山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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スペイン内戦と海軍(第1回)

1.概要
(1)スペイン内戦の概略
 スペイン内戦(1936.7~1939.3)は、1936年2月に成立した人民戦線政府(以下「共和派」)と、これに対して反乱を起こした陸軍右派を中心とした反乱軍(以下「国粋派」)との間で行われた内戦です。
 国粋派は、エミリオ・モラEmilio Mola将軍とフランシスコ・フランコFrancisco Franco将軍ら陸軍右派のほか、ファシスト、王党派、教会などが核となっていました。これをドイツとイタリアのほか、隣国ポルトガルが支援していました。
 一方の共和派は、社会党や共産党のほか、無政府主義者、バスク独立派、カタルーニャ独立派などの諸派連合体でした。こちらは、ソ連とメキシコの支援を受けていました。フランスも当初は支援に動きましたが、不干渉政策に移行します。このほか、有名な義勇兵の国際旅団が加わっています。

 反乱は北アフリカのスペイン植民地で始まります。直後に本土の各地でも国粋派が蜂起。ビスケー湾岸のバスクVasco地方などを残し、北西部を支配します。
 次いで、国粋派の植民地駐留軍はアフリカから海を渡り、ジブラルタルGibraltar海峡西域に増援を送り込むことに成功します。本土に上陸した植民地軍は、ポルトガルとの国境沿いに北上、北西部の国粋派支配地域との連絡を果たします。
 さらに、国粋派はビスケー湾岸に残るバスク地方などを制圧した後に、中部で東へ侵攻して地中海沿岸にまで到達。共和派の支配地域を南北に分断してしまいます。分断成功後、エブロ Ebro川の防衛ラインを突破して北上した国粋派軍は、そのまま北東部カタルーニャを占領。残る南東部の共和派地域も、雪崩を打つように崩壊。1939年4月1日に、新政府首班に納まったフランコ将軍が内戦終結を宣言します。
 もう少し詳しい経過は、こちらの記事の年表をご覧下さい。


(2)スペイン海軍の状態
 当時のスペイン海軍には、かつて無敵艦隊と呼ばれた面影はありませんでした。内戦勃発時のスペイン海軍の主要戦闘艦は、戦艦2隻・軽巡5隻・駆逐艦15隻・潜水艦12隻・スループ5隻・水雷艇13隻。このほか、建造過程で内戦中に完成したものに、重巡2隻・駆逐艦2隻・敷設艦4隻・スループ1隻がありました。
 2隻の世界最小のド級戦艦を中心にした一応のバランスの取れた編制でしたが、かなりの旧式艦も含んでいました。整備状態も練度も不良であったようです。しばしば座礁事故などを起こしています。世界ランキングでいうと、米英日仏伊の5大海軍国から遠く離れ、ドイツ、ソ連、アルゼンチンなどと6位争いというところになります。
重巡洋艦カナリアスの進水式 保有艦艇の多くは、かつてのライバル、イギリス海軍の模造品です。例えば新鋭の巡洋艦は、いずれも英アームストロング社の造船官フィリップス・ワッツSir Philips Wattsが設計したものでした。フィリップス・ワッツ卿は、元祖ド級戦艦の「ドレッドノート」などの主任造船官を務めていた人物です。ただし、建造は自国の海軍工廠で行っています。この工廠自体、英系資本が入っていますが。右画像は、重巡洋艦「カナリアス」の1931年5月28日、エル・フェロル海軍工廠における進水の様子です。(第2回へ続く
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