山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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鋼棺戦史(第5部 終焉・第1章・前編)

1.沖縄の戦い

 太平洋戦争における日米最後の決戦場となった沖縄。1945年4月当時、沖縄を守備する日本陸軍の第32軍は、沖縄本島へ第24師団・第62師団・独立混成第44旅団、宮古島へ第28師団・独立混成第59旅団・独立混成第60旅団、石垣島へ独立混成第45旅団、奄美諸島に独立混成第64旅団を配置していました。8個兵団の大兵を擁する第32軍ですが、その機甲戦力は軍直属の戦車第27連隊と第24師団隷下の捜索第24連隊および第24師団制毒隊というささやかなものでした。

 最有力の戦車第27連隊は、戦車第2師団の偵察部隊である師団捜索隊を抽出改編したものです。絶対国防圏の守備固めのため1944年3月17日に昭和19年軍令陸甲31号により臨時動員が下令されました。同時編成で硫黄島に送られたバロン西の戦車第26連隊(戦車第1師団捜索隊を抽出改編)とは兄弟分にあたります。
 前身である戦車師団捜索隊はもともと軽戦車中隊2個・中戦車中隊1個・乗車中隊(機械化歩兵)・整備中隊から成る諸兵科連合の編制でしたが、戦車第26・第27連隊の編制は軽戦車中隊1個・中戦車中隊2個・歩兵中隊・砲兵中隊(90式野砲4門)・工兵小隊・整備中隊という一段と強化された小型戦車師団というべき諸兵科連合部隊になっていました。これは、島嶼戦での独立部隊運用に対応するための編制でした。
 さて、満州勃利で編成された戦車第27連隊は、1944年6月に発生したサイパン戦により戦車第26連隊とともに逆上陸部隊として出撃準備を命じられますが、すぐに作戦中止となります。そして次の侵攻目標と危惧された沖縄へ派遣されることになったのです。同年7月、連隊長の村上乙中佐以下700人・九七式中戦車25両・九五式軽戦車14両が沖縄へ進出し、うち第3中隊(中戦車11両・軽戦車1両)と整備1個小隊(トラック3両・修理車1両)の人員114人は宮古島へ分遣されています。装備中戦車について、戦史叢書では「八九式中戦車(チハ改)」という妙な表記になっていますが、現存する写真を見る限り57mm砲搭載の九七式中戦車だったようです。
 戦車第27連隊の最終編制は、戦史叢書によると第4中隊として3個目の中戦車中隊が存在したものの、車両欠で車載重機24丁のみ装備であったとされます。これに対し、終戦直後に生還者の報告を復員省がまとめた「史実資料」の中には、沖縄進出後の1944年10月に増加装備による「特編中戦車中隊」を隊内限りで編成したとする例もあります。私見では、これらは同一の部隊を指しているのではないかと思います。

 捜索第24連隊は、第24師団の機械化偵察部隊で、もともとは関東軍の優良装備兵団であった第24師団にふさわしく戦車中隊や機関銃中隊を含む編制であったようです。しかし、1944年2月頃に「ロ号演習」の名で行われた絶対国防圏用の守備隊派遣の際に、戦車中隊や機関銃中隊は抽出されてしまいます。そして、同年7月に師団主力とともに沖縄へ向かう際、重装備を残置して本部と徒歩中隊2個の縮小編制に変わり、連隊長の才田勇太郎少佐以下449人でした。このほか、20mm機関砲2-3門・重機関銃2丁の重火器隊(隊長:富樫中尉)を作戦中に臨時に編成しています。

type94chemical.jpg 最後の第24師団制毒隊は、第24師団の化学戦部隊です。五十嵐正二郎大尉以下227人で、本部と1個中隊(発煙小隊・消毒小隊各1個)から成る編制だったのではないかと推定します。前身は第24師団軽装甲車訓練所で、毒ガス中和剤を散布するための甲号消車という特殊な装甲車両を消毒小隊に5両装備していました。
 この甲号消車は九四式と九七式の2機種あり、それぞれ九四式・九七式軽装甲車の派生車両(前車)により、散布機材を積んだ無人トレーラー(後車)を牽引して遠隔操作するというものです(左画像)。
 沖縄本島で撃破された所属不明の九四式軽装甲車の写真が複数車両分残っていますが(右画像)、私はその正体が第24師団制毒隊の九四式甲号消車の前車ではないかと考えています。tankette_syuri根拠は、他に軽装甲車を装備していた部隊の記録がないこと、後部ハッチに通常の軽装甲車では見かけない部品が付いており(注1)、後車を遠隔操作するためのケーブルの支持装置に思えることです。発煙筒を装着している点も化学戦部隊らしいですが、戦車第27連隊も沖縄戦で発煙筒を戦車に装着しており、あまり判断材料にはなりません。また、残念ながら甲号消車前車の車体後部の写真を見たことがなく、後部ハッチの部品が遠隔操作用ケーブルの支持装置だというのは全くの想像であり、もう少し検証の必要があると思います……と言っていたら、さっそくただの尾灯ではないかとのご指摘を受けました

 以上の3部隊のほか、沖縄戦に四式15糎自走砲(ホロ車)が参加していたとする文献もありますが、個人的には疑わしいと考えています。(中編につづく)

注記
1 後部ハッチに似たような部品がついた九四式軽装甲車の写真を1枚だけ見たことがありますが、これも所属部隊が不明です。その後、指摘を受けましたが、ただの尾灯のようです
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