山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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スペイン内戦と海軍(第13回)

7.海上作戦の経過
 (2)海の上の「ノー・パサラン」~海峡の戦い1936夏~


 共和政府の命令で海上に出動していた艦隊は、アフリカ北部の国際自由港タンジールに、7月20日の夕刻までに集結を完了します。その兵力は戦艦「ハイメ1世」、軽巡「リベルタード」「セルバンテス」、駆逐艦7隻他というものでした。
 集結した共和派艦隊は、ジブラルタル海峡の封鎖と、国粋派の拠点攻撃を開始します。早くも20日中に、軽巡「リベルタード」と駆逐艦若干が、セウタを艦砲射撃しています。海上封鎖も功を奏し、7月中の国粋派植民地軍の本土増援は、既述の2波と、空路からの小規模な1波のみに抑えられました。
 8月には、共和政府は、国粋派支配下の全港湾の封鎖を宣言します。拠点をタンジールからマラガに移した優勢な共和派艦隊により、それは実現するかに見えました。

 問題のアフリカの植民地軍は、外人部隊・モロッコ兵部隊を主力とする約3万人の部隊でした(注1)。練度が高く、植民地治安戦での実戦経験も豊富な精鋭です。フランコ将軍子飼いの彼らは大半が反乱に加担したため、アフリカの植民地の制圧は数日で完了していました。この植民地軍が本土に増援できれば、反乱成功の切り札になるはずです。
 逆に共和政府側からすれば、その本土上陸だけは阻止しなければならないことになります。

ju52.jpg 共和派艦隊による海峡封鎖と言う事態に、フランコ将軍は、ドイツとイタリアに救援を求めました。この要請は直ちに受け入れられ、多数の輸送機が「義勇軍」としてモロッコなどに派遣されます。これらの輸送機は8月初めには行動を開始し、初めの一週間で1500人の兵員を輸送しています。9月末までには、2万人の兵員が空路本土に渡りました。ジブラルタルに「空の橋」をかけたというわけです。
 しかし、空路で輸送できるのは人員と軽装備に限られます。車両や重火器、多量の弾薬などを輸送するには、やはり海路によるしかありません。
 この時点では、エル・フェロルで捕獲された国粋派艦隊主力は、まだ整備中で頼りになりません。軽巡「セルベラ」が、ビスケー湾岸の孤立した国粋派拠点の支援に当たっている程度でした。

Ciudad_de_Algeciras.jpg 8月5日、アフリカにおける「聖母の日」に、フランコ将軍はついに賭けに出ます。「シウダード・デ・アルヘシラスCiudad de Algeciras」(右画像)など貨客船3隻、曳船1隻に兵員2500人と装備を積載、強行輸送作戦を開始します。護衛部隊には、スループ「ダト」、巡視船「ウアド・ケルトUad Kert」(左下画像・注2)などがかき集められました。
uad_kert.jpg まずは、独伊空軍が露払いに出動して、哨戒中の共和派艦艇を攻撃します。駆逐艦「レパント」を小破させ、同「ラサガ」にも爆撃を加えて港に追い返しました。
 それでも船団は、共和派駆逐艦「ガリアーノ」(右下画像)に、たちまち発見されてしまいます。「ガリアーノ」は、国粋派拠点の艦砲射撃に向かう途中で、船団出航の連絡を受けて急行して来たのです。接近した「ガリアーノ」は、直ちに攻撃に移ります。
galiano.jpg 護衛の「ダト」「ケルト」が立ちふさがって必死に応戦しますが、駆逐艦相手では戦力的に不利です。輸送船上では、乗船した外人部隊が着剣すると、最後の接舷戦闘の覚悟を固めます。モロッコ兵の中には、「ガリアーノ」に向かって小銃射撃を始める者までいました。
 ところが、このとき、急を聞いたイタリア航空隊が次々支援に駆けつけます。モロッコ北岸の155mm砲台も「ガリアーノ」に射撃を開始し、アルヘシラス Algecirasから国粋派の水雷艇「T19」までが出撃してきました。航空支援もなく孤立した「ガリアーノ」は、とうとう撤退を余儀なくされます。
 「ダト」は若干の損害を受けたものの、船団は封鎖線を無事に突破。夜には本土の港に到着できました。フランコ将軍は見事に賭けに勝ったのです。船団は「勝利の船団El Convoy de la Victoria」と名付けられました。

 この失態に、共和派艦隊は、慌てて国粋派艦船の掃討を始めます。
 戦艦「ハイメ1世」を中心とした艦隊が、8月7日にアルヘシラス港を攻撃。停泊中のスループ「ダト」は、勇敢にも(あるいは無謀にも)応戦しますが、あえなく撃沈されました。巡視船「ケルト」も撃沈されています。沿岸の砲台群も沈黙に追い込まれました。
 これにより、共和派は、かろうじてまだジブラルタル海峡の制海権を維持していくことができます。(つづく

注記
1 モロッコ方面軍は、フランコ将軍が創設時の幹部であった外人部隊(といっても90%以上がスペイン人)が6個大隊に、カサドーレス(猟兵)6個大隊を中心とした陸軍部隊を有していました。残りがモーロ兵(ムーア兵)と俗称されたモロッコ人兵士でした。
 このほか、内戦中にも、数万人規模でモロッコ人兵士の臨時募集が行われていました。圧制を敷いてきたスペイン政府への反感から、改革を謳う国粋派の反乱に参加するものも多かったようです。

2 おそらく第二次世界大戦中の写真。
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