山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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豆まきを止めて恵方巻を食べて、非武装平和を祈りましょう

 ここ数年で節分の行事と言うと、恵方巻がすっかり定着しました。以前は、節分と言えば豆まきだったのに。正しい節分とはどういうものなんでしょうか?

 ところで、世界を見ると冷戦構造の崩壊から軍備縮小が大きな流れになっていますが、日本での節分の変化と比べると、非常に興味深いことに気が付きました。
 かつての豆まきは、鬼に豆をぶつけて攻撃して追い払う、いわば軍事力による攻撃的防衛でした。これに加えて、鬼が嫌がる鰯の頭を、とがった葉のヒイラギと一緒に家じゅうの出入り口に仕掛けるなどという陰湿な迷信もありました。ハリネズミ防衛論なんてことを唱えた人間が昔いましたが、まさにハリネズミのようなヒイラギのとげで武装していたわけです。生臭い鰯の頭は、鬼にとっては毒ガス攻撃のようなものです。
 一方、いまのトレンドになっている恵方巻はというと、鬼の金棒を食べてしまうことで軍備を解体するという、平和的手段による根本的な防衛、世界平和の実現を目指す新世代の自衛なのです。黒々とした海苔巻は、金棒と言うよりも、むしろ鋼鉄の大砲やライフルに似ているようにも見えるではありませんか。
 つまり、世界の軍備縮小、外交による戦争防止というトレンドと、まったく同じなのです。

 また、豆まきに使うのは大豆ですが、これは本来は食べ物のはずです。世界には今晩食べる食料も無い人が多いというのに。人間の命を救うための食糧が、攻撃的な兵器のために使われてしまっている、軍備のために市民が飢えている世界の縮図です。私は、節分の翌日に道路に散らばっている踏み潰された大豆の粒を見ると、この大豆があれば、一体どれだけの飢餓に苦しむ子供たちの命が救えたのだろうかと、涙が止まらなくなります。
 ひるがえって恵方巻は、軍備を止めて食糧とする未来志向の解決であることがはっきりしています。

 そもそも、豆まき攻撃の的にされているのは、架空の敵である鬼です。軍備を正当化するために仮想敵を無理やり作りだしている、軍産複合体に支配された軍国主義国と一緒の状況です。
 歴史を振り返ると、伝説において「鬼」とされてきたのは、迫害を受けた異民族たちでした。または、アジア太平洋戦争では、鬼畜米英などと呼んで、外国の人を鬼であると教えてきたこともあります。このような歴史を踏まえれば、鬼を撃退するなどというのは大嘘であり、排外主義・差別主義を子どものうちから植え付けようとする国家の陰謀であるということも想像できます。
 小学校などで、伝統行事と称して「鬼は外」というプロパガンダを子どもに叫ばせている様を見ると、戦時中の国家主義教育の悲劇と重なって仕方がありません。お互いに武器を捨てて、鬼と呼ばれてきた人々とも手を取り合っていく恵方巻こそ学校で教えるべきことでしょうに。

 市民として誇るべきことに、違法な毒ガス攻撃と同じく鰯の頭は使われなくなり、ハリネズミ防衛論が時代遅れになったのと同じようにヒイラギの葉もほとんどみかけなくなりました。ヒイラギはスーパーの隅に売られていることもありますが、軍需産業がいまだに軍備の必要をあおっているのと同じで、流れに棹さした反動的行為にすぎません。
 いよいよ残るは、豆まきだけです。日本が、スイスのように非武装中立の平和国家となるよう、節分の日には豆まきは止めて、家族で恵方巻を食べましょう。世界に誇る憲法九条を持つ日本の市民にとって、それが相応しいあり方に決まっています。
 
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