山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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回転翼の海鳥たち(第9回)

9.海の上のエンジニア
(承前)このほか、対潜ヘリとはまったく別の試みとして、米陸軍の航空機修理船に搭載されたR-4部隊が存在します。
 航空機修理船USArmy Aircraft Repair Shipとは、海上航空修理部隊Aircraft Repair Units, Floatingの装備する貨物船改造の移動航空廠のことです。海上航空修理部隊は、地中海戦域で前線航空機整備の困難を知った米陸軍が、太平洋戦域での使用を考え編成した特務部隊です。その存在は秘密とされ、暗号名「象牙色の泡Ivory Soap」で呼ばれていました。

 改造の原型となったのはC3型戦時標準船、いわゆるリバティー船で、1944年秋に6隻が改装されました。船内の修理設備のほか、前部甲板には発着スポットと駐機スペースが各1機分ずつある飛行甲板が設けられ、R-4Bヘリコプターが2機搭載されています。重機材運搬用の水陸両用車なども積んでいます。兵装はリバティー船の標準武装に若干機銃を足した程度でしょうか。
libertyship_r4_helicopter
 乗員は、陸軍の整備士のほか、海軍の射撃要員、民間の運行要員など多方面からの混成です。
 船名は、すべて将軍の名前をもらっていました。こちら「U.S.Warships」(日本語サイトです。)の陸軍USAARSの項目で、確認することができます。

 これら6隻の航空機修理船は、6つの海上航空修理部隊に配備され、1944年末からマリアナ諸島や硫黄島へ進出。損傷したB-29爆撃機やP-51戦闘機の修理にあたりました。修理された機体は再び日本へ向けて飛び立ち、多くの都市を焼け野原に変えたことでしょう。
 飛来する日本軍機とも交戦しています。「ハーバート・ダーグHerbert A. Dargue少将」号は、サイパンで2機、硫黄島で1機を撃墜したと記録されているようです。
 6隻分合わせ12機の搭載ヘリは、部品輸送や連絡任務、不時着搭乗員の救助などに幅広く活躍しています。大戦中、最も活躍したヘリコプター部隊かもしれません。(第10回に続く

追記
 なお、ヘリを積まない小型の航空機整備船を中心とした、海上航空整備部隊も18個編成されています。こちらは、いずれも大佐の名前を船名にしています。

 航空機修理船がサイパンで撃墜したのは、いずれも「一式陸攻」とされています。
 確かに、サイパンに対しては、硫黄島経由の陸攻・重爆による強行偵察や夜間空襲が行われています。米軍はしばしば重爆と陸攻を誤認しているため、機種までは必ずしも確かではありませんが、撃墜された「一式陸攻」は、必死の思いで飛んできたこれらのいずれかと思われます。

 日本陸軍にも「船舶航空廠」と呼ばれる同種部隊が存在していました。第17・18船舶航空廠の二つが編成されたようです。
 うち、第17船舶航空廠は、航空工作船「彌彦丸(弥彦丸)」(板谷商船,5747総t(後掲渡辺では6900総tとするが同名船との混同か。))を装備して、西はビルマのラングーンから、東はラバウルにまで進出して活動しました。廠長の大久保少佐以下200名ほどが乗船し、航空エンジン2基/日の整備能力を有したと言います。言うまでもないですが、ヘリコプターは搭載していません。
 「弥彦丸」は、1944年1月10日に、輸送船8隻・駆逐艦「刈萱」等からなる第127船団の一員としてフィリピンへ向かう途中、米潜水艦の雷撃で撃沈されています。僚船「飛鳥丸」の救助活動を試みた際に被雷したようです。死者202名。
 また、艦隊随伴用ということで若干性格は異なりますが、英海軍にも航空整備艦「ユニコーンUnicorn」という艦が存在しました。立派な軽空母に近いものです。
 参考:渡辺洋二「液冷戦闘機『飛燕』」(改版,文春文庫,2006年)
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南極の自然史―ノトセニア魚類の世界から

 牛肉と称して、牛肉じゃないものを売っていたのはよくありません。許せません。
 生物学的に近い仲間じゃないのに、「タイ」とか「イワシ」と名乗らせるのは、気持ちはわかります。


川口弘一「南極の自然史―ノトセニア魚類の世界から」
                       (東海大学出版会,2005年)
南極の自然史―ノトセニア魚類の世界から
総合評価:★★★★☆
 一見不毛な氷点下の南極にも、独自のそれなりに豊かな生態系が広がっている。その海の主役である魚類グループ「ノトセニア」類に注目して、その釣り方から進化の歴史、多様な適応放散形態までを紹介する科学教養書。
 どうして彼らは氷点下の海でも凍りついてしまわないのか、ちょっと知ってみたくはありませんか? 血も凍らないぞっとする話の始まり始まり。

アングーラスの逆襲

 ヨーロッパ産のシラスウナギが減少したことに、アジアへの輸出はどの程度絡んでいるんだろうと気になります。
 スペインのバスクなどにあるシラスウナギ(アングーラス)料理のほうが、もっと消費量が多いんじゃないのか。グーラなんていう「もどき製品」まで存在するみたいですし。先日紹介の「ウナギのふしぎ」にも出てきましたもので、こちらのページで実物写真付きで詳しく解説されています。本によるとクリスマスに欠かせない食材だとか。

 さて結論として言うと、近時においてはアジアへの輸出の影響が大きいのは否定できなさそうです。
 1997年のヨーロッパウナギのシラス漁獲が、ネット上の情報によると583tとされます。これに対して、同年の対中シラス輸出が、250t(「ウナギのふしぎ」によると原産地は仏150t・西70t・英30t)と言います。
 ちなみに、空輸中に50%ほどは死亡してしまうそうです。その後の生育中に死亡するのが、さらに20%ほどとか。自然界の数値よりははるかに良いのでしょうけど、生憎と終点は胃袋です。
 まあ、乱獲だけの問題じゃなく、河川環境の問題がもっと大きい気もします。

 ウナギが性的に成熟するには、平均でも10年近くかかると言います。長生きするのになると、60年以上にもなるようです。
 その辺を考えると、親の代の減少が、その子供世代の減少として明らかになってくるには、10年くらいかかる計算になります。つまり親ウナギを乱獲していても、なかなかシラスウナギには影響が生じず、ましてやシラスウナギ捕獲の場合10年くらい経ってから、どうもおかしいぞと気がつく遅延信管。危険ラインを突破して内部爆発一撃轟沈。
 これに漁獲努力拡大による補正が加算されると、シラスウナギの漁獲が目に見えて減ったという時点では、もう完全に手遅れなんてことにもなりかねないような気がします。

 アングーラスも蒲焼も、自鰻の食文化として伝えたいなら、春の土用丑の日なんて煽ったり、純国産天然ものじゃなきゃ駄目なんて言ってる場合じゃなく、グーラの改良でもして我鰻する努力のほうが必要なのかも。

中国ウナギに感謝しませう

 水銀だ、薬品だと評判の悪い中国産ウナギですが、どうやら私達日本人は、そんな中国ウナギに大いに感謝しなければいけないのかもしれない、という話。ここ数日ウナギの話ばかりですが、鰻好きなのです。

 日本在来種のジャポニカ種ウナギは、日本以外の東アジア各地、中国・台湾・朝鮮半島などに分布しています。
 ウナギは、海で産卵された後、川へ上ってきて成長する魚です。ジャポニカ種は、みな同じマリアナ諸島あたりで産卵すると言われます。つまり、中国産も日本産も出身地は一緒。
 そして、ここからがポイントなのですが、ウナギの場合には、遡上する川は決まっていないのではないかと言うのです。

 同じ海と川を行き来する魚のサケの場合、必ず故郷の川へ戻ってくるということが有名です。
 ところが、ウナギの場合、どの川に上るかは法則性が発見されていないと言います。親と同じ川に上るなら、遺伝子パターンが偏るはずなのに、今のところそういう結果は報告されていないのだそうです。同様に、ヨーロッパのアンギラ種やアメリカのロストラータ種も、産卵地はサルガッソーに決まっていながら、住み着く川はランダムらしいのです。
 考えてみれば、ウナギの場合、「故郷の川」には一度も行ったことが無いので、仮に決まった川に行くなら親からの情報伝達が必要です。それにほんの数センチしかないレプトケファルス幼生の状態で、はるばるアジア沿岸までやってくるわけですから、行き着く先は黒潮任せにせざるをえません。

 だとすると、一昨日に利根川で捕れたウナ吉の母親は、中国の揚子江で育った呉ナギさんかもしれないことになります。四万十川で育ったウナ子は、マリアナ沖で韓国済州島出身のウナギと結婚するかもしれません。
 実際のところ、日本の河川開発が進んだ時代、なんとか日本でのシラスウナギ漁獲の命脈をつないでくれたのが、中国などの未開発河川だったという説もあるようです。ダムなどの無い聖域で成長したウナギが、海で産卵して、その子が日本へ流れてきていたと。
 そういう意味で、国産信奉者の皆様も、ちょっと中国に感謝したほうが良いのかもしれません。台湾産稚魚を使ってない純国産は一味違うとか言ってると、たぶん恥ずかしいやつです。

 まあ困ったことに、その聖域だったかもしれない中国の河川もまずいことになっているようですが。
 今度は、日本の河川をもっとウナギが住みやすい環境にもどして、アジアのウナギを救う時というのは言いすぎか。(シラスウナギの来泳数にはエルニーニョ現象が絡んでるとか、遡上しないで海に定住するウナギが主要供給源だとか諸説あるようで)

追記
 上に書いたような話が本当なら、同じアジアの国同士で、これは「我国の資源」と言ってシラスウナギの囲い込みをやっても、あんまり意味が無い気がしてなりません。水揚げ地が台湾だろうと日本だろうと、同じ母集団から捕ってるんですから。

闇夜のウナギ

 ウナギの生態はなかなか知れませんでしたが、ウナギの生産流通も、あまり明らかではないようです。

 例えばシラスウナギの密漁・密輸。平成18年に、成田空港で摘発されたシラスウナギは、2.4tだと言います。
 一見するとそれほどの量でもないようにも思えますが、昨日も書いたように、平成18年に日本で池入れされたシラスウナギの量は公称31.7tという数字に比べると、かなりの量であるのがわかります。昨今問題の台湾からのシラスウナギ正規輸入が、約5tですから、これと比べるとさらに驚きの数字です。末端価格で10億円以上。
 しかも、成田空港で摘発された分だけでこれだけであり、沖縄方面から海路密輸されるルートや、発見されなかった分も入れると大変な数字になりそうです。台湾側は、穴埋めとして日本からのシラスウナギ輸出を求めていますが、実のところ、闇の分を考慮に入れると、相当な「輸出」がすでに実現しているのかもしれません。

 資源管理という視点からすると、こういう状態は非常によろしくないのは明らかでしょう。取締強化が進んでいるようなのは、幸いです。
 シラスウナギが豊漁になるのは「闇の大潮」の晩だと言いますが、闇のウナギは勘弁です。

追記
 資料を見ると、韓国でもシラスウナギからの養殖が盛ん(平成18年池入れ実績22.1t)なようなのですが、これはどこで消費されるのでしょうか。日本への成魚・製品輸入は、大半が中国と台湾からのようで、韓国の名前がありません。
 韓国でもミンムルチャンオなんて呼んで鰻食は結構あるようですが、これ全部が国内消費されるのでしょうか。それともどこかを経由してから日本へ入ってくるのか。どなたか、詳しい方がおられたら、教えてください。

日本が台湾へウナギ輸出

 先日のウナギ禁輸かというニュース以来、日本のウナギについて少し調べていました。鰻蒲焼が大好物の身としては、やっぱり気になります。
 すると、日本は、ウナギ輸入国であるのと同時に、結構な輸出国でもあるという話が出てきて、なかなか興味を惹かれました。

 日本が世界最大のウナギ輸入国・消費国だということは、広く知られているかと思います。
 ところが、一方で、日本から台湾などへの養殖用ウナギ稚魚の輸出も盛んなようなのです。こちらの記事にあるような暴力団の資金源としてのシラスウナギ密輸でなく、正規のシラスウナギや「クロコ」稚魚輸出の話です。
 クロコとは、シラスウナギよりは成長した稚魚のことです。小さくてもウナギの格好をしています。
 一般にウナギ養殖というと、シラスウナギを捕獲してきて養殖池で成長させます。日本は、台湾(公称5t)などからの輸入も含め、平成18年は31.7t のシラスウナギを池入れしたとされます。数で言うと1億5千万尾くらいか。その生育途中で取り出して、今度は台湾へ向けて逆輸出するのです。

 なんでこんなややこしいことをするのかというと、(1)前掲のウナギ密輸の記事にもある日本向け輸出の穴埋めと、(2)台湾のウナギ養殖形態の特殊事情が関係しているようです。
 台湾では、シラスからクロコまでの養殖業と、クロコから成魚までの養殖業が独立しているのだそうです。需要にあわせて、クロコが取引される仕組みになっています。
 そして、日本でのシラス需要増大に応える形で、シラスを輸出する一方で、台湾でのクロコ需要にあわせてクロコを逆輸入する、一種の加工貿易方式が出来上がったのだと言います。日本としては、台湾産のシラコを確保することで、夏場需要に対応した生産量が保証されるメリットがあります。台湾としては稚魚需給を安定させつつ、高値の日本への輸出で利益を上げようという狙いでしょう。貿易振興などの事情も絡むようです。

 先日のニュースに出てきた台湾のウナギ禁輸という話も、実はこのウナギ加工貿易の歪みから生じた問題のようです。
 多分に私の推測ですが、この加工貿易システムの狙いだった稚魚需給の安定が、日本側でのシラス需要変化との連動により、かえって不安定化してしまったのが問題のようです。台湾国内でのシラス養殖が経営難になった一方、日本側からの稚魚輸出も、日本の貿易法制により統制されているため、適時な調整が難しいのがその背景と見えます。おまけに日本からの密輸出規制が強化されたことも関係しているようです。
 しかし、日本側としても、国内生産者や国内ウナギ資源の保護の観点から、そうそう規制緩和をするわけにもいかず、揉めていると。台湾側の禁輸検討の事情も同じようなものでしょう。
 どこで養殖しようと加工しようと、結局は日本人のお腹に収まるということを考えると、また妙な気分になりました。

参考資料
闇ウナギ 旧メクラウナギというものがあったが』(「リバーリバイバル研究所」より)
日本養鰻漁業協同組合連合会」公式サイト。統計など。
<うなぎ>日本養殖新聞」業界紙記者のブログ。

ウナギのふしぎ―驚き!世界の鰻食文化

 しばらく前から、ウナギが食べられなくなる、というニュースが続いています。欧州産のシラスウナギ(稚魚)が輸入制限されたり、台湾産ウナギが輸出制限されたりする可能性があるようです。


リチャード・シュヴァイド「ウナギのふしぎ―驚き!世界の鰻食文化」
   訳:梶山あゆみ 原題“Consider the Eel” (日本経済新聞社,2005年)

ウナギのふしぎ―驚き!世界の鰻食文化総合評価:★★★★★
 うなぎを食べるのは、日本人だけではない。イギリス人だって、古代ギリシャ人だって大好きなのだ。
 ヨーロッパや北米での長い鰻食文化のほか、アリストテレスに始まりフロイト先生まで出てくるヨーロッパウナギ・アメリカウナギの研究史、欧米ウナギ漁業の危ない現状などなど。
 浮世絵をあしらった表紙とは違って、日本の話はあまり出てきません。なお、原書の表紙はウナギの細密画です。

ある旧式山砲の従軍記

31年式速射山砲_フィンランド_ハメーンリンナ砲兵博物館「日本とフィンランドは隣国と同じだ。間に1国しか挟んでいない。」というジョークを、どこかで目にしたことがあります。
 そんな「隣国」フィンランドの軍事博物館に、なぜか2門の日本製大砲が展示されています。右画像はそのうちの1門で、ハメーンリンナ砲兵博物館(Suomen Tykistömuseo, Hämeenlinna)の展示品。ある数奇な運命を辿った大砲の話。

 日露情勢に危機迫る1899年(明治32年)、日本で一門の山砲が制式化されます。31年式速射山砲、開発者の名をとって別名「有坂砲」。前年の明治31年に制式化された31年式速射野砲を原型に、山地での使用のために軽量化された大砲です。
 「坂の上の雲」を読まれた方はご存知の通り、この2種類の大砲は、日本軍の主力火砲として日露戦争で活躍しました。

 その日露戦争から10年後の1914年、第一次世界大戦が勃発します。
 このとき、日本とロシアは一転して同盟関係にありました。ドイツと戦うロシアに対して、日本は多くの軍事物資を補給しています。各種小銃82万丁をはじめ、各種火砲800門以上、日露戦争時の戦利艦の里帰りなど膨大な量です。
 その中に31年式山砲も含まれていました。どれほどの数であったか私にはわかりませんが、多数の弾薬と共に、かつての敵に対して供給されたようです。
 ところが、1917年ロシア革命が発生して、ロマノフ王朝は崩壊してしまいます。おかげで、日本が売却した兵器の代金は踏み倒されてしまいました。

 このロシア帝国崩壊の隙を突いて独立を宣言したのが、フィンランドです。フィンランドは、かつてスウェーデンから割譲されて以来、ロシア皇帝の支配下にありました。
 一度は独立を認めたロシア臨時政府ですが、フィンランド内部の左派「赤衛軍」と右派の「白衛軍」との間で内戦が勃発すると、介入を試みます。このときロシアが赤衛軍に対して供給した兵器に、50門ほどの31年式山砲も含まれました。たぶん旧式すぎて余っていたのでしょう。

 結局5ヶ月間の内戦の後、名将マンネルハイム率いる白衛軍が勝利を収め、フィンランドの独立が確立されます。
 赤衛軍に供給されたうち、44門の31年式山砲が鹵獲されました。
 しかし、フィンランド正規軍では使用されず、治安警備隊に引き渡されます。理由は、旧式で役に立たないから。フィンランド軍というと、旧式兵器でも創意工夫で使いこなす、物持ちのよさで知られるのですが、彼らをして無理だったようです。まあ、日露戦争中ですら見劣りがした代物ですから、仕方が無い話かもしれません。
 引き渡された治安警備隊でも持て余したようで、ほとんど使用しなかったといいます。1919年に、ロシア内戦に乗じてフィンランドがソ連領カレリアへ侵攻した際に、3000人の義勇兵部隊に3門が貸与された程度のようです。

 お蔵入りしていた31年式山砲が、再び戦場に送られることとなったのは、1936年のこと。今度の戦場はスペイン内戦でした。フィンランドからの支援物資として、極秘裏に共和派陣営に送られることになったのです。
 左翼的な共和政府に対して、どちらかというと右派で反ソ連のフィンランドが手を貸すというのも少し不思議ですが、弱者同士で心が通う部分があったのでしょうか。あるいは共和政府そのものにはシンパシーはなく、直接の支援の相手方であるバスク自治政府への友好心ゆえでしょうか。
 廃棄名目で軍籍抹消された42門の31年式山砲は、約28000発の弾薬とともにエストニア貨物船「ヨークブルークYorkbrook」に搭載されて、スペインを目指します。「ヨークブルーク」は、1937年3月5日にビスケー湾上で国粋派の重巡洋艦「カナリアス」に拿捕されてしまいますが、その直後のマチチャコ岬沖海戦の際にバスク海軍特設砲艦により救出。無事に共和派支配下のベルメオBermeoに入港して、そこで物資を揚陸できたようです。
 スペインに入ってから42門の山砲がどうなったのかは、もはやわかりません。孤立したバスク・アストゥリアスの北部戦線は兵器不足で悩んでいましたから、おそらく実戦投入されたと思うのですが、役に立ったのかどうか。

 フィンランドに残されたあとの2門が、現在のヘルシンキ戦争博物館と砲兵博物館に、それぞれ展示されているものです。さすがに冬戦争や継続戦争では使用されなかったものと思います。
 詳細は思い出せないのですが、以前に「丸」誌上の記事でも、写真付きで紹介されていたかと思います。斎木伸生氏のレポートなので、下に載せたアマゾンリンクの本に収録されていると思うのですが。
 なお、旧式兵器と散々書いてきましたが、太平洋戦争において、日本軍はこの兵器を第一線に引っ張り出しています。貧乏所帯のせいと、軽量さを買われたためでしょう。会田雄次「アーロン収容所」にも、『明治三十年式とかいう一発うつごとに砲車ごとごろごろとさがるやつ』とあり、31年式山砲か野砲と思われます。

参考
JAEGER PLATOON:」(英語)1918年から1945年までのフィンランド陸軍について
ハメーンリンナ・フィンランド砲兵博物館公式サイト(芬語・英語ほか)

 
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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