山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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スペイン内戦と海軍(第18回)

7.海上作戦の経過
 (7)ビルバオへの道


 地中海で「Y」を巡るシーレーンの戦いが始まった頃、ビスケー湾でも、バスク地方へのシーレーンを巡る、元漁船たちの苦闘が始まっていました。
 ビスケー湾への派遣艦隊主力が撤収した後も、駆逐艦「ホセ・ルイス・ディエス」「シスカル」、潜水艦4隻、水雷艇「3号」という共和政府軍艦隊が残留してはいました。しかし、実際に戦いの主役となっていったのは、これらの正規艦艇ではなく、バスク地方政権が独自に整備した武装漁船艦隊でした。
 対する国粋派は、すでにジブラルタル海峡の制海権を握っていたため、巡洋艦部隊を自由に地中海と行き来させながら、優勢な艦隊を使用してきます。また、反乱軍側も多数の特設艦艇を封鎖戦に投入しています。

PortofBilbao.jpg ビスケー湾の戦いの焦点となったのは、バスク政府の首都ビルバオの港(右画像は現在のビルバオ港)です。ここへ向けて、主に英国からの食料が輸送されてきていました。国粋派艦隊は、ビルバオ周辺に網を張って、共和政府側の民間船を手当たり次第に拿捕していきます。
 これに対して、バスク艦隊も果敢に撃って出ます。1936年12月下旬エル・フェロルへ軍需物資輸送中のドイツ商船「プルートーPluto」「パロスPalos」を、相次いで特設砲艦2隻により拿捕してしまいます。消極的な正規艦艇が成し得なかった大戦果です。
 ところが、これはドイツの激しい反応を招きます。ドイツ政府は報復を宣言すると、翌37年1月1日行動を開始。独軽巡「ケーニヒスベルクKönigsberg」などが、商船3隻を拿捕した上、都市に対して威嚇射撃を行います。
 これに慌てた共和政府は、バスク地方政権の部隊を含めた全艦隊に、外国船への一切の敵対行動を禁止する命令を発しました。もともと消極的だった共和派艦隊ですが、これ以後、通商破壊戦などの積極作戦をとることは、ほとんど見られなくなってしまいます。

 1月7日に、ビルバオが空襲を受けた際、停泊中の共和派潜水艦「C4」は、高射砲で爆撃機1機を撃墜しています。これは、共和派海軍の潜水艦が内戦中にあげた、唯一の確認戦果であるようです。(他に、漁船改造の特設哨戒艇1隻を砲撃で撃破している可能性あり)

 国粋派のビルバオ包囲網は、じわじわと狭められて来ます。
 3月5日には、重巡「カナリアス」が、マチチャコMachichaco岬付近を航行中のバスクの輸送船団を襲撃し、マチチャコ岬沖海戦が発生します。

国粋派:重巡「カナリアス」
共和派:特設砲艦「ナバーラ」など3隻、特設哨戒艇1隻、漁船2隻、輸送船2隻

 護衛部隊や付近の沿岸砲台が奮戦したものの、3t分のニッケル貨(ベルギーで鋳造した独自通貨用)を載せた輸送艦「ガルダメスGaldames」と、米国・メキシコからの兵器(航空機8機、火砲31門等)を積んだ貨物船「マル・カンタブリコMar Cantábrico」が拿捕されてしまいます(注1)。
nabarra.jpg 護衛部隊も、特設砲艦「ナバーラNabarra」(左画像)を撃沈され、同じく「ギプスコアGipuzkoa」が大破炎上する大損害を受けました。特設哨戒艇1隻も、損傷してフランスへ逃亡したままになっています。特設砲艦と呼べるような大型船を4隻しか持たなかったバスク艦隊には、痛恨の一撃でした。
 一方「カナリアス」は、至近弾により数名の死傷者が出たのみでした。
 しかし、バスク海軍の犠牲的な戦いの間に、「カナリアス」がすでに拿捕していたエストニア貨物船「ヨークブルークYorkbrook」は、脱走に成功しています。この船は、フィンランドからの補給物資を搭載しており、その中心は日本製の31年式山砲が42門だったと言います。海戦で沈んだバスク特設砲艦「ナバーラ」は、バスク奮戦の象徴的存在になりました。アイルランド生まれの詩人・作家セシル・デイ・ルイスCecil Day Lewisは、その悲劇的な戦いを詠った「ナバーラ」という詩を発表しています(注2)。
Diez-Bilbao.jpg なおこんなときでも、共和派中央海軍の駆逐艦「ディエス」は、機関不調を理由に港に引きこもったままだったようです。地元の人々は、同艦を「港のペペ」と呼んで軽蔑しました。(右画像はビルバオ碇泊中の「ディエス」)

 4月8日には、英国政府が自国商船に対し、ビルバオ周囲100マイルからの退去を勧告します。ある英国議員は、この勧告を『英国人がスペイン艦隊を恐れたのは、1588年以来初めての屈辱』と評しています。
 しかし、一部の勇敢な英国商船は、勧告を無視してビルバオへ向かいました。そのうち、商船「マクグレーガーMacGregor」などは、軽巡「セルベラ」を中心とした国粋派艦隊から威嚇射撃を受け、駆けつけた巡洋戦艦「フッドHood」、駆逐艦「ファイアドレイクFiredrake」などの英国艦隊の後見により、かろうじて突破に成功しています。この際の英国政府の主張は、軍需物資以外の食糧輸送なのだから、自由通行を認められるべきであるというものであったようです。

 陸上での国粋派の攻勢も強く、4月26日には、あの悪名高いゲルニカGuernica空襲が実行されています。ゲルニカは、バスク地方の古都でした。

Acorazado_espana.jpg 国粋派は、完成した新鋭敷設艦「ユピテル」などにより、機雷封鎖も試みています。
 ところが、4月30日に悲劇が起こります。サンタンデル沖で国粋派戦艦「エスパーニャ」が、この機雷に接触して、浸水沈没してしまったのです。幸い、乗員は同行中の駆逐艦「ベラスコ」に救助されたものの、旧式とはいえ唯一の戦艦を喪失してしまいました。(右画像は沈みつつある「エスパーニャ」)
 この方面の機雷戦が共和派側に与えた被害は、特設哨戒艇1隻と掃海艇3隻を撃沈と一応のものですが、懸命の掃海のおかげで、余り交通妨害にはなりませんでした。機雷作戦は、なんとも割に合わない結果となってしまったのです。

 海上での漁船艦隊の奮戦もむなしく、6月14日にバスク政府は、首都ビルバオの放棄を決断します。これ以後のバスク戦線は、陸海に渡る掃討戦の様相を呈していきます。(つづく

注記
1 拿捕された輸送船「マル・カンタブリコ」は、国粋派の手によって仮装巡洋艦に改装され、逆に封鎖作戦に投入されています。152mm砲を4門、ドイツ製の88mm高射砲4門、20mm機銃数基など、かなり強力な兵装になったようです。

2 セシル・デイ・ルイス「ナバーラ」より、以下一部引用。
『その光は 時を越えて 灰になった星のように光っている
 「ナバーラ」の受難が 海のただ中に消されたずっと後までも』
 なお、ルイス氏は、作家としてはニコラス・ブレイクNicholas Blakeのペンネームで活躍しており、そのほうが有名かもしれません。「野獣死すべし」とか。
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