山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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戴冠式と人民戦線

 「女王陛下のユリシーズ号」という海洋戦記小説があります。第二次世界大戦を舞台に、英国海軍の軽巡洋艦「ユリシーズ」が活躍するフィクションです。
 実は、この邦題は明らかな誤訳という、割とよく知られた話があります。
 問題は『女王陛下の』の部分です。英国軍艦を意味する略号HMSの訳なのですが、このHMSは、男王の治世なら“His Majesty Ship”、女王の治世は“Her~”の頭文字と使い分けられます。
 第二次大戦当時の英国王室の王位保有者は、男のジョージ6世陛下でしたから、本当は「国王陛下の」と邦題をつけるべきだったことになります。なんだか、文学的じゃないです。
 一説によれば、邦訳当時「007」シリーズの「女王陛下の007」が公開されて、そのせいで誤訳したのではないかとも言いますが、はたして。

 さて、このジョージ6世は、1936年12月に王位を継承した方です。翌1937年5月20日に、戴冠記念の国際観艦式が行われたことで、日本海軍ファンの間ではよく知られています。
 国際観艦式ということで、世界18カ国の軍艦が出席しています。フランス戦艦「ダンケルク」、ドイツ装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」といった最新鋭艦も混じり、日本からも新鋭重巡「足柄」が参列していました。「足柄」は「飢えた狼」という高い評価(?)を受けたと言われ、我国でこの観艦式が有名になっている所以です。ほか、ギリシャやエストニアといった中小国も参加しています。

 その中でスペイン海軍からも、「チュルカ」級後期型の新鋭駆逐艦「シスカル」が参列しているのですが、これが問題です。1937年5月といえば、スペイン内戦(1936年7月~1939年3月)真っ只中もいいところです。
 「シスカル」は、内戦勃発時には建造の最終工程だった艦で、共和政府の手で直ちに就役させられたものです。1936年9月に、共和派主力艦隊のビスケー湾進出にしたがって、ビスケー湾沿いの共和派拠点ビルバオに展開しています。
 共和派艦隊主力は、すぐに地中海へ撤収してしまったのですが、「シスカル」は、僚艦「ホセ・ルイス・ディエス」と共に置き去りにされ、共和政府方についたバスク政府の支援にあてられていました。それで、イギリスに一番近くにいた軍艦ということで、観艦式に送られたのだと思われます。ビスケー湾は、海上封鎖をした国粋派(フランコ軍)との戦場になっていたのですが、なんとか潜り抜けて出席したのでしょう。

 出席した先での「シスカル」についてのエピソードは、残念ながら知りません。共和派海軍は、士官の多くが水兵に殺害されたような状況でしたから、衝突事故でも起さなかったのか心配です(追記参照)。また、敵の国粋派は、何かしなかったのでしょうか。
 共和政府軍には、強烈な共産主義者や無政府主義者が混じっておりましたが、そんな乗組員を乗せた軍艦が、国王の戴冠を祝うイベントに参加していたというのもなんとも妙な話です。(真っ赤な共産主義国のソ連戦艦も参加していますが)
 その後の「シスカル」は、スペインへ帰還したものの、ビスケー湾戦線崩壊の中で、10月に国粋派の空襲により撃沈されています。さらに、国粋派によって浮揚・修理され、内戦後長く使用されたようです。

追記
 心配した通り、帰り道に事故を起していたようです。観艦式翌日の5月21日に、ビルバオ沖で、友軍であるバスク海軍の特設掃海艇「D21」と衝突事故を起し、相手方を沈没させてしまっています。
 駄目だ、こりゃ。

参考記事(「スペイン内戦と海軍」より)
5.内戦に参加したスペイン艦艇の一覧』(第5回)
9.海上作戦の経過(8)ビスケー湾の戦いの終り』(第19回)
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