山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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スペイン内戦と海軍(第16回)

7.海上作戦の経過
 (5)エスパルテル岬沖海戦~海峡の戦い1936秋冬~


 共和派艦隊主力のビスケー湾派遣は、マラガ出港直後から察知されていました。国粋派を支援するドイツ艦隊が、共和派艦隊の行動を監視していたからです。
 ドイツ艦隊から連絡を受けた国粋派海軍のモレノ大佐は、密かに出撃準備を開始します。
 このとき国粋派には切り札がありました。エル・フェロルで建造中に捕獲した最新鋭重巡洋艦「カナリアス」が、8月に就役していたのです。

 「カナリアス」に座乗したモレノ大佐は、軽巡「セルベラ」を従えて出撃し、大西洋を南下します。機動力がなく足手まといになる戦艦「エスパーニャ」は、後に残されました。
 9月29日、国粋派艦隊はジブラルタル海峡に突入します。迎撃する共和派艦隊を一掃しつつ、そのまま地中海へ抜ける作戦です。国粋派艦隊の出現に、海峡を哨戒中の共和派駆逐艦「フェランデス」「グラビナ」が、慌てて応戦します。(エスパルテルEspartel岬沖海戦)

国粋派:重巡「カナリアス」(旗艦:モレノ大佐座乗)、軽巡「セルベラ」
共和派:駆逐艦「フェランデス」「グラビナ」

800px-Destructor_Almirante_Ferrandiz1932.jpg 共和派駆逐艦は接近を試みましたが、「カナリアス」の砲火によって「フェランデス」は撃沈され、「グラビナ」も「セルベラ」に撃破されてカサブランカへ逃走してしまいました。(右画像は在りし日の「フェランデス」)
 このとき「カナリアス」は、正規の照準装置を持たなかったにもかかわらず、2万メートルの距離から射撃開始後、わずか3斉射で「フェランデス」を撃沈したと言われます。事実なら恐るべき強運だと思います。
 勝利を収めた国粋派艦隊は、予定通りマリョルカ島に入港しました。

 このエスパルテル岬沖海戦の敗北を受けて、前回述べた通り、共和派海軍のビスケー湾作戦は中止になります。
 しかし、派遣艦隊が帰還しても、もはや海峡の制海権バランスは元には戻りませんでした。地中海に進出した国粋派艦隊への対処に、兵力を裂かねばならなくなったからです。国粋派艦隊は、バルセロナなど各地を砲撃して回っていました。例えば10月30日には、「カナリアス」がロサスRosasを襲撃し港湾設備を破壊した上、漁業保護艇「マリネロ・カンテMarinero Canté」(150t、47mm×1)と小型哨戒艇1隻を手もなく撃沈しています。「セルベラ」も、マラガ沖で警戒中の巡視船2隻を海底に送っています(10月9日or11月9日)。
 警備の手薄になった海峡を、国粋派の輸送船は自由に渡れるようになりました。これにより、モロッコからの増援部隊が次々と送り込まれるようになってしまいます。

General_Sanjurjo.jpg 11月18日、ドイツ・イタリアはフランコ政権を承認します。フランコ将軍の要請を受け、独伊海空軍は、海峡周辺の共和派艦隊に一気に追い込みをかけてきます。
 伊潜水艦「トリチェリTorricelli」(左画像・注1)は、11月22日、カルタヘナ泊地の軽巡「セルバンテス」を雷撃し大破させます。この損害の上、入渠中にも空襲を受けた「セルバンテス」は、内戦終結までほとんど行動することができませんでした。
u34.jpg ドイツも「ウルスラUrsula」作戦の名の下、極秘裏に潜水艦「U33」「U34」を派遣します。そして、「U34」(右画像)は、12月12日、哨戒からマラガへ帰還直前の共和派潜水艦「C3」を雷撃撃沈しました。左下画像は救難艦「カングロ」とともに係留中の健在な頃の潜水艦「C3」。
潜水艦C3と救難艦カングロ マラガ港は頻繁に空襲にさらされます。潜水艦「B5」は、被弾したか潜航退避に失敗してか、浸水沈没してしまいました。
 翌1937年1月11日には、勢いに乗った「カナリアス」「セルベラ」が、マラガに攻撃をかけてきます。しかし、それを迎え撃てる艦隊は居ませんでした。空襲の激しさに耐えかね、すでに主力艦艇はカルタヘナへと撤退していたのです。港内に停泊していた民間船舶は、一方的に撃沈されてしまいました。

 そして1937年2月、海峡の戦いに終わりがやってきます。
 モロッコからの増援部隊とイタリア陸軍の参加を得た国粋派軍が、マラガに地上侵攻したのです。
 共和派のマラガ守備隊は兵力だけは4万人を数えましたが、ほとんどが民兵で練度も低く、その上に塹壕構築を毛嫌いしていました。防衛線はあっさり崩壊し、戦闘開始からわずか2日で守備隊はマラガを放棄します(2月6日)。
 カルタヘナの艦隊による救援も失敗します。一説によると、「カナリアス」などに偽装したイタリア艦隊の陽動に牽制されて、行動を制約されたと言います。マラガ港内の残存艦船は、国粋派艦隊の封鎖に動けないまま、大半が自沈しました。
 マラガ陥落の際、難民数万が発生。海岸伝いに東のアルメリアAlmeríaへ避難を試みました。洋上に展開していた国粋派艦隊は、逃避行の列に砲撃を加え、難民に多数の死傷者が出ます。アルメリアへ通ずる海岸道路では、今でもこの時の犠牲者の遺骨が見つかるそうです。(つづく

注記
1 イタリア潜水艦「トリチェリ」は、その後、国粋派海軍に譲渡され、「ヘネラル・サンフルホ」と改名。画像は、譲渡後の1938年に撮影された写真。

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