山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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スペイン内戦と海軍(第17回)

7.海上作戦の経過
 (6)「Y」船の航海のはじまり


 国粋派がドイツ、イタリアの支援を受ける一方、共和派もソ連の支援を受けています。
 1936年10月1日、ソ連からの軍需物資を積んだ輸送船第一号「コムソモールKomsomol」が、黒海のセヴァストーポリを出港します。以後、10月中だけで24隻の輸送船がスペインへ向かいます。船の所属は、スペイン政府の用意したもののほか、ソ連の黒海・バルト海船団からもNKVDの事実上の管理下で極秘裏に提供されました(注1)。これらの船は、機密保持上、「Y」というコードネームが与えられていました。

 ソ連船は、武器輸送にあたっていることは秘匿し、通常貨物に混ぜて武器弾薬を積載していました。船団は組まずに一般商船を装った単独航海を行い、実際にスペイン以外の港での通商も行っています。偽装は巧妙だったようで、臨検・連行されながらも証拠不十分で解放されたケースがかなりありました。
 発見を避けるため100kmほど離岸した航路を取っていたようです。国粋派艦隊や海上査察艦の確認された危険水域は、夜間突破を試みています。
19361228_soviet_vessel_spanish_port_alicante_military_supplies_spanish_republic.jpg 無事に到着した「Y」は、カルタヘナやアリカンテAlicanteに入港し、物資を陸揚げしていきます。ただ、揚陸作業の効率が悪く、前線への輸送も滞りがちで、せっかくの物資も必ずしも有効に活用されたとは言えないようです。クズネツォフ大佐は、作業の非効率を、ここでも無政府主義者のためであるとしています。しかし、ソ連船については、機密保持のためソ連乗員が揚陸作業をする規則だったようで、いささか疑わしい弁解です。(右画像は1936年12月28日にアリカンテ港で揚荷中のソ連船「クルスク」)

 航海が順調だったのは、せいぜい初めの一月ほどの間だけでした。11月後半頃から、国粋派艦隊およびイタリア潜水艦・空軍による妨害が始まります。
 カルタヘナやバルセロナの港は、マリョルカ島から飛来するイタリア機による空襲を受けるようになります。
 イタリア潜水艦は地中海で商船を襲撃します。商船だけでなく共和派の艦艇も攻撃し、バルセロナの石油施設を夜間砲撃するなどの大胆な行動も行います。
 国粋派海軍の重巡洋艦「カナリアス」と軽巡洋艦「セルベラ」も、1937年2月末までに、少なくとも輸送船3隻を拿捕し、護衛艦艇を含め4隻を撃沈しています。前述のソ連船「コムソモール」も、2航海目に「カナリアス」に撃沈(ソ連側によれば自沈)されています。3月には、両艦はビスケー湾での通商破壊戦に移りますが、代わって重巡「バレアレス」(36年12月就役)が進出してきます。

 こうした事態に、政府軍も潜水艦部隊により、策源地のマリョルカ島封鎖を試みました。
 しかし、同島の航空機に制圧されてしまい、効果は上がりませんでした。戦果どころか、潜水艦「B4」が座礁事故を起こして沈没してしまう結果になります。

 3月、ビスケー湾方面での被害も合わせ、自国船の拿捕や積荷没収が相次いだオランダとノルウェーは、船舶保護のために艦艇を周辺海域に派遣しました。
 国際問題の深刻化を恐れたイタリアは、一時的に通商破壊を中止します。
 かわって、「モラ」級潜水艦(「アルキメーデ」級)を国粋派に供与しての作戦が始まります。乗員の一部提供などイタリア海軍の厚い支援を受けた「モラ」「サンフルホ」は、冴えない共和派潜水艦を尻目に、次々と戦果を上げていきました。最終スコアは輸送船撃沈3隻、撃破2隻以上に達しています。その中には、国際旅団への入隊志願者を輸送中だった「シウダード・デ・バレンシア」も含まれていました(注2)。
dd_hms_hunter_h35.jpg ドイツが供与した機雷による封鎖も行われたようです。アルメリアAlmeria沖で、査察任務のイギリス駆逐艦「ハンターHunter」(右画像)は、巻き添えで触雷大破。共和派駆逐艦「アルセド」に救助されています。この機雷敷設の結果は善し悪しで、当の国粋派も、後にビスケー湾方面で戦艦「エスパーニャ」を触雷で失うはめとなっています。

 様々な妨害から「Y」を守るのが、共和派海軍のこれ以降の最優先任務になって行きます。(つづく

注記
1  公式記録によれば、のべ37隻のソ連船が輸送任務を行い、うち5隻(沈没3隻、拿捕接収2隻)が失われています。失われた5隻の積載物資は合計で約2万tですが、これは通常貨物を含めての数字です。
 輸送任務に従事した乗員495人が、後に表彰を受けています。内訳は、レーニン勲章9人、赤旗Red Banner勲章29人、赤星Red Star勲章103人、Mark of Esteem316人、ソ連邦中央執行委員会表彰状Scrolls from the Central Executive Comittee of USSR授与38人となっています。

2 貨客船「シウダード・デ・バレンシア」(3946総t)は、フランスからバルセロナへ向かう途中、1937年5月30日に「サンフルホ」か「モラ」のいずれかによって雷撃撃沈されています。同船には、各国からの義勇兵250人ほどが乗船しており、うち60人ほどが戦死しているようです。(同船のことかわかりませんが、「カタロニア賛歌」にも海没経験のある義勇兵が出てきます。)
 このときは、共和派も、かなり潜水艦を警戒していたようですが、守りきることはできませんでした。前日の29日には護衛艦として巡視船など2隻がついていたほか、水上機による直掩は2日間とも行われていました。航路も、かなり沿岸ギリギリを取っていたようです。
 同船は被雷後5分の短時間で沈没。しかし、沿岸航路であったため、すぐに漁船などが救助を行うことができ、比較的犠牲者は少なく済んだように感じます。
 直掩機は雷跡を発見して警告していたほか、爆雷による反撃と、着水しての救助まで行っています。
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