山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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近衛集成機甲隊

近衛歩兵第5連隊の部隊史より、戦車中隊についてメモ。

近衛第二師団が海洋師団化された際に、近衛歩兵第5連隊は、海上機動反撃連隊に指定。
他の海洋師団の場合と同様、師団砲兵・歩兵砲を大隊に分属。機関砲中隊(高射機関砲3門)、戦車中隊などを追加編合。
ただし、師団戦車隊は存在しない模様。近衛捜索連隊が代わりに存続か?

連隊戦車中隊は、捜索第51連隊の軽装甲車中隊を改編したもの。
正規装備は、95式軽戦車9両、水陸両用貨車(スキ車)1両、小型連絡車1両。
昭和19年秋には、無事にすべて合流。

このほか、正規戦車中隊編成以前から、鹵獲したブレンガンキャリアー1両を連隊「戦車隊」として装備。近衛捜索連隊の指導の下。師団全体で相当数保有(追記も参照)。
戦車中隊編合後は、戦車中隊に追加装備。

戦車中隊は、部隊合流後、対戦車訓練の仮想敵などとしても活動。
連隊の指揮下から除かれ、捜索連隊の戦車中隊1個とともに集成機甲隊として、師団直轄扱いに。連隊戦車中隊長が統一指揮。

ブレンガンキャリアー2両を火炎放射戦車に改造し、戦車隊の装備に追加。しかし、試験中に1両が火災事故を発生し、乗員2名が殉職。
このほか、95式軽戦車には、荷物搭載用の荷台を後部に取り付け。
2両は、47mm砲を搭載した「砲戦車」に改造し、終戦直前に完成も、試射の機会は無し。終戦後、元の37mm砲に復旧。

終戦後、1945年12月頃に、アチェ部族の鎮圧のため連合軍許可の下、出撃。
自動貨車車列の前後に、計5両の95式軽戦車を配置したコンボイ。2両が基地警備のため残留。残り2両は、砲戦車に一次改造したもので、稼働状態に無し。
日本軍からの強奪兵器を持つアチェ武装勢力と交戦。武装バスを戦車砲で撃破し、橋を封鎖するバリケードを蹂躙するなど活躍。警戒のため、適時歩兵を跨乗させる。
以後、戦車の威力を思い知った武装勢力は、活動弱まる。

戦車中隊からも、現地独立運動に参加するもの有り。
内地帰還直前に部隊を訪問してきて、戦車の引渡を要請されるが、引渡拒絶。がんばれと声かけて別れる。
その後、内ゲバで殺害されたらしい。

追記
近衛歩兵第3連隊の部隊史によると、同連隊にも、ブレンガン・キャリアー装備の特設軽装甲車小隊あり。但し、終戦時の編成表には見られない。(私見:不興買うことおそれ隠蔽か?)
連隊本部自動車班(乗用車2両、自動貨車14両)の人員を中心に、隷下各大隊自動車班差出の人員を合わせ、16名で編成。小隊長は、自動車班教官の榎本中尉。
装備車両は、ブレンガン・キャリアー12両(8両との記述も)を数えたが、稼働率が低く、平均して半数程度が使用可能。各車に『機関砲』2門を装備。
なお、連隊全体では、乗用車11両、自動貨車61両、単車3台、側車1台の車両装備(終戦時)。
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