山猫文庫第3版

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スペイン内戦と海軍(第14回)

7.海上作戦の経過
 (3)バレアレス諸島攻防戦~「カタルーニャ遠征」の失敗~


 かろうじて海峡の制海権維持に成功した共和政府は、イベリア半島の東に浮かぶ、地中海の要衝バレアレス諸島に目を向けます。バレアレス諸島は、北から、メノルカMenorca島・マリョルカMallorca島・イビサIbiza島の三つの主要な島からなっている群島です。
 このうち、最大のマリョルカ島と、イビサ島は、国粋派が蜂起により占領しました。しかし、軍港マオンMahónのあるメノルカ島だけでは、蜂起は失敗。ボッチュ将軍以下の国粋派は、篭城の末投降しましたが、処刑されています。
 共和政府は、このバレアレス諸島の奪還を決意します。

 1936年8月9日、アルベルト・バーヨAlberto Bayo空軍大尉を指揮官とする共和派地上部隊は、貨客船3隻のほか旧式の上陸用舟艇(Xクラフト)などに分乗して出撃しました。戦艦「ハイメ1世」、駆逐艦「ミランダ」「アンテケラ」、潜水艦1隻、航空機6機が護衛にあたります。地上部隊の主力が、カタルーニャ地方政権の軍であったことから、「カタルーニャ遠征」とも呼ばれる作戦の開始です。

イビサ島上陸作戦.jpg 部隊は、手始めにイビサ島に侵攻します。わずか50名の国粋派守備隊を蹴散らして、イビサ島奪還は即日成功。遠征は幸先の良いスタートを切りました。(右画像はイビサ上陸時の写真)
 8月13日には「ハイメ1世」が、ドイツ軍のJu-52輸送機による爆撃で損傷する被害もありましたが、8月16日にはマリョルカ本島への上陸作戦が開始されます。未明、バーヨ大尉が直率する第一波2500人が、東岸の小港ポルト・クリストPorto Cristo付近に上陸して占領します。ヒュー・トマスによれば夕刻までには後詰の1万人が上陸、海岸から10kmの橋頭堡を確保しました。
 スペイン軍は、モロッコ植民地でのリーフ戦争中に上陸作戦を経験していたため、それなりに上陸作戦のノウハウは有していたようです。上陸用舟艇も、リーフ戦争中のアルセマス上陸作戦で使用されたものです。

 ところが、地上部隊は、それ以後ほとんど前進することなく停止してしまいます。
 その間に国粋派は、イタリア航空隊の支援の下、増援部隊をマリョルカ島に送り込むことに成功します。さらにイタリア航空隊は、共和派の地上部隊や艦艇に激しい空襲を加えます。赤十字を掲げた病院船までもが攻撃を受けました。本土のカルタヘナ軍港も空襲を受け、潜水艦「C1」が損傷しています。
 9月3日、ガルシア・ルイスGarcia Ruiz大佐が指揮する国粋派地上部隊は、ついに反撃に移ります。共和派地上部隊は一瞬にして潰走。「ハイメ1世」以下の艦隊が掩護にあたりましたが、膨大な損害を出してしまいます。地上部隊は、そのまま船で撤退。砂浜は共和派の遺棄死体で埋まりました。
 先に奪還したイビサ島も9月19日には国粋派に再占領されてしまい、遠征は完全な失敗に終わってしまったのです。
Alberto_bayo.jpg しかし、共和政府は「目的を達した遠征部隊は無事に帰還した」との勝利宣言をし、バーヨ大尉は英雄となります。右画像は、カタルーニャ本作戦で上陸用舟艇(?)に乗船中のバーヨ大尉とその部下たちを写した写真です。ちなみにバーヨ大尉は、後にキューバ革命を起すフィデロ・カストロやチェ・ゲバラらの軍事教官バーヨ将軍としても知られます。

 バレアレス諸島の失陥は、共和政府にとって大きな痛手となっていきます。9月6日にマリョルカ島に展開したイタリア航空隊「死の飛竜」は、共和派の海上交通を脅かし続けます。同島のパルマ港は、国粋派艦隊による通商破壊の拠点となります。
 しかし、プリエト海相をはじめ共和政府首脳は、ことの重大性をあまり理解していなかったようです。海上封鎖を計画していた共和派艦隊主力は、9月中旬にはビスケー湾への派遣が決定されてしまいます。そもそも、「カタルーニャ遠征」自体、島の戦略的価値よりも、「手軽な勝利」による戦意高揚に着目していた節があります。

 唯一政府の手に残ったメノルカ島は、制空権を失ったため、マオン軍港はじめ十分に機能しなくなります。1937年2月には郵便貨物船「シウダデラCiudadela」が重巡「カナリアス」に拿捕されたり、次第に連絡困難になっていきます。内戦末期は、潜水艦による連絡が細々とされるだけとなってしまいました。
 最終的には、カタルーニャ戦線が消滅した1939年2月10日にメノルカ島も開城されます。ウビエタ少佐以下の守備隊850人は、英重巡「デヴォンシャーDevonshire」により、フランスへ亡命しました。この「デヴォンシャー」は、約一年後には、奇しくもノルウェー王室の亡命にも使用されることになる軍艦です。(つづく
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