山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

続々・宮崎連隊はノモンハンで勝ったか

承前)こうして考えると、ノモンハン事件で宮崎部隊が大勝利をしたという見方は、明らかな誤りなのではないでしょうか。戦力比を見誤って中途半端な兵力を動かし、大火傷をした事例と評価するほうが、妥当でしょう。
 当時はすでに積極行動停止が中央から指導されている状況でした。投入が歩兵第16連隊のみとなったのは、現場の裁量として黙認される上限だったからでしょう。現場の裁量範囲を基準に、客観的には中途半端な戦力を出して損害を積むというのは、ノモンハン事件全体の構造によく似ているように思います。
 攻勢実施は上級司令部の責任であったとして宮崎大佐の指揮だけに限定して評価しても、際立っていたといえるか疑問です。秦郁彦も指摘している通り、昼間攻撃となることを考慮せずに第2大隊を東山に向けたのは失策でしょう。ただ、夜間に迅速な後退をしたことは、引き際の判断として正常であったと言えます。(仮に攻撃が宮崎大佐の独断であったとすれば、問題外なのはいうまでもありません。)

 結果の勝敗を別に、ハンダガイ攻勢はそもそもの戦略的価値からして不明な作戦と思えます。同時期のアルシャン西方の攻勢は、鉄道端末の安全確保という戦略価値があると理解できます。これに対してハンダガイ方面の904高地付近のみ確保しようとした作戦は疑問です。渡河地点確保ならば歩兵第30連隊も動かさねばあまり意味はなく、ハンダガイの安全確保には南方対岸が敵勢力圏なのでやはり無意味に見えます。少なくとも、和平成立を危うくし、1個大隊大破するまでの価値があったとは思えないのです。
 わずかでも領土を取って有終の美を飾りたい、一部将校の虚栄心からの作戦だったような気がします。そうであったなら、最後の最後までノモンハン事件は「現場の暴走」だったということになりそうです。
 一体誰の判断で実施されたのか、もう少し詰めて検討してみることが必要かもしれません。

追記
 ノモンハン戦に参加した須見新一郎大佐は、ソ連側の測量がいい加減なところを取っておけというようなことだろうと戦後の座談会で述べています。

参考文献
防衛研修所戦史室「関東軍(1)対ソ戦備・ノモンハン事件」(戦史叢書、朝雲新聞社、1969年)
ノモンハンハルハ河戦争国際学術シンポジウム実行委員会
 「ノモンハン・ハルハ河戦争―国際学術シンポジウム全記録 1991年東京」(原書房、1992年)
秦郁彦「昭和史の謎を追う(上)」(文春文庫、1999年)
マクシム・コロミーエツ「ノモンハン戦車戦」(大日本絵画、2005年)
シーシキン他「ノモンハンの戦い」(岩波現代文庫、2006年)
「満蒙現地国境画定委員会(昭和十六年度作業関係)(「チタ」、現地及哈爾賓)」
  (JACAR:B02031260400)
欧亜局第一課「10 昭和十六年度執務報告1」(JACAR:B02031358500)
藤本泰久『石坂准尉の八年戦争』(「知識の殿堂」より)
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