山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
    --:-- | Top  このエントリーをはてなブックマークに追加

帝国の守護者(第8回)

5.「マカウ」の場合(後編)
 日本軍の快進撃の前に、極東の連合国勢力は一掃されてしまいます。
 その中、孤立した極東ポルトガル領は、本国から半ば見捨てられていきました。サラザール首相は植民地死守を宣言して、モザンビーク、アンゴラ、インドのゴアなどへの海軍展開を公約します。その公約の中に、マカオや東ティモールは含まれていませんでした。
 葡領東ティモールは、連合軍、ついで日本軍により保障占領されてしまいます。遅まきながら増援部隊を送る計画もあったのですが、実現しませんでした。
 もっとも、ポルトガルが本気になったとて、どうだったかはわかりませんが。死守を宣言したインドのゴアもドイツ情報船に利用され、それを狙った英軍工作員が潜入する事件が発生しています。

 「マカウ」は、ひっそりとマカオ港内に息を潜めていました。幸い、マカオは両軍いずれの直接占領を受けることもなく、中立が維持されていました。ただ、うかつに出港すると誤爆を受けかねなかったのです。
 そんな彼女に、身請け話が決まります。一隻でも多くの軍艦を必要とした日本海軍が目を付け、これと維持費に困ったポルトガルの利害が一致したのです。ポルトガル海上帝国から、大日本帝国へ。
 1943年2月、「マカウ」は日本海軍に引き渡され、香港の海軍工作部で整備を受けます。居住設備や防弾板などが追加されたため、排水量が130tに増加、速力は5kt強まで低下したようです。8月15日、新しい名前「舞子(まいこ)」が授けられ、日本海軍の軍艦となります。艦首には菊の御紋が輝いていました。(以下、「舞子」と呼称します。)
 所属は、第2遣支艦隊の香港方面特別根拠地隊、広東警備隊で、西江下流のデルタ地帯の警備が任務と決まります。

 1944年6月、警備任務を続けていた「舞子」に、重要任務が命じられます。陸軍の「一号作戦」への協力です。
 「一号作戦」別名「大陸打通作戦」は、日本陸軍最大の作戦のひとつで、投入兵力は40万人を超え、行軍距離は実に2000kmという壮大なものでした。作戦目的は、大陸方面の航空基地占領による本土空襲の阻止と、北京から仏印の鉄道線の確保にありました。
 「舞子」は作戦後半の「ト号作戦」(武漢から仏印)の水上補給路確保に当てられることになります。水路周辺の中国軍の掃討と、機雷掃海(河ですが。)が仕事です。
 1944年9月11日、「舞子」に出撃のときが来ます。「舞子」は広東警備隊司令の小倉外吉海軍大佐の旗艦となり、特型砲艇1隻、砲艇6隻、大発8隻などを率いて西江を遡上開始しました。出撃前の再度の改装工事により、兵装は英国製76mm高射砲と20mm機銃に強化され、代わりに菊の御紋は取り外されていました。陸軍兵士用の仮設居住区も用意され、陸兵も乗船しています。
 川岸の敵軍陣地と交戦しながら遡上することになりますが、本当の脅威は空襲でした。出撃から数日で米軍のP-51戦闘機等の攻撃を受けるようになります。
 やむなく夜間航行に切り替えて前進を続けましたが、9月24日、河口から120kmほど上流の地点に仮泊しているのを発見され、激しい銃撃を受けます。必死の応戦も虚しく、小倉司令以下4人が戦死し、負傷者多数を出してしまいました。「舞子」も浸水してしまい、ここで航行不能に陥ってしまいます。
 生き残りの砲艇に曳航され、「舞子」は戦線を離脱しました。
 それでも、9月30日までに残存部隊によって残りの100kmの掃海も完了し、任務は成功しました。この間に処分した機雷は200個以上に上ります。

 「舞子」らの犠牲によって開かれた水路を通り、多くの補給物資が前線に運ばれました。
 11月には、陸軍部隊が仏印へ到着し、「一号作戦」は完了しました。帝国陸軍最後の勝利とも言われます。もっとも、空襲阻止と鉄道輸送という戦略目的に関してみると、さらなる奥地からの空襲は続き、鉄道も十分利用されることはなかったという点で、無意味だったという評価が多いようです。同じ11月には、サイパンからの本土空襲が始まるという皮肉なことになっています。
 大破した「舞子」は、香港で修理を受け、再び下流域の警備任務に就きます。
 しかし、制空権の喪失により行動は制限され、1945年には昼間行動不能になっていました。「マカウ」だった頃の最後と同じく、息を潜めて隠れるだけでした。米軍来攻の際には、兵装撤去の上、河口付近に自沈して水路閉塞に当てられる予定だったと言います。

 1945年8月15日、日本降伏。連合軍による武装解除が始まり、「舞子」も国府軍によって接収されます。広東艦隊に配属となった「舞子」はまたも名を変え、中華民国砲艦「舞鳳Wufeng」となります。
 国共内戦の結果、1949年10月、「舞鳳」は中共軍に投降します。中華人民共和国砲艦「3-522号」となった「マカウ」は、1960年代初頭まで海軍籍にあったようです。「帝国主義の尖兵」が、共産主義国の軍艦となるとは、奇妙なものです。
 「マカウ」が護ったマカオが、中国に返還されたのは、「マカウ」退役から30年以上後の1999年のことになります。(「アフォンソ・デ・アルブケルケ」の場合へ

追記
シーウルフ [DVD] なお、退役した後の「マカウ」の運命はよくわかりません。一説によれば、民間に払い下げになって、最近まで西江で使用されていたと言います。
 もし、広東へ行かれる機会があったら、川面に彼女の姿がないか、ちょっと探してあげて下さい。

 ゴアでのドイツ情報船とイギリス軍特殊部隊の戦闘については、グレゴリー・ペック主演で映画化されています。「シーウルフ」(原題“THE SEA WOLVES”、1980年)がそれです。
Comment
2015.08.31 Mon 22:29  |  栴壇 #nmxoCd6A
はじめまして。以前よりこちらの記事を読ませて頂きました、ここに出てくる小倉外吉大佐は私の親族です。私は昭和42年生まれですが、祖父や父親からよく聞かされておりました。しかし戦死の詳細を知ったのはこちらでした。大変感慨深いです。
どうもありがとうございました。
ありがとうございます  [URL] [Edit]
2015.09.12 Sat 23:29  |  山猫男爵(管理人) #-
はじめまして。コメントありがとうございます。
ご親族の方からのコメントを頂戴して、たいへん驚いております。
わずかながらでもお役に立てたなら、たいへん幸いに思います。
お役に立てたなら  [URL] [Edit]







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://yamanekobunko.blog52.fc2.com/tb.php/198-0349800f
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
連絡したいことがある方は、記事のコメント欄か、サイドバー下方のメールフォーム、あるいはツイッターから、お気軽にどうぞ。
Twitter:baron_yamaneko

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
参加企画
にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ
にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
リンク
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール(不要ならそのまま):
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。