山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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ある旧式山砲の従軍記

31年式速射山砲_フィンランド_ハメーンリンナ砲兵博物館「日本とフィンランドは隣国と同じだ。間に1国しか挟んでいない。」というジョークを、どこかで目にしたことがあります。
 そんな「隣国」フィンランドの軍事博物館に、なぜか2門の日本製大砲が展示されています。右画像はそのうちの1門で、ハメーンリンナ砲兵博物館(Suomen Tykistömuseo, Hämeenlinna)の展示品。ある数奇な運命を辿った大砲の話。

 日露情勢に危機迫る1899年(明治32年)、日本で一門の山砲が制式化されます。31年式速射山砲、開発者の名をとって別名「有坂砲」。前年の明治31年に制式化された31年式速射野砲を原型に、山地での使用のために軽量化された大砲です。
 「坂の上の雲」を読まれた方はご存知の通り、この2種類の大砲は、日本軍の主力火砲として日露戦争で活躍しました。

 その日露戦争から10年後の1914年、第一次世界大戦が勃発します。
 このとき、日本とロシアは一転して同盟関係にありました。ドイツと戦うロシアに対して、日本は多くの軍事物資を補給しています。各種小銃82万丁をはじめ、各種火砲800門以上、日露戦争時の戦利艦の里帰りなど膨大な量です。
 その中に31年式山砲も含まれていました。どれほどの数であったか私にはわかりませんが、多数の弾薬と共に、かつての敵に対して供給されたようです。
 ところが、1917年ロシア革命が発生して、ロマノフ王朝は崩壊してしまいます。おかげで、日本が売却した兵器の代金は踏み倒されてしまいました。

 このロシア帝国崩壊の隙を突いて独立を宣言したのが、フィンランドです。フィンランドは、かつてスウェーデンから割譲されて以来、ロシア皇帝の支配下にありました。
 一度は独立を認めたロシア臨時政府ですが、フィンランド内部の左派「赤衛軍」と右派の「白衛軍」との間で内戦が勃発すると、介入を試みます。このときロシアが赤衛軍に対して供給した兵器に、50門ほどの31年式山砲も含まれました。たぶん旧式すぎて余っていたのでしょう。

 結局5ヶ月間の内戦の後、名将マンネルハイム率いる白衛軍が勝利を収め、フィンランドの独立が確立されます。
 赤衛軍に供給されたうち、44門の31年式山砲が鹵獲されました。
 しかし、フィンランド正規軍では使用されず、治安警備隊に引き渡されます。理由は、旧式で役に立たないから。フィンランド軍というと、旧式兵器でも創意工夫で使いこなす、物持ちのよさで知られるのですが、彼らをして無理だったようです。まあ、日露戦争中ですら見劣りがした代物ですから、仕方が無い話かもしれません。
 引き渡された治安警備隊でも持て余したようで、ほとんど使用しなかったといいます。1919年に、ロシア内戦に乗じてフィンランドがソ連領カレリアへ侵攻した際に、3000人の義勇兵部隊に3門が貸与された程度のようです。

 お蔵入りしていた31年式山砲が、再び戦場に送られることとなったのは、1936年のこと。今度の戦場はスペイン内戦でした。フィンランドからの支援物資として、極秘裏に共和派陣営に送られることになったのです。
 左翼的な共和政府に対して、どちらかというと右派で反ソ連のフィンランドが手を貸すというのも少し不思議ですが、弱者同士で心が通う部分があったのでしょうか。あるいは共和政府そのものにはシンパシーはなく、直接の支援の相手方であるバスク自治政府への友好心ゆえでしょうか。
 廃棄名目で軍籍抹消された42門の31年式山砲は、約28000発の弾薬とともにエストニア貨物船「ヨークブルークYorkbrook」に搭載されて、スペインを目指します。「ヨークブルーク」は、1937年3月5日にビスケー湾上で国粋派の重巡洋艦「カナリアス」に拿捕されてしまいますが、その直後のマチチャコ岬沖海戦の際にバスク海軍特設砲艦により救出。無事に共和派支配下のベルメオBermeoに入港して、そこで物資を揚陸できたようです。
 スペインに入ってから42門の山砲がどうなったのかは、もはやわかりません。孤立したバスク・アストゥリアスの北部戦線は兵器不足で悩んでいましたから、おそらく実戦投入されたと思うのですが、役に立ったのかどうか。

 フィンランドに残されたあとの2門が、現在のヘルシンキ戦争博物館と砲兵博物館に、それぞれ展示されているものです。さすがに冬戦争や継続戦争では使用されなかったものと思います。
 詳細は思い出せないのですが、以前に「丸」誌上の記事でも、写真付きで紹介されていたかと思います。斎木伸生氏のレポートなので、下に載せたアマゾンリンクの本に収録されていると思うのですが。
 なお、旧式兵器と散々書いてきましたが、太平洋戦争において、日本軍はこの兵器を第一線に引っ張り出しています。貧乏所帯のせいと、軽量さを買われたためでしょう。会田雄次「アーロン収容所」にも、『明治三十年式とかいう一発うつごとに砲車ごとごろごろとさがるやつ』とあり、31年式山砲か野砲と思われます。

参考
JAEGER PLATOON:」(英語)1918年から1945年までのフィンランド陸軍について
ハメーンリンナ・フィンランド砲兵博物館公式サイト(芬語・英語ほか)

 
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