山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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NHKの立派なお仕事がまた一つ

 もう半月も前になりますが、NHKの素晴らしい仕事がまた一つ始まっていました。「NHK戦争証言アーカイブス」という企画で、インターネットを使って番組制作用の従軍経験者へのインタビュー映像などを配信するというもの。しかも無料。NHKの番組で「証言記録 兵士たちの戦争」という良いものがありますが、これに使われた資料映像、さらには番組本編まで公開されています。
 また、戦時中に制作されていたニュース映画の「日本ニュース」も、大戦後期2年分が公開されているのも驚きました。宣伝色が強いものですが、当時の報道の実態や、戦場の兵士の雰囲気が伝わる貴重な史料です。まとめて見るのは初めてで、中でもインド国民軍など「同盟国」に関する映像が多く、興味深いものでした。
 現在は2か月限定のトライアル版ということで、来年夏にプレサイト、再来年に本格公開という流れのようです。(予定通り公開終了していました。)

NHK戦争証言アーカイブス」(公開期間:2009年8月13日~10月12日)
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ノモンハン捕虜の運命(序)

 第二次世界大戦直前に起きたノモンハン事件において、日本軍は大きな損害を受けました。多数の死傷者があったのに加えて、日本軍としては相当に多数の捕虜が発生したと言われています。
 いまだ謎の多いノモンハン事件であるところ、これら捕虜たちについても多くの謎が存在しています。いったい何人の日本兵が、どのようにして捕虜となり、その後はどのような運命をたどったのか、必ずしも明らかではありません。定説的には数百から数千人が捕虜となって多くはソ連に残り、帰国しても自決させられた者もいると言われますが、これはどの程度確かな話なのでしょうか。
 そこで、これらの謎について、私なりに資料を集めて答えを探した結果が本稿です。定説とは少々異なった結論に達した部分もありますが、はたしていずれが真実に近いのか、読んで考えていただけると幸いです。

目次
1.日本側捕虜の総数について
 (1)従来の状況、(2)新史料の評価、(3)満州国軍の捕虜
 (4)停戦後抑留者を含むか、(5)小括
2.ソ連側の捕虜について
3.捕虜交換について
 (1)第1回捕虜交換、(2)交換交渉、(3)第2回捕虜交換、(4)小括
4.帰還捕虜の処遇について
 (1)処遇の原則、(2)取り調べと軍法会議、(3)将校への自決強要
 (4)下士官兵のその後、(5)小括
5.未帰還捕虜について
 (1)NHK資料に拠る未帰還者数推定、(2)シベリア抑留者等の証言との整合性
 (3)未帰還者の生活、(4)日本への帰国
6.おわりに
補遺1.「今次事変に於ける捕虜帰還者の取扱方に関する件」(資料15及び30の抄録)

参考資料一覧
本文中では資料番号と、必要に応じて頁数を付して参照します。
1.鎌倉英也「ノモンハン隠された戦争」(NHK出版、2001年)
2.五味川純平「ノモンハン」(上下巻、文春文庫、1978年)
3.「捕虜交換に関する件」(アジア歴史資料センター(JACAR):Ref.C01003523000)
4.「蘇と会見交渉に関する件」(JACAR:C01003515200)
5.「日満ソ間抑留者交換に関する件」(JACAR:C01003574600)
6.「『ノモンハン』現地停戦委員に於て交渉中の抑留者返還の件」(JACAR:C01003511400)
7.外務省欧亜局第一課編「日『ソ』交渉史」(復刻版、厳南堂、1969年)
8.ノモンハン・ハルハ河戦争国際シンポジウム実行委員会
  「ノモンハン・ハルハ河戦争」(原書房、1992年)
9.「訂正の件」(JACAR:C01003523300)
10.シーシキン他「ノモンハンの戦い」(岩波現代文庫、2006年)
11.防衛庁防衛研修所戦史室「戦史叢書 関東軍<1>」(朝雲新聞、1969年)
12.同上「戦史叢書 満州方面陸軍航空作戦」(1972年)
13.全国憲友会連合会編纂委員会編「日本憲兵正史」(全国憲友会連合会本部、1976年)
14.アルヴィン・クックス「ノモンハン 草原の日ソ戦1939」(上下巻、朝日新聞、1989年)
15.「今次事変に於ける捕虜帰還者の取扱方に関する件」(JACAR:C01003544100)
16.「関東軍命令送付の件」(JACAR:C01003517200)
17.「俘虜と為り帰還する将兵の公判実施に関する件」(JACAR:C01007460900)
18.「戦死誤認者処理の件」(JACAR:C01003589000)
19.『無形戦力思想関係資料第五号』
  (松野誠也「日本軍思想・検閲関係資料」(現代史料出版、2003年))
20.「戦時死亡者生死不明者報告方に関する件」(JACAR:C04122413700)
21.森松俊夫編「参謀次長 沢田茂回想録」(芙蓉書房、1982年)
22.秦郁彦「日本人捕虜―白村江からシベリア抑留まで」(上下巻、原書房、1998年)
23.外務省欧亜局「昭和十四年度外務省執務報告 欧亜局」
24.同上「昭和十五年度外務省執務報告 欧亜局」
25.山中恒編「在満軍法会議処刑特殊犯罪集」
   (十五年戦争極秘資料集17、不二出版、1989年)
26.「特殊還送患者より得たる『ソ』蒙軍その他に関する情報」
  (「陸満密大日記(第10冊) 昭和15年 第10冊」JACAR:A03032001300・98画像目から)
27.保阪正康「昭和陸軍の研究」(上下巻、朝日新聞社、1999年)
28.「한반도는 이산의 오작교가 아니다」(주간한국(週刊韓国)2002年12月6日)
29.「5.ウクライナに於てドイツ軍捕虜になった日本人関係」(JACAR:B02032392900)
30.「大東亜戦争に於ける捕虜帰還者の取扱方に関する件」(JACAR:C01000542000)
31.「大東亜戦争に於ける捕虜帰還者の取扱方に関する件達」(JACAR:A03032058800)

上記のほか、以下の文献を参考としました。
吹浦忠正「捕虜の文明史」(新潮選書、1990年)

靖国神社慰霊祭とノモンハン事件戦没者数

 ノモンハン事件での敗北・損害について、日本軍はひた隠しにしたという風に言われます。実際のところ、どうなのでしょう。
 日本側の損害について最もまとまった史料と思われるのが、第6軍軍医部が事件直後に作成した損耗調査表で、戦死7696名・戦傷8647名・不明 1021名・戦病2404名の計19768名となっています。第一次ノモンハン事件の損害や、航空部隊、途中で撤収した戦車団の損害が含まれていない欠点はありますが、その誤差は1千名以内と思われます。このほかに第23師団が作成した損害調査表や、戦訓の研究資料としてまとめられた数字などがあり、それぞれ若干のずれがありますが、死傷病総計1万8千~2万名前後に収まってきます。いずれも通常は表に出ない内部の機密資料であり、正直かつ高精度な統計と思われます。
 意外なことに、この機密データに近い損害1万8千名という数字が、すでにノモンハン事件直後に広く新聞報道されていました。もとは1939年10月3日の地方長官(県知事等)会議で陸軍が説明した情報が外部に流れたもので、「去る五月ノムハン事件発生以来停戦にいたるまでのわが軍の損害は死傷および戦病者を加へて約一萬八千名である」とあります(大阪朝日10月4日夕刊)。同じ記事では「近代科学の粋をつくした本事件の経験は軍の精神的訓練の重要性はもとより軍の機械化など物質的戦備の充実がいかに近代戦闘において重大なる意義を有するかをいよいよ痛切に訓へたもの」とも書かれ、今でもそのまま通用しそうな評価が出ているのも興味深いです。

 ただ、これらの死傷病1万8千~2万名という数字自体を疑う見解もあるようです。その論拠はソ連側の推定した5万2千名以上などいくつかあるようですが、最大の根拠は1966年(昭和41年)10月の靖国神社でのノモンハン戦没者慰霊祭に関する新聞報道と思われます。この記事に戦没者1万8千余名とあることから、死者数に1万人も差があるとして、軍発表の粉飾を疑います(例えば五味川純平「ノモンハン(下)」(文春文庫、1978年)・252頁)。
yasukuni_nomonhan.jpg しかし、この新聞記事には資料価値は無いと私は考えます。問題の記事は1966年10月3日付の朝日新聞朝刊掲載のものと思われます(*1)。この記事は特集などではなく、画像の通り、8段組み最下段に20行足らずのささやかなものです。現物を発見した時にはいささか拍子抜けしました。該当個所は冒頭の「昭和十四年、ソ満国境で起きたノモンハン事件戦没者一万八千余人の慰霊祭が、二日午前十時から東京・九段の靖国神社で行われた。」との一文だけです。一文だけといっても記事の1/3を占めるのですが。
 五味川は靖国神社の発表のような書き方をしていますが、記事内に特に出典が明らかになっているわけではありません。おそらく、記者が、参考にした資料の「損害」1万8千名というのを全て戦死者と誤解して、記事にしてしまっただけではないでしょうか。この誤解はありがちなものです。1万8千という数字部分は共通する点から、単純なミスと見るほうが素直でしょう。そうであれば、軍資料や軍発表となんら矛盾は無いことになります。少なくとも、「靖国神社だけが知らされた超極秘の合祀者リストに記された真実の数字である」などという解釈は、情報源未確認なのに無茶と思います。
 ちなみに当の朝日新聞でさえ、日本軍の死傷者2万人と最近の記事で解説しています(朝日2009年6月8日夕刊)。

 地方長官会議に関する報道後、軍が大きな損害を公表したことについて、英断であると称える社説も別の日の新聞記事になっていたりします(*2)。以前にも紹介しましたが捕虜の発生も一応公表されており、こうしてみると軍が真相をひた隠しというのは少々言い過ぎに思えます。
 もちろん、全ての情報を公開していたわけではありません。例えば、8月後半に退却を余儀なくされたことについては、敵を「我が制壓圏に誘導」とあたかも計画通りのような発表を行っています(大阪毎日1939年9月1日朝刊)。「ノモンハン実戦記」(*3)のような本を出版して、情報操作を試みてもいます。
 それでも、全体としてみればノモンハン事件当時の軍発表は、主張国境線を守れなかったことを隠したのを除くと、正直に行われていたと言えます。むしろ、正直な発表の結果、国民の動揺が予想以上に激しかったので、あるいは誇張された情報が止まなかったので、後からあわてて情報操作を試みたのではないかとも思えてくるのですが、いかがでしょうか。

注記
*1 新聞各社が記事にしたとする資料もありますが、私にはこの1件しか発見できませんでした。

*2 積極的な発表かは怪しい気もします。あくまでオフレコだったのがすっぱ抜かれたのではないかという印象があるのですが、私の憶測です。

*3 樋口紅葉「ノモンハン実戦記」(大東出版、1940年)

パンドラの箱

 NHKの特集番組で日本海軍の「海軍反省会」が取り上げられていて、興味深く見ました。昭和50年代後半から旧海軍関係者が集まって行った部外秘の討論会の話で、表に出てきた録音テープを素材にしたもの。
 この海軍反省会での討論というのは、これまでも少しずつ表には出てきていたようですし、番組撮影協力者の戸高一成による証言録の形でも出版されていますが、肉声で聴けるというのはやはり重みが違います。400時間もの分量の一次史料を3時間に編集して放送するわけですから、番組の内容を鵜呑みにするのは危ないでしょうが、公共放送として立派な仕事だなと思わせてくれるものでした。
 3夜連続ということで、後の2回も楽しみです。

 ひとつ文句をつけたいのは、カメラを揺らすのは止めてほしいということですね。素材が音声テープしか無いので映像化が大変なのはわかりますが、見ていると船酔しそうです。
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
連絡したいことがある方は、記事のコメント欄か、サイドバー下方のメールフォーム、あるいはツイッターから、お気軽にどうぞ。
Twitter:baron_yamaneko

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