山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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回転翼の海鳥たち(第1回)

1.はじめに
 対潜哨戒、強襲揚陸に補給用、空母からフリゲートまで現代大型水上艦の標準装備となった回転翼機一族。
 彼らが、海軍の中で現在の地位を占めるまでには、様々な試行錯誤の歴史がありました。その進化の過程には、ヘリコプターはもちろん、忘れられたオートジャイロや、もっと不思議な機体も存在してきたのです。
 最近、一族に新種の猛禽が加わろうとしていると聞きました。こうした折に、艦上を舞う奇妙な海鳥の進化史を、たまには少し振り返ってみるのも悪くは無いと思うのです。(第2回へ進む


<年表>
1910年 米軽巡「バーミンガム」より、飛行機発艦実験。
1923年 スペインのフアン・ド・ラ・シエルバが、C.4オートジャイロを実用化。
1931年 米空母「ラングレー」で、XOP-1オートジャイロ発着実験。
1934年 スペイン水上機母艦「デダロ」で、シエルバC.30オートジャイロ発着実験。
1936年 独フォッケ・ウルフ社が、Fw61ヘリコプターを実用化。
1941年 独軽巡「ケルン」で、Fl265ヘリコプター発着実験。
1942年 独潜水艦IX級に、Fa330オートジャイロ実戦配備。
1943年 米タンカー「バンカーヒル」で、XR-4ヘリコプター発着実験。
     日本揚陸艦「あきつ丸」で、カ号観測機オートジャイロ発着実験。
1944年 独海軍が、Fl282艦載ヘリコプターを実戦配備。
     米陸軍が航空機修理船にヘリコプターを実戦配備。
     日本陸軍がオートジャイロ部隊の船舶飛行第2中隊を編成。
1946年 米海軍が、南極調査「ハイジャンプ作戦」に艦載ヘリコプター多数を投入。
1948年 米護衛空母「パラウ」で、海兵隊がヘリによる揚陸実験
1953年 ソ連海軍が、黒海艦隊でヘリ艦上運用試験
1954年 仏アルーエト社が、ジェットヘリを実用化。
1956年 米護衛空母「セティス・ベイ」が、強襲揚陸艦に改装される。
     スエズ動乱において、英海軍がヘリコプター揚陸作戦実施。
     日本、南極観測船「宗谷」でヘリ運用。
1961年 米強襲揚陸艦「イオージマ」竣工。
1963年 カナダ駆逐艦「サン・ローラン」が大型対潜ヘリ導入。
1964年 仏ヘリ空母「ジャンヌ・ダルク」竣工。
1973年 日本海上自衛隊、ヘリ搭載護衛艦「はるな」就役。
2000年 米海軍が、V-22「オスプレイ」ティルトローター機を艦上試験。
2006年 米海軍が、RQ-8A「ファイア・スカウト」無人ヘリを自律発着艦試験。

参考文献リストはこちら
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回転翼の海鳥たち(第2回)

2.回転翼の離陸
 人は大昔から、空を飛ぶ夢を抱いてきました。
 この夢は、モンゴルフィエ兄弟、ライト兄弟によって実現されます。彼らは、それぞれ気球、飛行機という方法を編み出しました。

 こうした先行者のほかに、また別の飛行機械のアイディアが存在します。それが回転翼機、いわゆるヘリコプターです。
 古くは、レオナルド・ダ・ヴィンチが、デザインを残していることはよく知られています。

 ところが回転翼機の実現は、他の飛行機械に比べても遅れることになります。原因の一つは、軽く強力な動力源が無かったことのようです。
 内燃機関の発達により動力源の問題は解決されても、なお回転翼機の実用化には、時間がかかりました。もう一つの遅れの原因は、機体左右の揚力バランスを保つことの困難にありました。
 回転翼機では、回転するローターの翼面効果で揚力が生まれます。通常の飛行機は、前進することで翼に対して風を当て、揚力を生じさせます。それに対し回転翼機は、機体全体は動かずに翼だけを動かして風を当て、揚力を生じさせる原理です。
 無風状態で垂直に上昇するだけなら、ローターに当たる風速はどこも一定ですから、揚力バランスは崩れません。ところが、機体が前進しはじめたとたん、左右で翼との相対的な風速に差が生じ、揚力バランスが崩れるのです。当然、揚力が強い側が浮き上がってしまって、機体が横転してしまうのです。
  outengensyo.png
 これは、機体を前進させない場合でも、自然の風が吹いてきたら、同じ結果を生じます。

 この横転現象を解決して見せたのが、スペインの航空技師、フアン・デ・ラ・シエルバJuan de la Ciervaでした。シエルバは、ヘリコプターに至る前段階として、ヘリコプターとは異なる回転翼機オートジャイロAutogyroの研究に取り掛かります。
 オートジャイロとは、ヘリコプターと異なり、ローターを直接回す動力を使わない回転翼機です。普通の飛行機と同じように、前進用の動力だけを持っていて、ローターは空気抵抗で自然に回転するだけです。自然に回転する方式なので、“Auto-gyro”(自動回転)と言う名になります。ちなみにヘリコプターがエンジンが止まっても墜落しないのは、ちょうどオートジャイロと同じ状態になるからです。
 さっそく試作を行ったシエルバですが、彼も機体の横転問題に苦しむことになります。
 しかし、1923年、試作4号機のC.4で、ついに飛行に成功します。最初の有人気球から140年、ライト兄弟から遅れること20年、ようやく回転翼機が実用化に成功した瞬間でした。
 シエルバの編み出した解決策は、ローターの1枚1枚(ブレード)をバラバラに作り、ヒンジ(関節)を介して回転軸につなぎ合わせるという方式でした。これならば、各ブレードが自由に上下できるため、揚力に左右差が生じても、ブレードのみが自然に動くだけで差を吸収でき、機体バランスが崩れないのです。
 この発明は、後にヘリコプターにも導入され、その実用化につながります。

 シエルバは、実用化したオートジャイロを“Autogiro”(一般名詞と綴りが異なる。)として特許登録します。彼は、スペイン政府の支援と英国の資本により、シエルバ社を設立すると、生産と販売に乗り出すのです。
 その短距離発着能力や低速飛行能力には、各国企業が興味を示し、ライセンスを取得しています。
 特に興味を示したのは、アメリカでした。ケレットKellett社とピトケアンPitcairn社という2つの企業が、オートジャイロ事業に取り組みます。
 そして、このアメリカで、回転翼機と海とが、最初の出会いを迎えることになります。(第3回へつづく


追記
 シエルバ技師はスペインの英雄とされ、肖像などが切手のデザインにも用いられました。「中級者による切手分類」というサイトで、彼の肖像やシエルバC.4などの切手を見ることができます。

 初期のヘリコプターとしては、係留気球的運用も考えられたようです。第一次世界大戦中にオーストリアで研究された例などがあります。

空気より軽い浮気

 駅前の広場を歩いていると、幸運にもツェッペリン飛行船が飛んできました。音も無く滑らかな回頭の後、悠然と頭上を通過。星座占いで今日は幸せな日だと言っていましたが、当たりのようです。
 感動して、電車の高架の向うに消えるまで見送っていたら、こういう時にそういう態度は無いと怒られました。マフラーを引っ張らないで下さい。苦しい。
 結局、今日は幸せな日でした。

回転翼の海鳥たち(第3回)

3.海との出会いとすれちがい
(承前)オートジャイロという冒険的な機体は、アメリカ人の好みにあったようです。前述の通り、ケレットとピトケアンの二社が動き出しました。当初は独自開発を目指したようですが、すぐにシエルバからの技術ライセンスに切り替えられました。
 ケレットK-3は7機(6機?)が生産され、4機が民間の広告や新聞航空に用いられました。1機は、リチャード・バードRichard Evelyn Byrd南極探検隊に装備され、「ペップ・ボーイズ・スノーマンPep Boys Snowman号」として1933年に南極で使用されました。残り2機は、なんと日本陸軍が献納機として調達し、「愛国81号」「82号」となっています。
 もう一方のピトケアン社も、PCA-2シリーズを20機以上生産します。
 このPCA-2に、アメリカ海軍が目を付けました。3機をXOP-1試作観測機として購入したのです。このXOP-1が、1931年に史上初の艦載回転翼機の栄誉に輝くことになります。
 
 これ以前、急速に発展した飛行機械は、空を制したばかりか、すでに海の上にも進出していました。早くもアメリカ南北戦争で係留気球を積んだ船が登場していますし、1903年のライト兄弟初飛行から7年後、飛行機も米軽巡「バーミンガムBirmingham」からの発進を成功させています。1912年には、世界初の水上機母艦「フードルFoudre」を、フランス海軍が完成させていました。
 この「航空母艦」というアイディアは、飛行機械の完成よりも前から、存在したと言われます。人によっては、ライト兄弟の成功直前に、水上家屋からの飛行実験を行って失敗したラングレーSamuel Langley教授の例を「世界初の空母」とも呼ぶとか。

autogyro_cv1_langlay 1931年9月23日、米海軍最初の空母「ラングレー」で、オートジャイロの実用試験が行われました。(余談ですが、この「ラングレー」は、上述のラングレー教授の名をもらった艦です。さらに言えばライト兄弟のほうも、米海軍最初の水上機母艦に名を残しています)
 陸上の飛行場を飛び立ったXOP-1初号機は、あやうく転落しそうになりながらも、洋上で待つ「ラングレー」への着艦に成功しました(写真)。着艦に続き、発艦にも成功。数度の発着を繰り返しました。滑走距離は、60mほどで済んだといいます。

 ところが、海軍が下した判断は、不採用というものでした。
 このとき対照実験として飛んだ、複葉観測機ヴォートO2U-1「コルセア」に完敗したのです。「コルセア」は、同じ60mの滑走距離で、4倍の物資を搭載して飛行することができました。
 考えてみれば当然の結果です。正規の航空母艦で使用するならば、基本性能で優る普通の飛行機が使えます。無理にオートジャイロを使う意味は乏しいのです。
 また、写真を見てわかるとおり、XOP-1は、オートジャイロとしても初期のレベルで、普通の飛行機に近い固定翼がありました。まだ60mも滑走する必要があっては、空母以外での運用もできません。
 空中静止(ホバリングhovering)能力もありませんでした。
 残り2機のXOP-1のうち、2号機は水上機に改装されましたが、こちらも不採用となります。

 興味を失った海軍本店に代わって、オートジャイロに取り組んだのは、支店の海兵隊でした。XOP-1の3号機を受領すると、1932年6月、ニカラグア内戦への介入で実地試験を試みます。現地では、「七面鳥」と呼ばれて面白がられたようです。
 観測任務のほか、短距離発着STOL性能を生かした負傷者救出に用いることが検討され、一定の評価は得ましたが、結局は採用見送りでした。
 ただその後も、海軍と異なり、海兵隊及び陸軍は一定の興味を持ち続け、試作研究を続けたようです。新型のケレットKD-1Aは、海兵隊により5機がメキシコ国境の監視任務に実戦投入されたと言います。陸軍もYG-1の名で試験採用し、さらに数種の改良型を試作させています。(KD-1Aは日本にも1機輸出され、萱場製作所によりコピー機「カ号観測機」が生産されています)
 しかし、最終的には、シコルスキー・ヘリコプターの成功を受けて、アメリカでの軍用研究は中止となりました。ケレット社とピトケアン社も、ヘリコプター事業に移っていったのでした。(第4回へつづく

回転翼の海鳥たち(第4回)

4.シエルバの航跡
(承前)オートジャイロの発明者シエルバは、さらに自由な飛行を目指して、機体の改良を続けていました。
 そしてたどり着いた完成型といえるのがシエルバC.30でした。C.30は、初期のオートジャイロのような大きな固定翼は持っていません。回転翼のみで十分な揚力が得られるようになり、また、ローターのピッチ(傾き)を調整するだけで、方向転換ができるようになったのです。
 しかも、単純なオートジャイロとは違い、エンジンの動力を回転翼にも供給することで、瞬時に離陸可能まで回転数を上げる機構を有していました。これにより、無風状態でもわずか5m程度の滑走で離陸することが可能でした。シエルバは、この技術をジャンプ発進と名付けます。
 さらに、ローターの回転面を傾ける機構も備えられています。これにより、空中の一転で静止するホバリングも、ほぼ可能になりました。弾着観測などの用途には便利な機能です。

 シエルバは、このC.30シリーズを、世界各国に売り込もうとします。
 特に、彼がセールスポイントとしたのが、その「ジャンプ」能力でした。大規模な飛行場がいらないのはもとより、水上では空母以外の一般艦艇からも発進できます。気球や水上機に代わる弾着観測機としての採用を狙っていました。
dedalo_cierva30.jpg まず、彼は、祖国スペインで、艦載機としてのデモンストレーションを行います。1934年、スペイン海軍の水上機母艦「デダロDedalo」で行われた実験は、見事成功します。C.30は、「デダロ」の後部甲板に降り立ち、再び発艦して見せました(画像)。スペイン陸海軍は、C.30を数機採用してくれます。
 ついで、翌1935年には、英海軍の空母「カレイジャスCourageous」と、イタリア海軍の重巡「フィウメFiume」でも実演します。「フィウメ」では、24ktの高速航行中の発着に成功しています。

 こうした努力の甲斐もあってか、イギリスは空軍と陸軍で、改良型のC.40を5機など計数十機が導入されます。実際の生産は、主にアブロAvro社が行ったようです。
azur_cierva-c30.jpg
 フランスも大きな興味を示し、リオレ・エ・オリビエLeO社でのライセンス生産が行われます。陸軍向けに30個小隊分の大量発注がされたほか、海軍用にも十数機が納入されました。(画像はフランス海軍仕様のプラモデル箱絵。チェコのAzur社製。)

 ところが、シエルバを不幸が襲います。1936年7月に、祖国スペインで内戦が勃発したのです。悲しみつつも英国で仕事を続けたシエルバを、さらなる不運が見舞います。同年12月、旅客機事故に遭遇して、彼は一命を落としてしまうのです。まだ41歳の若さでした。
 若き天才を失い、シエルバ社とオートジャイロは、時代に取り残されてしまうことになります。

 生産されたシエルバのオートジャイロは、戦乱の中で急速に消耗していきました。
 スペイン軍に配備されたものは、内戦の中で全てが失われたようです。
 フランスが保有したC.30のうち、第二次世界大戦勃発時に実戦配備されていたのは、陸軍が28機と海軍に10機程度でした。これらは、連絡任務や観測任務に投入されますが、敗北の中で多くが飛行不能になっていきます。フランスが降伏したとき、稼働状態にあったのはたったの1機でした。共食い整備でかろうじて残されたこの最後の機体は、ドイツ軍の迫るフランスからの脱出に使われたと言います。
 イギリスは、欧州本土への派遣部隊に弾着観測用の2機を配備したほか、作戦可能な各種オートジャイロの多くを、第74飛行隊wingとして編成しました。第74飛行隊は、第1448航空団flight、第529飛行中隊squadronと名を変えながら、主にレーダーサイトの調整と部品輸送に使用され、バトル・オブ・ブリテンを陰で支えます。中には輸送飛行中に、ドイツ軍機と鉢合わせしてしまった事例もあったようです。2機のFw-190に襲われたある機は、その特殊な運動性を生かして攻撃を回避し続け、見事逃げ切ったと言います。
 実戦部隊へ配備されたもののほか、一部は飛行学校の練習機材となり、ヘリコプターパイロットの養成にも用いられたそうです。そう、英軍は、大戦中から、すでにヘリコプターの実戦配備も進めていました。オートジャイロの時代は、もう終りなのでした。

 オートジャイロを始めとしたシエルバの研究成果は、ヘリコプターの実用化に欠かせないものばかりでした。彼とオートジャイロが無ければ、ヘリコプターの実用化は、10年は遅れたとも言われます。一方で、開発者自身の研究が、オートジャイロの時代を終わらせてしまったと言うのは、やや皮肉なものです。
 シエルバ社は、改良型のC.40を開発したり、ヘリコプター研究に移行したりしますが、戦後、英国最大のヘリコプターメーカーであるウエストランドWestland社に買収されたようです。(第5回へつづく

死闘の海―第一次世界大戦海戦史

 日本では、戦争というと第二次世界大戦(あるいは太平洋戦争)がまっさきに思い出されるでしょうけど、いや京都の方ならこの間の戦争というと応仁の乱のことになるかも知れませんけど、欧州では「戦争」というと第一次世界大戦のことだと聞いたことがあります。


三野正洋・古清水政夫「死闘の海―第一次世界大戦海戦史―」
                       (光人社NF文庫,2004年)
死闘の海―第一次世界大戦海戦史総合評価:★★★★★
 第一次世界大戦は、人類が初めて体験した世界を巻き込む総力戦として、世界史上に残る一大事件であった。そして海軍史上においては、主力艦と呼ばれた戦艦がその名の通り海上戦力の中心にいた最後の戦いでもあり、一方で潜水艦や航空機が急速に台頭した戦いでもあった。
 日本では従来あまりまとまった資料のなかったこの分野について、豊富に図版も交え単行本とした意欲作が、文庫版として再版。
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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Twitter:baron_yamaneko

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