山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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スペイン内戦と海軍(第23回)

7.海上作戦の経過
 (12)パロス岬沖の凱歌


 1938年1月、国粋派のフランコ将軍は、国家元首兼首相就任を宣言し、「ヘネラリシモGeneralísimo」の肩書きを用いるようになります。総統と意訳することが一般的ですが、直訳すれば大将軍ないし元帥といった意味です。

 内戦後半の1938年は、陸の主戦場が地中海方面へと移ります。バスク地方政権を消滅させた国粋派が、いよいよ地中海に向けた攻勢を強化してきたのです。海上でも、ビスケー湾方面で行動していた敷設艦「ユピテル」級などが、37年末に地中海方面へ進出してきていました。(右画像は「ユピテル」)
敷設艦ユピテル イタリアの潜水艦と空軍も活動を再開し、地中海でも国粋派の優勢が明らかとなります。例えば2月1日には、カルタヘナへ石炭輸送中の英船「エンディミオンEndymion」が、潜水艦に撃沈されます。同船には、スウェーデン海軍の士官が監視任務で乗船しており、殉職しています。
 国粋派艦隊は共和派支配地の沿岸でも自由に行動し、2月22日にはサグントSaguntoを砲撃。3月1日には敷設艦「ユピテル」「ブルカノ」が、駆逐艦の護衛の下でバレンシアValencia港へ攻勢機雷戦を仕掛けています。ドイツから供与された魚雷艇も機雷敷設に使用されているようです。

 共和派も一応はやられっぱなしでなく、徐々に艦船攻撃の腕を上げてきた空軍が反撃し、サグント砲撃時には軽巡「セルベラ」を損傷させています。(あるいは、これは元海軍機の戦果かも知れないと思います。サグントは海軍の航空基地ですから。)

 そして、共和派艦隊も、劣勢を挽回するための一大作戦を計画していたのです。ソ連から供与された魚雷艇部隊を、マリョルカ島のパルマ泊地に夜間突入させ、停泊中の国粋派艦隊を奇襲しようというのです。成功すれば、「Y」船団に対する脅威を激減させることができるはずでした。
 3月5日夜、魚雷艇の突入と撤退を掩護するため、政府軍艦隊主力は、二手に分かれてカルタヘナ軍港を出撃します。

第一部隊:軽巡「リベルタード」(旗艦:ウビエタ少佐座乗)、「メンデス・ヌネス」、駆逐艦「ラサンガ」など5隻
第二部隊:駆逐艦「フアン」「エスカーニョ」「ウリョア」「バルデス」

 ところが、肝心の魚雷艇部隊(魚雷艇「11号」「21号」「31号」)が、悪天候を理由に出撃をしません。どうやら、ソ連人乗員が出撃を拒否したようです。(但し、共産党系の文献では、逆にウビエタ少佐が消極的であったためとしていますが。)
 やむなく作戦中止を決めたウビエタ少佐は、艦隊に帰還を命じます。戦わずして、またも共和派の敗北に終わったかに思われました。

 しかし、日付が変わった3月6日00時40分、事態は急展開します。共和派の第一部隊の左翼前衛、駆逐艦「バルカイステギ」が、反乱軍艦隊を発見したのです。実は、この夜、反乱軍艦隊主力も、船団護衛のため出動していました。

間接護衛隊:重巡「バレアレス」(旗艦:ビエルナ少将座乗)、「カナリアス」、軽巡「セルベラ」
船団及直衛:輸送船4隻、スループ「カナレハス」「カノーバス」(注:木俣によると敷設艦2隻。)

 第一部隊と遭遇したのは、このうちの間接護衛隊でした。間接護衛隊には本来は「ベラスコ」など駆逐艦3隻も随伴していましたが、燃料不足のため先に帰投してしまっていました。
 「バルカイステギ」は、先頭を行く「バレアレス」に魚雷を発射すると、反転します。これは命中しませんでした。
 ほぼ同時に、国粋派艦隊も敵艦隊を発見していました。この時、国粋派艦隊の指揮を執っていたのは、モレノ中将の栄転により後任となったビエルナ少将でした。『敵巡洋艦1隻、駆逐艦4隻』との報告を受けたビエルナ少将は、戦闘を決意します。
 ウビエタ少佐率いる共和派第一部隊も、全艦が戦闘態勢に突入。カルタヘナ近くのパロスPalos岬東方の海上で、短いながら激しい遭遇戦が始まります。これが、内戦中最大の海戦になるパロス岬沖海戦(別名:カルタヘナ海戦)です。

パロス岬沖海戦で沈没寸前の重巡洋艦バレアレス 02時05分、両軍が再び接触します。「バレアレス」は自ら探照灯を点灯して、「リベルタード」と砲撃戦に入ります。この探照灯が、結果的に失策でした。
 明々と浮かび上がった「バレアレス」めがけ、共和派の駆逐艦が殺到します。02時15分、「バルカイステギ」「レパント」「アンテケラ」が次々と魚雷を発射。このときは、いつもの魚雷不良も起きず。弾薬庫直撃を含む魚雷2発ないし4発を浴びた「バレアレス」は、02時19分爆沈。ここに幸薄い生涯を終えることとなります。(左画像は大傾斜して沈没寸前の「バレアレス」)

 旗艦を失った国粋派艦隊は、救助をあきらめ一時退却を開始。夜明けを待って反撃に出るつもりでした。
 魚雷を消耗した共和派艦隊も、追撃せずに離脱します。昼間戦になっては「カナリアス」に太刀打ちできないことを、ウビエタ少佐はよく知っていたのでしょう。イタリア空軍の逆襲に遭うのも目に見えていました。
 なお、共和派艦隊の第二部隊と、国粋派の船団は、特に戦闘は無くそれぞれの港に入港しています。

 艦隊が引き上げる代わり、共和派空軍のSB爆撃機が戦果拡大に飛来しました。運悪く、これらの標的になったのは、救助活動を引き受けていた英駆逐艦「ボレアスBoreas」「ケンペンフェルトKempenfelt」でした。相変わらず艦型識別が出来ない共和派空軍機の誤爆で、英艦は、至近弾により死者1名を出してしまいます。
 それでもこの英艦隊は、生存者400人あまりを救助して、「カナリアス」に届けています。「バレアレス」の乗員約1200人中、助かったのはこの人々だけでした。配属の海軍歩兵75人を含む、残りの800人弱は、海の藻屑となったのです。ビエルナ少将と幕僚のほとんども戦死者の中に含まれていました。

 この勝利は、共和派にとって貴重な明るいニュースとして、大々的に報じられました。司令官ウビエタ少佐は英雄として表彰されます。
 一方、国粋派にとっては大きな衝撃でした。警戒用の駆逐艦不足を痛感した国粋派海軍は慌てて増強を図り、日本に対しても中古駆逐艦2隻の売却を要請しています。もっともこれは、日本政府が余剰は無いと拒絶したため、実現しませんでしたが。日本側は新造艦ならと提案しましたが、戦局好転のため立ち消えになっています。

ビナロス1938年4月15日 ただ、結局のところ、この海戦の勝利も戦局全体を覆す力はありませんでした。それどころか報復とばかり、3月18日から三日間に渡るバルセロナへの空襲があり、3000人以上の死傷者が出ました。石油備蓄基地も破壊されてしまい、これは共和派艦隊にとって大きな足枷となります。
 3月27日には、フランス政府から、政府及び艦隊の亡命受け入れの打診があります。
 陸上での国粋派の攻勢も続き、4月15日、地中海岸の港町ビナロスVinarozが陥落します。ついに、共和派支配地に、一本の楔が打ち込まれたのです。(右画像は地中海に達し歓喜する国粋派兵士)
spain_map5.png

 純粋に海軍だけを見ても、せっかく動いた戦力バランスは、すぐに元に戻ってしまいました。「バレアレス」の穴は、大改装をした軽巡「ナバーラ」の就役で埋められます。逆に、共和派艦隊旗艦「リベルタード」が4月18日に空襲で大破し、行動不能となってしまいます。
 英雄ウビエタ少佐も、後にメノルカ島守備隊に左遷されてしまいます。ソ連軍顧問団などとの関係悪化が原因のようです。
 パロス岬沖に上がった凱歌は、共和派海軍最後の輝きだったのです。(つづく
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