が、理想形に一番近いかもしれません。確か師団砲兵の半数は野戦重砲で、大隊数4倍(36門)の速射砲を持っていたような記憶があります。さらに独立速射砲部隊も配属されていたような。

戦場を舞う天使

 旧日本軍というと、人命無視の組織という印象が強いのではないでしょうか。
 実際のところも、かなり軽視はされていたとは思います。日本で豊富な資源といえば人間だけですから、そうすることが、ある程度までは「合理的」判断でもあったのでしょう。
 ただ、そんな日本軍であっても、もちろん、できる限りは兵士の命を救おうとしていました。例えば、あのノモンハンの敗北の中でも、患者の航空輸送を行ってかなりの成果を残しているのです。

 ノモンハン事件において、日本軍は約2万人の戦死傷病者を出しています。兵站拠点だった最寄り駅ハイラルへの後送患者は1万2千人に及びました。
 そして、そのうちの3352名(27%)が、のべ767機の航空機によって搬送されたのです。(残り70%は車両輸送。)
 前線からハイラルまでの距離はおよそ200km。悪路のため、自動貨車(トラック)では2日がかりの道のりです。その距離を、航空輸送なら、わずか1時間半で移動することが可能でした。
 3ヶ月で3300人以上という規模は、当時としては史上最大の航空救急作戦だったものと思われます。報告書が『世界戦史上稀なる成果をあげたり』と誇らしげに記すだけのことはあります。

 日本陸軍は、航空機による患者輸送について、それなりの興味を抱いて研究をしていたようです。1925年に専用機の試作を始めています。
 世界的に見ると、第一次大戦中の1915年にフランス軍が使用したのが始まりと言います。フランス軍は、その後、モロッコでのリーフ戦争においても大規模な患者空輸を実施して、3年間で3000人を搬送しました。
 日本の実戦での使用例は、1932年に献納機「愛国2号」「愛国40号」を使ったのが始まりのようです。翌年の熱河作戦では、540名を搬送しています。雨季の泥濘で陸路が麻痺した場合に、重宝されたようです。

 日本で使用された機種は、ドルニエ「メルクール」(愛国2号)に始まり、デハビランド「プス・モスPuss Moth」「フォックス・モスFox Moth」やフォッカー「スーパー・ユニバーサルSuper Universal」、ユンカースJu160などの小型旅客機の改造機がありました。
kky.png さらに、石川島飛行機製作所(後の立川飛行機)が1934年に開発した、「小型患者輸送機KKY」(画像)という専用制式機も存在します。「フォックス・モス」をベースにした複葉機で、25機程度が製造されたようです。献納機として調達されたものもあります。
 いずれも不整地運用に適した頑丈な機体が多かったようです。対ソ戦での広大な草原での運用が意識されたものと思われます。ノモンハン事件は、想定通りのケースと言えそうです。
 ちなみにノモンハン事件では、軍の保有機体のほかに、満州航空所属の民間機も徴用され、活躍しました。通称「スーパー」「ユンケルス」と呼ばれていた「スーパー・ユニバーサル」「Ju160」の、合計3機以上が参加しています。うち1機は、空襲によってか、損傷しているようです。

 ただ残念なことに、日本軍にとって、患者輸送機はやはり贅沢品だったようです。連絡任務などに転用されて、本来の救命に使えない、という軍医の報告もあります。
 患者輸送機が意外に多かった献納機からも、太平洋戦争開戦後はその姿が消えます。戦闘機に重点が置かれたことのほか、主戦場が平原から海原に変わり、実際の使用も困難になったことの影響もありそうです。
 制空権も失われた後は、士官やパイロットなどの重要人物に限って救出するのが、精一杯になってしまいます。
 一方、連合軍はヘリコプターまで使って、前線からの救助を行っていたのでした。


<主要参考文献>
陸上自衛隊衛生学校編「大東亜戦争 陸軍衛生史」(1971年)より、
  『ノモンハン事件教訓事項(衛生関係)報告(抄)』(1940年)ほか。
「戦史叢書 関東軍(1)対ソ戦備・ノモンハン事件」(朝雲新聞社,1967年)
古典航空機電脳博物館
  中島飛行機がライセンス生産した「スーパー・ユニバーサル」患者輸送機の美しい絵。
アイコン&お絵描き工房」小型患者輸送機の画像提供元。
陸軍愛国号献納機調査報告」膨大な資料を基に献納機について研究されている。

今日はココアが美味しい特に

バンホーテンの缶を開けて、カップにココアをひとさじ。
砂糖もたっぷりとひとさじ。
お湯を少量注いで、スプーンでよく練る。
だまが無くなったら、牛乳を注ぐ。できれば乳脂肪分の多いもの。スプーンに付いた粉も溶けるよう、うまく牛乳をかける。
電子レンジにかけて温め、あつあつのうちに頂く。

猫舌のひとは、よく気をつけて、舌を火傷しないように。
好みで手でカップをくるむ様にして、手も温めながら。
表面に浮いた白い微細な泡の模様はなぜできるのだろうと、しみじみと眺めるのも好もしい。

体が求めているものは、不思議と特に美味しく感じられる気がする。
今日はココアが特に美味しい。指先までじわりとカカオ分が染み渡っていく。
風邪を引きかけのときに飲むと美味しいのだよな、と思い、体温を測ると7度5分あった。
どうりで美味しいわけである。
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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