山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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回転翼の海鳥たち(第5回)

5.ドイツの科学力は世界一ィ
 ヘリコプターを世界で最初に実用化したのは、ドイツの有名な航空機メーカー、フォッケウルフ社でした。同社の創業者の一人ハインリッヒ・フォッケは、もともと回転翼機分野の専門家でもあったようです。加えて、同じく回転翼の専門家ゲルト・アハゲリスも、研究に参加していました。
 シエルバC.19のライセンスでスタートした研究は、1936年6月、最初の実用級ヘリコプターFw61となって実を結びます。女流飛行家ハンナ・ライチェによる屋内飛行など、輝かしい記録を残しました。(フランスのブレゲー314の方が最初の実用級の名にふさわしいという見解もあり)
fw61.png このFw61は、機体左右に1個ずつ主回転翼を持つ、現代ではまず見られない形式のヘリコプターです。ヘリコプターの実用化には、回転トルクという、もう一つの技術的課題がありました。ローターの回転に釣られて、機体の方も回転してしまう問題です。ドイツ人達は、これを左右のローターを逆回転させることで解決したのです。現在でも、機体の前後に回転翼を持つタンデムローター式という方式がありますが、これを横置きにしたのと同じ原理です。
 なお、機首についているのは、オートジャイロのような推進用プロペラではなく、エンジン冷却用のファンです。一見オートジャイロに見えてしまいます。

 フォッケとアハゲリスは、その後、フォッケアハゲリス社を設立し、実用ヘリコプターの製造に進みます。1940年には、Fa266「ホルニッセ Hornisse(雀蜂)」とFa223「ドラッヘDrache(竜)」という二種の量産型を開発していました。前者はルフトハンザ航空向けの6人乗り輸送機、後者は軍用輸送機型です。いずれも、Fw61と同じ並列ローター形式の機体でした。
 これらは12~30機程度が生産され、少数は実戦に用いられたようです。あのムッソリーニ救出作戦も、当初はFa223で行うはずだったようですが、故障のため固定翼機のFi156「シュトルヒ」で実行されています。

 さて、ドイツには別の回転翼機メーカーがありました。その一つが、フレットナー社です。創業者のアントン・フレットナーは、ローター船という特殊な帆船でも知られる人物です。
 フォッケウルフ社が大型輸送機を目指したのに対し、フレットナーは、回転翼機の艦載機としての可能性に早くから気付いていました。ヘリコプター以前にも、Fl184という海軍向けオートジャイロを開発しています。(失敗しましたが。)

 彼が最初に開発した実用級ヘリコプターが、1939年初飛行の単座機Fl265でした。このFl265も、フォッケのものと同じく2つの主回転翼を並置した方式です。機首にもエンジン冷却用ファンが付いているため、一見するとオートジャイロにも見えるのも同じ。ただし、主回転翼の回転円が交差するため、だいぶ洗練された感じがあります。
 海軍向けに6機が試作されました。
 Fl265を手に入れたドイツ海軍は、軽巡「ケルンKöln」での発着テストを試みます。ブルーノB砲塔上に設けられた15m四方の仮設飛行甲板での実験は、見事に成功します。Fl265は、ヘリコプターとして最初の艦載機になったのです。西暦1941年のことでした。(Youtubeに動画が上がっていました。)

 また、空軍の協力で行われた空戦実験でも、Fl265は優秀な結果を残しています。2機の戦闘機による模擬攻撃を、見事20分間に渡って避けきったと言います。
 しかし、Fl265は、より高性能のFl282「コリブリColibri(ハチドリ)」の完成により、量産はされませんでした。

fl282.jpg フレットナーが完成させた新しいFl282は、もうオートジャイロもどきの姿ではなく、機首にむき出しの操縦席が無骨な、2人乗りのコンパクトな観測機でした(画像は米軍の戦後テスト)。機体中央のエンジンを挟んで、後方に観測員席があります。
 完成した試作機は、すぐに艦上テストに投入されます。1942年、再び軽巡「ケルン」を使っての実験があり、成功。さらに地中海方面でも、敷設艦「ドラッヘDrache(竜)」上での実験に成功します。(ちなみに、この敷設艦「ドラッヘ」は、元ユーゴスラビア海軍の水上機母艦「ズマイZmaj(竜)」で、鹵獲されてドイツ空軍警備艦を経た後、海軍の敷設艦になるという数奇な運命を辿った船です。)1943年には、駆潜艇「UJ1210」での発着という離れ業まで成功させました。潜水艦での試験も行われたようです。(こちらのYoutube動画の後半に発着試験や爆雷投下の様子が写っています。素晴らしい運動性です。)

 結果に喜んだ海軍は、地中海方面での対潜警戒用として、1000機の大量発注をします。
 が、そのほとんどは完成しませんでした。急を要する戦闘機生産が優先され、発言力の無い海軍機は資材調達もままなりません。そして生産工場が空襲で破壊されたとき、全てが潰えたのでした。
 それでも、増加試作機など含め数十機が実戦配備されたようです。主に地上配備かと思います。もっとも、地中海方面にあったドイツ水上艦には、元フランス水上機母艦などがありましたから、あるいはそれらでも運用されたかもしれません。(第6回へつづく

訂正
 フォッケウルフのクルト・タンク博士が、Fw61の開発に参加していたかは、怪しいことがわかったので、記述を削除しました。広田厚司「続・ドイツの傑作兵器駄作兵器」には、参加していたような記述になっているのですが、Fw61のベースに使われたFw44「シュティークリッツ(ヒワ)」練習機の設計をしたというだけのようです。
 なおFw44は、同書によるとオートジャイロとされていますが、普通の複葉練習機です。胴体部分が、Fw61に流用されています。オートジャイロの研究ベースに使われたかは、定かではありません。
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回転翼の海鳥たち(第6回)

6.それは風任せで
(承前)世界に先駆けてヘリコプターを艦上で使用したドイツ海軍ですが、ほかにも特殊な回転翼機を実戦投入しています。それが、Fa330「バッハシュテルツェBachstelze(海セキレイ)」です。
FA-330_Bachstelze.jpg これは、無動力のオートジャイロ凧とでも言うべきものです。普通のオートジャイロがプロペラで前進して風力を得る代わりに、潜水艦で牽引して風力を発生させ、空を飛ぼうという仕掛けです。
 スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」のなかで、ドーラ一家の海賊飛行船から、主人公パズーとシータを乗せて飛んでいた凧型の見張り台がありますが、元ネタはこれかと思われます。

 潜水艦の見張り用として、前出のフォッケアハゲリス社により1942年に開発され、実戦配備されました。背の低い潜水艦の監視能力を補う狙いです。運用高度120m程度まで上がれ、甲板からの5倍にあたる40km以上の視程が確保できたようです。
 ただ、逆に敵にも発見されやすく、そのうえ急速潜航の際は、最悪パイロットを見捨てることになります。
 潜水艦搭載航空機というアイディアは、世界中で研究されましたが、本格的に実用化したのは日本海軍だけです。ドイツ海軍も、アラドAr231という左右非対称の妙な水上機を開発してみたものの、結局は実用をあきらめています。そして代わりに、Fa330という奇妙な答案を考え出したというわけです。

 Fa330は、およそ200機が生産され、主にIXD型の大型潜水艦に配備されました。これらの大型潜水艦はインド洋や太平洋方面まで行動しており、比較的安全なインド洋でFa330を使用したようです。
uboat.png(IXD2型後期仕様)
 長大な航続力を持つIXD型Uボートは、はるばる日本占領下の港湾にも進出して作戦しています。「深海の使者」で知られるドイツへ行った日本潜水艦と逆のパターンです。マレー半島西岸のペナン島にはドイツ海軍の基地が設置されて、仮装巡洋艦で運ばれたAr196水上機部隊まで展開していました。
 一説によると、独潜のFa330と、日本潜水艦の搭載機(零式小型水偵?)若干が交換されたことがあるとされます(追記参照)。もっとも、Fa330が日本の航空技術になんらかの影響を与えたという話は聞きません。交換に引き渡された日本機は、Ar196と一緒に出港前の対潜警戒に使われたと言います。枢軸側の艦船は、出港時に連合軍潜水艦の待ち伏せを受けるケースが多かったからです。
 ドイツ降伏時に、「U181」と「U862」の2隻のIXD型は日本海軍によって捕獲され、「伊501」「伊502」となっています。このときにFa330も鹵獲されているかもしれません。

 ちなみに、Fa330は、連合軍によっても鹵獲されています。インド洋で作戦中の母艦「U861」ごと、捕まってしまったのです。
 鹵獲されたFa330は英軍によって研究され、それなりに高い評価を得たようです。オーストラリア陸軍が、ニューギニア戦線での弾着観測用にジープ牽引式の同種機体を研究していたようですが、その参考にされたかもしれません。

 Fa330の一応の成功の後、フォッケアハゲリス社は、エンジン付きの改良型Fa336ヘリコプターをも計画しましたが、これは計画のみに終わります。一部日本語文献では、量産されたかのような記述も見られますが、実際には試作にも達しなかったようです。(第7回へ続く

追記
 Fa330と零式小型水偵の交換が行われたとする説の初出は、知る限り、米国の“Air Power”誌83年3月号の記事のようです。ただ、これは、別の本の参考文献として記載されていただけなので、直接の確認をできておりません。
 もし、どなたか、この原資料ないし、もっと以前の出典をご存知の方がいらっしゃれば、お教え頂けると幸いです。

 インド洋でのドイツ潜水艦の活動については、「英語で読む海戦史」さんの記事にも記述があります。一定の戦果を挙げているようです。

 YoutubeにFa330の飛行作業の動画がありました。

ソロモン海「セ」号作戦 コロンバンガラ島奇跡の撤収

 太平洋戦争中、制空権を失った日本海軍は、貨物船の代わりに高速の駆逐艦を輸送任務に投入しました。自虐的にこれを名付けて「鼠輸送(ねずみゆそう)」、連合軍の呼んだところの「東京急行Tokyo Express」です。
 そして、その鼠輸送と並行されたのが、小型舟艇を使った隠密輸送です。大発動艇(略して「大発(だいはつ)」)という上陸用舟艇や、以前に紹介した徴用機帆船などが用いられています。これを「蟻輸送(ありゆそう)」と呼びました。


種子島洋二「ソロモン海「セ」号作戦 コロンバンガラ島奇跡の撤収」
                 (光人社NF文庫,2003年)

ソロモン海「セ」号作戦―コロンバンガラ島奇蹟の撤収 (光人社NF文庫)
総合評価:★★★★★
 ガダルカナル戦が日本軍の敗北に終わった後も、日本海軍はソロモン諸島中部の維持に固執。中部ソロモンでの蟻輸送を任務とした「第一輸送隊」が編成された。著者の種子島海軍少佐は、その指揮官に任命される。
 米軍の侵攻により、結局コロンバンガラの維持も困難となり、1943年9月、陸海軍合同の舟艇部隊による「セ号」撤収作戦が行われることになる。本書はその克明な記録である。
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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