山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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帝国の守護者(第6回)

4.「アウグスト・デ・カスティーリョ」の場合
 ポルトガル革命から4年後の1914年、かのサラエボの銃声をきっかけに、世界は大戦へと突入しました。
 当初、ポルトガルは中立を宣言します。
ポルトガル軍のアンゴラ増援部隊 といっても、何もしなかったわけではなく、アフリカの植民地に増援部隊を送り込むなど、それなりの戦闘態勢は取ります。葡領アフリカのアンゴラ、モザンビークは、いずれも独領アフリカと隣接していたので、英国寄り=連合国寄りのポルトガルとしては、警戒を強める必要があったからです。
 海軍も、領海の警備を強化したほか、アフリカ向けの輸送船には船団を組ませて、護衛を行いました。モザンビーク沖で独防護巡「ケーニヒスベルク」が暴れるなど、同盟軍の通商破壊の危険があったからです。防護巡「カンディド・レイス」(旧「カルルシュ1世」)などが、護衛任務に就いています。

 1915年末、友邦英国は、ポルトガルにある要求をしてきます。それは、領内に避難している同盟国商船の接収と引渡でした。Uボートの跳梁により、船腹不足の危機に立たされた英国が考えた、窮余の策でした。
 実行すれば事実上の宣戦布告です。ポルトガルは悩みましたが、結局、英国の強い要求に屈し、1916年2月に接収に踏み切ります。オーストリア船2隻を含む、72隻の同盟国商船が敢え無く囚われの身となりました。(追記参照)
 当然、ドイツをはじめとした同盟国は、ポルトガルに宣戦を布告。3月には、独領東アフリカ軍が、葡領モザンビークに侵攻を開始しました。東アフリカ戦域では、英葡連合軍と独軍の間の戦闘が終戦まで続きます。ツェッペリンの硬式飛行船「L59」による長距離空輸が行われたことでも知られます。映画「アフリカの女王」の舞台となったのも、この独領東アフリカ戦線です。

哨戒トローラー_アウグスト・デ・カスティーリョ 海上護衛強化の必要に迫られたポルトガル海軍は、英国にならいトロール漁船型の特務艇・特設艇を導入します。
 特設砲艦「アウグスト・デ・カスティーリョAugusto de Castilho」も、その1隻でした。「カスティーリョ」は、口径60mmと47mmの大砲を1門ずつ備えていました。英国流に言うと、哨戒トローラーでしょう。

 1918年10月、「カスティーリョ」は、マデイラ諸島からアゾレス(ポルトガル読みではアソーレス)諸島へ向かう客船「サン・ミゲルSão Miguel」を護衛していました。
 14日、2隻の目の前に、浮上航行中の潜水艦が姿を見せます。それは、ドイツ潜水艦「U139」でした。もちろん、通商破壊戦のために作戦行動中です。
 ポルトガルの2隻は速力を上げると逃げ出します。「カスティーリョ」は、煙幕発生材を次々に海中に投じ、独潜の目をくらませようとしますが、じきに煙幕材は尽きてしまいました。
 客船「ミゲル」の周りに、水柱が立ち始めます。このままでは「ミゲル」は餌食。「カスティーリョ」の艇長である中尉は、囮となって交戦する決意を固めました。小さな「カスティーリョ」は、反転します。
 「カスティーリョ」にとって不運なことに、相手の「U139」は、最新鋭の巡洋型潜水艦でした。150mm砲2門を備えて水上砲戦は大得意の、小型艇には嫌な相手です。接近に気付いた「U139」は、「ミゲル」を追跡しつつ、砲の狙いを「カスティーリョ」に変えます。
 直撃こそないものの、「カスティーリョ」はたちまち破片を浴びます。しかし突撃を止めません。
 とうとう気迫に負けたか、「U139」は進路を変え、「ミゲル」から離れだしました。体当たりの危険を感じたのかもしれません。それを見た「カスティーリョ」は、再び反転すると「ミゲル」を追いかけて、逃げ出します。

 ところが、これで逃がしてくれるほど、海の狼は甘い相手でありませんでした。しばらくすると、またも速力を上げ、2隻の獲物を追い始めたのです。「カスティーリョ」は、後部47mm砲で応戦しながら逃げましたが、交戦2時間ほどしたとき、もう弾がなくなってしまいました。
 艇長はまたも反転を命じました。残弾のある前部の60mm砲で、まだ戦うつもりなのです。悲壮な突撃が始まります。次々と至近弾を浴び、破片でマストやボートが壊れていきます。甲板の乗員は、バタバタと倒れました。
 そして、とうとう60mm砲の弾丸も、底を尽きました。
 「ミゲル」の方は、この間に遠く逃げ去っていました。もうこれで十分、と艇長は判断します。機関停止が命じられ、穴だらけの軍艦旗が半分降ろされました。降伏を決断したのです。
 にもかかわらず、「U139」の砲撃が止みません。急いで降伏信号旗も掲げられますが、変わらず砲弾が降ってきます。その一片が艇長も貫き、勇敢な彼はここで戦死してしまいました。

 生き残りの乗員たちが絶望に沈みかけたとき、「U139」の至近距離で派手な爆発が起きました。もう、こちらは弾切れなのに。
 援軍でしょうか?
 いいえ。暴発事故でした。砲口から飛び出した途端、砲弾が爆発したのです。気まぐれな戦場の神が、「カスティーリョ」に救いの手をさしのべたのでした。燃料タンクを損傷した「U139」は、ようやく砲撃を打ち切りました。
 生き残りのポルトガル乗員たちの半分は、1隻だけ無事だった救命艇に乗り脱出しました。乗り切れなかった半分も、損傷した救命艇をなんとか修理して、後から脱出。水も食料も無い状態で、200海里の苦しい航海の末、アゾレス諸島にたどり着くことに成功したのです。ただ、さらに1名が救命艇の上で死亡しています。
 乗員の見守る中「カスティーリョ」は、爆発沈没しました。残弾がなかったのに爆発したというのですから、魚雷によって沈められたのでしょうか。
 「U139」の方は、その後フランスへ入り、再び出撃することなく11月24日に降伏しています。

 この「カスティーリョ」の小さな戦いは、ポルトガル海軍が第一次世界大戦で経験した唯一の海戦でした。
 このほかの海上戦闘といえるのは、商船が潜水艦の犠牲になったほかは、独潜「U156」により1917年末にマデイラ島が砲撃されたのと、特設掃海艇「ロベルト・イベンスRobert Ivens」がリスボン沖で触雷沈没した程度です。
ポルトガル遠征軍団の兵士と迫撃砲 一方で、陸上ではもっと大きな犠牲を支払う羽目になっていました。西部戦線にポルトガル遠征軍団CEPの名の下2個師団を派遣したのですが、これが 1918年春のドイツ軍最後の攻勢「カイザー」により壊滅的損害を受けたのです。英軍戦線の弱点と見抜かれたポルトガル軍は、集中攻撃を浴びました。派遣軍を編成できたこと自体が「タンコスの奇跡Milagre de Tancos」(タンコスは訓練地名)と呼ばれたくらいの弱小軍隊でしたから、独軍お得意の浸透戦術の前に、なすすべもなく潰走して7000人以上の死者を出したようです。ほか負傷10000人以上、捕虜12000人でした。もっとも、この数字は、カイザー戦の両軍損害計160万人のうちのほんの一部に過ぎません。(画像は迫撃砲を操作するCEPの兵士)
 アフリカ戦線での死傷者も1万5千人と言われます。おまけに陸軍主力が外征中でがら空きとなってしまった本国では、クーデターを招いてしまい、ここでも犠牲を生じてしまいます。

 1919年第一次世界大戦終結。
 小国にとっては大きな犠牲を支払った結果、ポルトガルは戦勝国に名を連ねることができました。賠償として独領東アフリカの一部と、旧オーストリア=ハンガリー二重帝国海軍の水雷艇6隻を獲得します。他に、トルコからも「ベルクBerk」級水雷砲艦1隻を得られるはずでしたが、トルコ革命により反古にされています。(さらに追記の通り拿捕船舶多数も取得。)
 ただ、収支として割に合ったかというと、赤字でしょう。大戦前半の中立期には戦争特需で儲けたようですが、後半の人的・物的損失は耐え難いものでした。クーデター発生で明らかなように政情不安はますばかり。1919年には、王党派が北部で割拠して「王国」を名乗る事態にまでなっています。
 こうした中、国民の国家再建の期待を一身に背負い、一人の経済学者が登場してくるのです。その男の名を、アントニオ・デ・オリベイラ・サラザールAntónio de Oliveira Salazar博士と言います。(「マカウ」の場合へ

追記
 参戦時に接収した同盟国船舶は72隻、総トン数24万2千トンにも上っていました。これは当時のポルトガルの保有船腹7万3千tの3倍以上に相当します。
 このうち優秀船を中心に42隻(15万t)が英国に貸与され、その半数以上の22隻(6万5千t)が戦没して帰りませんでした。ポルトガルの手元に残った分と、返還された20隻は、新設された国営企業の保有となりましたが、採算が取れず数年で企業は解散。民間に売却されました。
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