山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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九段下交差点の大砲

kudan1.png 先日、九段下まで調べものに行ったところ、交差点そばの歩道に妙な物が立っているのをみつけました。

kudan2.jpg どうやら大砲の砲身のようです。詰め物がされているので、砲口からすぐに行き止まりになっています。詰め物がされていない範囲では内側がすっかり腐食してしまっていて、施条砲なのか滑腔砲なのかはっきりしないのですが、砲口の内縁にライフルは見当たらず滑腔砲のような気がします。砲身の先端面に十字の線が入っており、おそらく製造時のままの長さで、切断はされていないようです。口径は約64mm、外径で約114mmといったところで、おそらく2.5インチと4.5インチではないかと思われます。
 ちゃんと砲耳がついています。シンプルな構造です。
 材質は鉄でしょうか。鋳物の手工芸品のような表面の質感になっています。刻印などは無く、あまり飾り気はありません。

 さて、この大砲の正体は何者かと調べてみると、「弥助砲」であるとの説明が一般にされているようです。千代田区発行の「平和(戦跡)マップ」にも「弥助砲と呼ばれた大砲の実物が囲いの一部に利用されています」とあります。靖国神社の公式ガイドブック「ようこそ靖国神社へ」(近代出版社、2000年)にも弥助砲として紹介されています。
kudan3.jpg 篠原宏も「陸軍創設史」(191ページ)で「4ポンド山砲」3門が鎖で繋がれて九段下の交番横の歩道に残っているとしており、後述のように弥助砲を指すものとも考えられます。今は処分されてしまったのか1門しかありませんが、砲身に、鎖の取付けられていたような跡が残っており、記述と一致します。
 弥助砲とは、明治初期に日本で生産された2種の大砲の通称で、薩摩藩の砲兵隊にいた大山弥助(後に元帥となる大山巌)が開発したのにちなむ名です。弥助砲には、幕末の主力火砲であるフランス製四斤山砲を長砲身化したものと、十二斤臼砲の2種がありますが、そのうちの四斤山砲型であると伝えられるようです。四斤山砲型は、薩摩藩の集成館及び大阪造兵廠(明治3年以降)で、相当数が生産されています。なお、「斤」といっても英式重量ポンドではなく、フランス式なのでkg表記であり、砲弾重量が4kgであることを示します(この点、篠原氏は誤り)。

 しかし、私は弥助砲や四斤山砲ではないと考えます。
 まず、参考サイトの「依代之譜」でも指摘されている通り、材質が青銅ではなく鉄です。
 第二に、口径が小さすぎます。四斤山砲系は小型の大砲ですが、それでも口径は86.5mmあります。九段下の大砲は前述の通り約64mmです。

 では正体は何だろうと考えたのですが、私には細かい知識が無い分野で、てんでわかりません。維新前後の4ポンドから6ポンド級の野戦砲(山砲類)かボートカノンなのは確かだと思うのですが。同型の砲が3門並べてあったのだろうと思うので、ある程度は量産された大砲です。鉄製というとイギリス系のような気がします。
kudan4.jpg  2.5インチという口径は、いわゆる「アームストロング砲」ことアームストロング社製後装施条砲のうち6ポンド砲と同じようですが、砲身構造がシンプルすぎて違うような気がします。アームストロング後装砲であれば、砲身基部は強化されて表面に段差があるのが普通のようです。それに、最初に書いたように滑腔砲のような気もします。このサイトによるとニュージーランドで使用されたアームストロング製の6ポンド滑腔砲も2.5インチ口径の鋳鉄砲のようで、私見ではこの辺りの植民地用・輸出用砲が可能性があると考えます。
 戊辰戦争、それに南北戦争あたりの資料を丁寧に見ていけばわかりそうな気もするのですが、ちょっと手に負えなさそうです。どなたか、詳しい方、この女子トイレ前のゲートガードの正体を教えてください。


参考文献
大山元帥伝編さん委員(編)「元帥公爵大山巌 (1935年)」(大山元帥伝刊行会、1935年)
篠原宏「陸軍創設史―フランス軍事顧問団の影」(リブロポート、1983年)
幕末軍事史研究会「武器と防具 幕末編」(新紀元社、2008年)
依代之譜―帝国陸海軍現存兵器一覧」より「謎?の物件」
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レンバタ島のマッコウ捕鯨

 某巨大掲示板からのアクセスが急に出てきたので、なんだろうと思ってたどってみたら、インドネシアのレンバタ島ラマレラの捕鯨が危機にあるようです。

『揺れる捕鯨の村:インドネシア・ラマレラから/上 観光化説くNGO
 「援助」で誘う「文化」の断絶』(毎日新聞2008年8月26日)
 イギリスの環境保護団体が現地を訪れ、捕鯨を中止してホエール・ウオッチングやその他の漁業に切り替えよと迫ったとのこと。

renbata.png レンバタ島Lembataとは、インドネシアとオーストラリアの国境地帯である小スンダ列島の島で、正式にはロンブレン島Lomblenといいます。ティモール島の近くです。(地図はWikimediaの画像を編集)

 レンバタ島の捕鯨については、記事中に登場する小島曠太郎氏の「クジラと生きる―海の狩猟、山の交換」(中公新書、1999年)という本に詳しいです。マッコウクジラ数頭を筆頭に、シャチやイルカなどのハクジラ類を、昔ながらの丸木舟で捕獲しているといいます。マッコウクジラの肉は癖が強いそうですが、現地では非常に好まれているようです。
 捕獲した鯨は肉を干物にして、主に内陸の農耕民との交易に用いるそうです。村全体の共有物に近いかたちで再分配され、各村人が交易に出かけて主食のトウモロコシに換えるといいます。
 面白いことに、漁民が自分たちで鯨肉を食べることはあまりないそうです。主食のトウモロコシを得るための貴重品だから、自分では食べないようです。なので、鯨料理の種類もあまり多くないそうです。もっとも、これは、鯨肉に限らず料理法自体があまり分化していないということのような気もします。

 問題のマッコウクジラは、現在では絶滅の可能性はまずないだろうと思われます。全世界で10万5千頭以上(記事には北西太平洋に10万2千頭となってますが、近年の研究では同海域3万頭ほどのようです。)が生息すると推定され、一方でほとんど捕獲も行われていません。日本の調査捕鯨で年に10頭以下と、後はレンバタ島程度なのではないでしょうか。
 当該環境保護団体の担当者は、『「生息数は計画に関係ない」とし、「目的は住民の生活水準向上だ」と計画続行を主張』しているそうです。しかし、「クジラ・イルカ保護協会」という団体名からして、生活水準に主な目的があるとは思えないのですが。

 仮に生活水準向上が目的だとしても、近代的捕鯨装備の供与を受けても昔ながらの方法に自ら回帰したラマレラの人々に対して、「生活水準向上」と称して変化を迫るのは疑問です。物々交換で生活していた周辺の農耕民の生活も、基盤を破壊されることにつながるわけで、まともな行為とは思えません。

追記
 環境保護団体側のエリック・ホイットErich Hoytという方は、ホエール・ウォッチングに関して世界的に著名な人物のようです。もともとはシャチなどクジラ類の研究者で、その後、環境保護とホエール・ウォッチングの推進活動家になった方だといいます。日本にもやってきてホエール・ウォッチングの広報活動・興行をしています(三河湾の例)。
 ホイット氏の主張は、捕鯨よりもホエール・ウォッチングのほうが経済効果が高いから、捕鯨をやめてホエール・ウォッチングをせよというもののようです(概略としてJapan-Times紙2005年6月21日に氏の文章があります)。レンバタ島での活動もその一環ということですね。国際捕鯨委員会IWCでも、非致死的利用も最近の議題になっているようです。
 しかし、「大方町近海に13頭いるクジラを捕獲すると4億円程度の収入なのに、ホエール・ウォッチングなら15年で51億円の経済効果となる」旨の例などを挙げているようですが、乱暴すぎると感じます。現代の持続可能な捕鯨の考え方からすると、こんな全頭捕獲はしないでしょう。それに必ずしも観光と捕鯨は二者択一でもないと思われます(ふれあい牧場でジンギスカン)。資源量や集客見込みによって適宜組み合わせて利用すればよいだけのような気がします。
 なお、こちらにホイット氏の公式サイトがありますが、更新は停止状態のようです。

戦車隊よもやま物語

 作家の司馬遼太郎は、太平洋戦争中に戦車に乗っていました。当時の体験をもとに、いくつかの文章を残しておられ、日本の戦車について「憂鬱な乗り物」だったと評しています。


寺本弘「戦車隊よもやま物語」
              (光人社NF文庫、2004年)
総合評価:★★★★★
 輸入戦車に始まった日本陸軍戦車隊は、国産戦車の配備を受け実戦経験を積みながら次第に成長し、太平洋戦争緒戦の電撃戦を成功させた。しかし、性能に勝る連合軍戦車との戦闘では苦戦を強いられることとなった。
 弱い火力と薄い装甲の「十五万両のお棺」に乗って、日本の戦車兵は何を思いながら戦ったのか。どのような工夫で弱点を補おうとしたのか。元戦車隊中堅将校が、自己の体験を元に読みやすいエッセイ風に、しかし脚色には溺れずに正確にと綴った日本戦車兵の実相。

東條首相の贈り物

 日本海軍では冷房装置が使われていたわけですが、では陸軍の方ではどうだろうかというと、こちらにも使用例があったようです。それも、時の首相の東條英機大将のお声がかりによって、というお話。

 1942年7月8日、臨時軍事費によって戦車用冷房装置を調達する指示が、陸軍兵器本部長に出されています。海軍の潜水艦用と同じくフレオン冷媒使用だったようです。調達数量は97式中戦車用と95式軽戦車用が5両分ずつ。8月下旬にサイゴン(現在のホーチミン市)の第21野戦自動車廠あてに、陸軍技術本部の前島少佐以下とともに送られることになります(陸亜密2969)。その後、送り先はラングーンに変更されています。

 無事に到着した冷房装置は部隊配備が行われました。戦車第14連隊の段列長の記憶では、技本派遣将校2人がやってきて、同連隊の連隊長車と中隊長車に搭載したといいます。全部で10基あるはずなので、その約半数です。「効果はまずまず」で、その代わりにエンジンオイルの冷却が少し悪くなった気がするといいます。
 ただし、段列長の記憶では配備時期は1943年の8月中旬だそうで、約1年のずれがあります。「戦車冷房装置取扱指導者派遣期間延期の件」によると技本派遣将校は1942年末に引き上げているようなので、段列長の記憶違いだと思います。
 せっかく装備した冷房装置ですが、フロンガスの補充がないこともあり、1944年のインパール作戦時には撤去してしまったようです。

 技本の派遣将校が段列長に説明したところによると、この冷房装置は東條首相の要望で装備することになったのだそうです。段列長から話を聞いた寺本氏は、人情に厚い東條首相なので不思議ではないとしています。
 東條大将については評価が分かれますが、細かいことに気がつく人であったのは確かなようなので、それらしいエピソードです。東條大将は、先進的な機械化部隊であった独立混成第1旅団を解体してしまったことで、戦車に無理解な「東條のバカ」と戦車部隊関係者からしばしば非難されます。しかし、戦車部隊を無視したわけではないとも言えるでしょうか。

 なお、戦車用の設備か不明ですが、開戦直前の1941年11月中旬にも、冷房装置付の酸素発生装置が南方軍宛に送られています。技術者も送られているので、一応使用も行われたのであろうと思うのですが、私は知りません。
 酸素発生装置なんて何に使ったのか、少し気になります。


参考文献
寺本弘「戦車隊よもやま物語」(光人社、2004年)
「兵器調達の件」アジア歴史資料センターC01000452200
「戦車冷房装置補給並取付指導者派遣の件」同C01000565700
「戦車冷房装置取扱指導者派遣期間延期の件」同C01000883400
「酸素発生装置調達の件」同C04123582400

日本海軍とうるるとさらら

 夏も近づいて蒸し暑い日が多くなっています。エアコン大活躍の時期です。熱暴走を起こして故障したパソコンが、どうにか修理なったので、再発しないように十分にエアコンを効かせようと思います。

 さて、冷却装置の歴史というのは存外古く、19世紀にはアンモニア式冷凍庫が実用化されていたというのを世界史で習った気もします。

 下って旧日本海軍の潜水艦には「フレオン装置」なるものが積んであって、艦内冷房がされていたそうです。フレオンという響きが錬金術のように思え、戦記で初めて読んだ時は大変ワクワクしました。後で、フレオンというのがフロンのことで、ようは普通のクーラーと同じだと知ったので、なるほどと思うと同時に少しがっかりした記憶があります。
1/700 伊-361/伊-171 #433 1935年に大阪金属工業という会社がフレオンの国産化に成功したのが、日本でのフレオン実用の始まりです。1937年に日本海軍に納入されて、1939 年に潜水艦「伊171」(画像はプラモデル箱絵)で実用試験が行われました。結果は良好で、潜水艦に対しては全面的な導入がされることになります。
 冷房なんてずいぶん贅沢な設備のようにも思えますが、南洋での作戦を想定した日本海軍にとっては重要な設備だったようです。日本海軍の潜水艦乗りは、暑さのあまりしばしばふんどし一丁になって活動していましたが、もしもフレオン冷房がなかったら、もっととんでもないことになってたでしょうね。

 フレオンを国産化した大阪金属工業は、その後の空調事業で大成功を収めます。その現在の社名がダイキン工業。もっとも今でも自衛隊向けのグレネードランチャーを生産していたりと、軍需産業の伝統も受け継いでいる会社です。
 そんなダイキンに経緯を表しつつ、当館のダイキン社製エアコン用の交換フィルターをアマゾンで注文しました。アマゾンも書籍以外にも色々売ってるのですね。さすがにグレネードランチャーは売っていませんでしたが。

参考文献
中部電力エネルギー応用研究所「ヒートポンプ式空調機器開発の歴史(1)
   (技術開発ニュース96号)

関連記事
東條首相の贈り物」(2008年8月5日)
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