山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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ノモンハン捕虜の運命(第9回)

6.おわりに
 ノモンハン事件は、日本軍における捕虜観・捕虜政策の変化のきっかけのひとつとなった紛争であると思います。
 まだ公式には捕虜になることが悪とはされなかったにもかかわらず、捕虜となった者に対しては広く懲罰を科し、将校には自決を強制するなどの処遇がされました。この投降禁止の政策は、1年半後に東條英機陸相による戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」の一節により、公式化されるに至ります。
 ノモンハン事件で帰還捕虜について定められた処遇方針は、太平洋戦争が勃発すると、若干の変更を経て流用されました。1942年8月7日に陸亜密2895号ないし 2896号として関東軍や南方軍に通知された「大東亜戦争に於ける捕虜帰還者の取扱方に関する件」(資料30)は、ノモンハン事件時の陸満密855号「今次事変に於ける捕虜帰還者の取扱方に関する件」の「今次事変」を「大東亜戦争」に置き換えたほか、ノモンハン事件時には所要の者限定だった懲罰処分を、帰還者全員に科するものとして一段と厳しい理不尽な内容になっています。補遺1として原文の差異をまとめたのでご覧ください。(なお、発令日がガダルカナル戦開始と同日ですが、起案は8月5日以前のようなので偶然と思われます。)
 そして以後、日本軍は各地で玉砕を繰り返すのです。

 こうした投降禁止政策は、それ自体が非人道的であるばかりか、様々な弊害を招いたとも指摘されます。情報漏洩対策の不徹底や、捕虜についての戦時国際法の教育不十分などの一因となったと言われています。

 その後、サイパン陥落・東條英機首相失脚後の1944年8月に至り、「大東亜戦争に於ける捕虜帰還者の取扱方に関する件達」(資料31)が小磯国昭首相の名で発出され、捕虜政策は転換の兆しを見せます。「優勢なる敵に包囲せる且攻撃を受けたる場合、敵の戦闘行動により所属部隊より遮断せられたる場合、戦場に於て人事不省に陥り捕虜となりたる場合」と、具体的に無罪となる要件を挙げています。実質的には、ついに降伏が正当化されることを正面から認めたのです。
 しかし、すでに手遅れだったと言えるでしょう。
 もしもノモンハン事件の時に、正面からこうした対応がされていたなら、あるいはもう少し犠牲者が少なくて済んだのではないかと私は悔やみます。ノモンハン事件について日本軍は教訓を正しく生かせなかったとの批判がありますが、そのうちの重要なひとつとして捕虜観・捕虜政策のあり方というものが挙げられるべきではないでしょうか。(このシリーズおわり)


追記
 捕虜の発生状況についても、できれば補足したいと考えています。日ソ両軍とも大軍を動かして多数の死傷者を出した割には、捕虜の数がかなり少数であったことは、ひとつの謎と言えます。

 あらためて太平洋戦争後の陸亜密2895号を読み返したところ、ノモンハン事件時の陸満密855号とは内容に違いがあるのを見落としていたことなど、誤りを発見したので訂正しました。(2010年3月2日記)
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