山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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常民の戦争と海

『終戦間際に墜落した米戦闘機P51 有田沖で60年ぶり確認』(ニュース和歌山2005年7月20日)
 古いニュースですが、和歌山県沖の海中で、墜落したP-51戦闘機の残骸が発見されたことがあるそうです。
 記事によると、終戦1週間前の1945年8月8日に、漁船を襲撃しようとした際に海面に接触して墜落したとのこと。戦死した搭乗員のお墓も残っているそうです。


中村隆一郎「常民の戦争と海」
            (東方出版,1993年)

総合評価:★★★★☆
 総力戦となった第二次世界大戦では、正規艦船以外の多数の民間船舶が徴用され、そして多くの犠牲を払うこととなった。その徴用船のうちでも、「その他漁船などの雑船」などと軽い扱いしか受けてこなかった、小型機帆船に光を当てた一冊。太平洋戦争のほか、支那事変中の徴用についても触れる。
 和歌山の郷土史研究家である著者が、地元の漁業関係者などからの情報収集により、乏しく不完全な公式記録を補完しようと試みる。
 第二次世界大戦において、日本の陸海軍は、機帆船を重要な戦力として使用しました。平均総トン数40tの小船ながら、その活動は千島からソロモン諸島、クェゼリン、ビルマと、日本軍の作戦地域のほとんどに及んでいます。任務も、漁船らしい漁労から、輸送、哨戒、掃海と多様です。
 軍が機帆船に着目した理由は、喫水が浅く触雷しにくいなどの特徴、大型船の不足といったほか、小型船なら敵軍に見逃してもらえるのではないかという見込みもあったと言います。

 和歌山県の場合、支那事変中から、滑走艇と呼ばれる河川用舟艇の徴用が始まっています。熊野川から揚子江へ派遣されて、掃海任務にあてられました。
 太平洋戦争中には、少なくとも94隻が徴用されましたが、生還したのは千島と台湾にいた9隻のみ。35隻は今に至るまで消息不明となっています。小型船なら見逃されるなどという見込みは、甘すぎたのです。
 聞き取り調査によると、徴用された船の中には、通常の航海途中に、そのまま軍施設への寄港を命じられたケースもあったようです。初めて知った話で、事実ならあまりにも悲惨です。

 著者の調査は、「戦史叢書」をはじめとした従来の戦史のほか、各部隊の戦闘詳報等の一次資料、「焼津漁業史」等の漁業関係資料、生存者への聞き取りなど多岐に渡っています。
 ただし著者自身認める通り、明らかになったのは、膨大な徴用機帆船の運命のほんの一部に過ぎません。1隻ずつが小さく生存者が少ない上に、一杯船主が多く徴用管理が複雑、緊急的に徴用されたものもあるなど、機帆船特有の事情も深く関わっているようです。

総合評価:★★★★☆(限られた調査内容ではあるが、「その他」の実態についての貴重な研究)
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