山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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明治維新と王党派軍人

 ペドロ・メスニエールPedro Gastão Mesnierというポルトガル人が書いた“O Japão ; estudos e impressões de viagem.”(「日本 : 研究と旅の印象」)なる本の存在を知りました。1874年にマカオで発行されたもの。
 メスニエールは、幕末に日本とポルトガルの国交が回復した後に、日本を訪れたポルトガルの外交官です。1873年に全権使節として来日したマカオ総督サン・ジャヌアリオSão Januário子爵の随員だったようです。有名なヴェンセスラウ・デ・モラエスWenceslau José de Sousa de Moraesの来日より15年ほど前のことになります。
 王政復古・明治維新により変わりゆく日本の様子が記録されているとのこと。

 さて、そのうちの1冊が、どういう経緯をたどったのか知りませんが、国際日本文化研究センターに収蔵されています。
 こちらがその目録のデータなのですが、個人的に気になるのが、注記の『表紙にある標題紙に H. de Paiva Couceiro' との書き込み』という部分です。
 私は、この書き込みに適合する名前の人物を一人知っています。エンリケ・デ・パイヴァ・コウセイロHenrique de Paiva Couceiro大佐、以前に取り上げたように、王党派の軍人として3度にわたって王政復古を狙った反乱を起した男です。1861年生まれなので、年代としては計算が合わなくもない。

 同姓同名の他人の可能性のほうが高い気はしますけど、もしも同一人物であったなら、一体どんな理由で遠い東洋の国についての本を手に取ったのか。日本の王政復古の「成功」を読んだことは、彼の行動に何か影響を与えたのか。日本の王政復古は、かえって封建社会の崩壊と国家の近代化を呼んだことは、どう思ったのか。
 売れない歴史小説の種になるくらいには、ちょっと面白い話だと思ったのですがどうでしょう。

参考
ポルトガル人のみた19、20世紀の日本」(ポルトガル国立図書館公式サイトより)
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春日キューカンバー

kyuri.jpg 英国の伝統的なお茶請けにキューカンバー・サンドイッチというのがあります。ようするにキュウリのサンドイッチです。和食で言うとカッパ巻き。
 本式にはマヨネーズなどは使わずに、バターと塩だけで味付けしたキュウリの薄切りだけが入ったものだそう。ローストビーフやサーモンの入ったサンドイッチなどに比べると、なんとも貧相な感じがしますが、上流階級のお茶会にも欠かせないそうな。

 なぜそんな貧相に思えるものがもてはやされるかというと、暗く冷たい英国の空の下では、温暖な土地・季節でしか取れないキュウリというのは、昔はぜいたく品であり、さわやかな天気を思い出させてくれる素敵な食材だったからと言います。栄養としても貴重な生野菜ということで、キューカンバー・サンドイッチを気取って摘むのが正しいことだったと。
 なるほど、そういえばガリバー旅行記にもキュウリから日光を取り出す研究をしている科学者の話がでてきました。そのラガード大学の教授曰く、キュウリを瓶詰めにして保存しておけば、冬の寒い日にも日光を楽しむことができるようになると。最初に読んだときは、なぜキュウリが原料なんだろうと不思議に思ったのですが、ジョナサン・スウィフトたち英国人にとっては、キュウリは温暖な季節・太陽の象徴だったということで合点のいくことだったのかもしれません。

 ようするに何が言いたかったのかというと、相変わらずキュウリが高いですわよね奥様というだけの話です。石油価格が高くてビニールハウスの保温とビニール代にお金がかかってるせいでしょうかね。まあ、旬じゃないんだから仕方が無い。
 カッパ巻きやキュウリ入ポテトサラダを貪り食える季節に、早くなあれ。

追記
 世の中には、キュウリ味のコーラとか、キュウリエキス入りの化粧品とか不思議なものがあるのですね。知りませんでした。ヘチマエキスを使った化粧品があるんだから、キュウリエキスでもあっておかしくはないんだろうけど。

王家の戦い

 第二次世界大戦期に君主国だった国は結構たくさんあります。主要参戦国の英国、イタリア、日本のほか、小国が色々。拾ってみるとなかなかに興味深く、そのうち詳しく調べてみたいなとも思ったりしますが、実現するか不明です。

デンマーク王国(中立)
 中立宣言も保障占領という典型例。ドイツ軍が制圧した本国は保障占領統治の成功ケースとして宣伝されたけど、国王自らサボタージュの先頭に立ったと。アイスランドとフェロー諸島は連合軍に占領されて、アイスランドは戦時中に独立してしまった。グリーンランドに至っては、連合軍とドイツ軍両方が上陸したりしている。

ギリシャ王国(連合)
 一時共和制になったあと、1936年に帰ってきたばかりの国王。イタリア王国に攻め込まれて、善戦して旧アルバニア王国まで押し返すけどドイツ介入で国王亡命。生き残った装甲巡洋艦は、インド洋で船団護衛したり。

ハンガリー王国(枢軸→連合)
 王国なれど国王はいず、国王あらねど摂政がおり、海は無けれど摂政は提督。東欧各国の例に漏れず、後半戦はソ連にやられて対枢軸戦に動員。共産主義国に。

イラン王国(中立)
 パフラヴィー朝イラン。国号をペルシアからイランに変えて、中央集権化・富国強兵を推進。中立宣言したけど、産油国の上、インド洋からソ連への補給路に便利、独伊の影響強しと連合国側ににらまれる要素盛りだくさんで、あえなく電撃占領ペルシア回廊。海空軍はあえなく壊滅して国王は譲位。ソ連の介入名目はペルシア・ソビエト友好条約6条。チャーチル曰く「戦時には法は沈黙する。」

タイ王国(枢軸)
 ポンド制に入っているなど英国寄りのお国だったのが、ヴィシー政権下の仏印との紛争などを経て日本と接近。そんな日本に中立無視で英領侵攻ルートに使われて交戦するけど、真珠湾を見て勝ち馬に乗るつもりで枢軸側で参戦。
 日本に裏切られて単独講和されるけど、どっこい米国との裏交渉で見事に敗戦国扱いを回避して国連加盟。ただし英国は納得しなかったので、賠償させられる。チャーチル曰く「許しがたい背信」と。でも、英国も「マタドール作戦」で保障占領を狙っていた。

 ほか欧州ではベネルクスやノルウェー、ユーゴスラビア、リヒテンシュタインなど、それ以外ではアフガニスタン王国など。エチオピアも元の皇帝が帰ってきています。植民地などで名目上の王家があるところも多く、おおざっぱに把握するだけでもちょっと手間ですね。
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山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
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Twitter:baron_yamaneko

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