山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

続・宮崎連隊はノモンハンで勝ったか

承前)日本側、ソ連側の双方とも、この戦いの勝利を主張しています。
 宮崎大佐の歩兵第16連隊は第2大隊長以下183名が戦死し、99名が負傷する大損害を受けています。ソ連側の記録によると速射砲2門も鹵獲されたようです。死傷者に占める戦死の比率が異常に高く、牛島康充は「戦傷者を戦場に放置して退却したことを証明する以外の何ものでもない」(シンポジウム・92 頁)と推測しています。私もこれに同感で、鹵獲兵器が出ている点とあわせると、重傷者・重火器を収容しきれないまま夜陰にまぎれて後退した惨状が想像されます。
 他方のソ連側損害は、日本側記録によると遺棄死体約70体、撃破戦車20両・装甲車2両といいます。軽微ではありませんが、戦車が後衛となって整然と後退している状況からすると、決定的打撃は受けていないと思われます。夜間になれば戦車が補給などのために後退するのは自然なことですから、先に戦場を去っていても敗退という感じではありません。
 損害面から見ると日本側が勝ったとは言いがたく、せいぜい引き分けでしょう。

 占領地域を見ると、日本側は997高地の確保に成功しています。この点で、明らかにソ連領側主張線を破っています。日本側の主張線であるハルハ河には及ばないにしても、一定の成果です。
 ソ連側はエリス山(904高地・東山・南山)を防衛できました。10日のソ連軍後退後、日本軍が一角を占領していたとも思われますが、既述のとおり第2 大隊などは夜明け前に攻勢発起点に退却しています。日中に対岸のソ連砲兵から攻撃を受けることが予想されたため、確保はあきらめたのでしょう。997高地の第1大隊が制圧砲撃を受けて、非敵側斜面から身動きがとれずにいた状況からすると、賢明な判断だったと考えます。
 領土面から見ると、停戦までなら日本側がわずかながら勝利を収めたと言えそうです。
 なお、占領地点を標識する石碑設置の件ですが、よく言われるように宮崎大佐の発案であったかは多少の疑問があります。9月19日に歩兵第30連隊も石碑を設置していますが、これは第6軍の命令があったそうです。

 ただ、領土面も、最終的な国境画定まで考えると、日本側の敗北と言えそうです。(画定された国境の地図はこちら
 停戦後の国境画定交渉で、日本側は904高地南4キロの地点を通過する線を主張しました。戦前の主張線はハルハ河でしたが、占領状況からして無理がある主張と思ったのでしょう。
 しかし、1941年の最終協定では、ソ連側主張線が全面的に採用されています。すなわちエリス山(904高地ほか)はモンゴル領で、国境線は997高地(協定の「オンドル」地点と思われる)を経由するものとされました。日本側は、占領していた997高地だけは満州国領だと認めさせようとしたようですが、最終的に譲歩しています。交渉材料としては機能したかもしれませんが、結果を見る限り宮崎部隊の攻勢は無に帰したわけです。
 なお、さらに東のアルシャン地区では、後藤支隊(第1師団の一部)と独立守備歩兵第16大隊などの駆け込み攻勢が成功して、領土確保につながっています。(つづく
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