山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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ノモンハン事件後の国境線

 ノモンハン事件後の外交交渉では国境線画定の交渉が行われました。
 チタやハルピンでの会談の後、モスクワでの1940年6月の会談で一応の協定に達しています。範囲はボイル湖以東、アルシャンに至るまでのハルハ河流域です。ソ連側はアルシャン地区を対象とすることには難色を示したようですが、現に戦闘が行われた地域だとの日本側主張が通っています。
 ただ、現地作業段階で、地図上にはあったオボが現存しなかったなどの問題から一時中断。最終協定は1940年8月15日、現地作業完了は同年10月15日にずれ込んでいます。

 画定後の国境についてあまり良い地図が無いようなので、かなり適当ですが作図してみました。戦史叢書「関東軍(1)対ソ戦備・ノモンハン事件」収録の地図を基礎としています。なお、戦場の詳細地図は別記事参照
nomonhan_map2.png ソ連・モンゴル側主張線は、戦史叢書において、日本側が鹵獲した地図によるとされているものを基本としています。(主張線外としましたが、1417高地についてはモンゴル政府は自国領だと考えているふしもあります。)
 日本側主張線も戦史叢書のハルハ河という記述にしたがっています。(しかし、戦史叢書の付図の中には、一部地域でハルハ河以南に国境線を描いてあるものもあります。)
 確定国境線は、1941年の現地作業終了時に作成された、満州国とモンゴルの協定書に基づいて推測した線です。ハンダガイ南東の三角山から、南のヌムルグ河(ネメルケン河)に入り、その第一支流を東方に遡っています。

 見ての通り、ほぼソ蒙側の主張国境通りの線引きです。日本軍が駆け込み攻勢を行ったハンダガイ西方地区も、結果としてソ蒙側主張が通ったようです。宮崎繁三郎大佐が率いる第16連隊の活躍で日本側が領土を獲得したというのは、最終結果を見る限り、伝説に過ぎないと思います。この点は別記事をご覧ください
 唯一、アルシャン地区の線引きは、モンゴル政府が非常に不満だったようです。こちらでは停戦間際に日本軍の後藤支隊(第1師団の一部)と独立守備歩兵第16大隊などが三角山を駆け込み占領したことが、線引きのポイントとなりました。あるモンゴルの将軍は、500平方キロが失われたと言っています。なお、この一帯は、グーグル・アースの国境線では停戦協定と異なってモンゴル領になっているのですが、中国が実効支配しているようです。中国の観光地図では、ノモンハン停戦後の確定国境線が明確に現国境として載っているものがあります。
 いずれにしろ、面積ではソ蒙側が勝利したといって良さそうです。アルシャン地区で互角の面積を占領したという言説を目にしたことがありますが、地図のとおり、まるで及ばない結果でした。
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