山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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ノモンハン捕虜の運命(第8回)

(3)未帰還者の生活
 ソ連領に残った捕虜たちの生活はどのようなものであったのでしょうか。
 シベリア抑留者が接触して聞いた情報によると、1946年頃にはソ連に帰化して民間人として生活している例があったようです。ハバロフスク郊外のアムルスカヤ工場で運転手をしていた「イワーノフ」を名乗る者や、コムソモリスクの製パン所で工場長代理を務めている青森出身を自称する者、カラカンダの炭鉱労働者などの例が報告されています(資料22・上278頁、参院在外同胞引揚問題に関する特別委員会・昭和24年12月23日・佐藤三郎発言)。現地で結婚している例もあったといいます。帰化しているといっても、選挙権などは制限されることがあったようです。多民族国家ゆえか差別は少なく、生活はそれなりに豊かな者が多かったようで、シベリア抑留者に食糧援助をしたという話があります。
 ただ、もっと過酷な待遇を受けた捕虜もいた可能性があります。張鼓峰事件で捕虜になった方は、スパイ容疑で1947年まで投獄され、その後もソフホーズで不自由な生活をしたと証言しています(資料27・上)。田中克彦が、ブリヤート共和国に在住するノモンハン捕虜の娘だと称する人物から聴取した話でも、凍死寸前で過酷な森林作業に従事させられていたといいます(朝日新聞1999年9月30日夕刊)。

 中にはソ連軍に従軍した者もいたようです。朝鮮人捕虜でソ連軍に徴兵された後、今度は東部戦線でドイツ軍捕虜となり、最後にはノルマンディで米軍の捕虜になったという例があります(資料28。注1)。この4人の朝鮮人は1938年に日本軍に徴兵されたと報じられていますが、当時は朝鮮半島出身者は徴兵対象ではなく、朝鮮特別志願兵か軍属、あるいは満州国軍兵のいずれかであったと思われます。なお、この朝鮮人兵士の写真と称するものがありますが、元のキャプションでは“young Jap”と書かれているあたり、関連性には少々疑問があります。
 日本人捕虜でも、飛行第11戦隊の天野逸平中尉が東部戦線で活躍したという風聞や、満州侵攻軍に戦車兵として参加していたという目撃談があるそうです(資料22・83~84頁。なお注2)。
 スパイとして満州国などへ送り込まれた者もあったのではないかと想像します。少なくとも満州国軍の集団脱走者では、そうした事例があったようです。

(4)日本への帰国
 残留捕虜は故郷に帰ることはなかったのでしょうか。秦は「シベリア抑留捕虜が大量帰国した時期に、合流して帰る機会があったと思われるのに」、誰一人として帰国しなかったのは理解に苦しむと述べます(資料22・83頁。なお注3)。
 実は、秦の指摘するシベリア抑留者と同時の帰国をした例があると、私は考えています。1949年の参院特別委員会で、淺岡信夫議員が、「ノモンハン事件捕虜で千葉県出身の若松武というのが、1949年8月31日に一般引揚者と共に舞鶴に上陸した例もある」旨を述べているのです(参院在外同胞引揚問題に関する特別委員会・昭和24年12月23日)。この「若松武」という名は、ソ連側が記録した帰国拒否者の一人「ワカマツ・タケシ」と一致しています(資料1)。ソ連側尋問記録では出身地が東京となっているのが異なりますが、氏名の一致が偶然とは考えにくく同一人物と思われます。替玉をスパイとして潜入させたなどの可能性もありますが、入管審査の緩い戦後の混乱期に、わざわざノモンハン捕虜の身分を利用して注目される危険を冒しはしないと思われ、本人と見てよいでしょう。
 もうひとつ、1947年末にコムソモリスクの一般人収容所にノモンハン事件捕虜が入所したとの情報もあります(前掲の與儀宅正証言)。伝聞ですが、事実であれば帰国に成功しているのではないかと思われます。あるいは若松氏のことという可能性もあります。
 ただ、故郷に帰ることの無いまま、異郷の地に眠る人があるのも事実でしょう。捕虜として帰れば家族に迷惑がかかることをおそれて、帰国をあきらめたのでしょうか。それでも幸せな第二の人生を見出せたのならば、まだ良いのですが。(つづく


注記
1.このエピソードが韓国で映画化されるとの報道がされています(Wow!Korea2008年5月21日)。チャン・ドンゴンと木村拓哉が出演予定だと報じています。続報が無くガセネタの可能性が高いですが。
 ガセネタと思っていたら、本当に制作されていました。木村拓哉ではなくオダギリジョーが出演となったようです。日本公開は2012年新春とのこと。映画「マイウェイ」公式サイト(2011年7月5日追記)

2.秦によると、ドイツの公文書にソ連軍から脱走してきた日本人がいたと記録されているといいます。秦はノモンハン事件の捕虜である可能性を指摘します。
 異なる人物と思われますが、東部戦線でドイツ軍捕虜となった日本人は、日本側資料にも記録があります(資料29)。こちらは大正時代にシベリアへ移住した日本人で、ソ連政府によって両親を投獄された後、本人も逮捕されキエフの刑務所にいたところをドイツ軍に解放されたといいます。幼少期に渡航したため、日本語が話せなかったようです。在ケーニヒスベルク日本領事館(現カリーニングラード)に引き取られたとありますが、ドイツ敗北後の運命は不明です。

3.前述の張鼓峰事件の捕虜では、シベリア抑留者の最終便とともに帰国した例が確認されています。この方の数奇な運命に関わった方のブログ「走るナースのおとぎ話」が公開されています。
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