山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

帝国の守護者(第9回)

6.「アフォンソ・デ・アルブケルケ」の場合(前編)
 少々さかのぼって、第一次世界大戦後のポルトガルでは、政情不安が続いていました。
 1926年、共和派のゴメス・ダ・コスタ将軍がクーデターを起こし、軍事政権が成立します。その後、実権を奪い、大統領に就任した王党派のカルモナ将軍が、財政再建を担う蔵相に起用したのが、コインブラ大学教授のアントニオ・デ・オリベイラ・サラザール博士でした。
 サラザール博士は、聴講届けを出さない学生までも授業に出るほどの人気教授だった人物です。大臣就任直後、軍の干渉にうんざりして一度は辞任しますが、カルモナ大統領に全権委任を受けて、1928年に蔵相に再就任。緊縮財政と行政改革により、奇跡的な財政再建を成功させます。
 1932年には首相を兼任します。翌年には憲法を改正、以後40年近くにわたるサラザール独裁体制、いわゆるエスタド・ノヴォEstado Novo(新国家)の幕開けです。カトリック的色彩と、規律と共同体結合を重視した内政、反共産主義に、植民地の固持という独特の国家体制と言われます。

 財政再建の成功と、植民地重視政策のため、1930年代にはひさびさに海軍艦艇の更新が実現します。駆逐艦7隻、潜水艦3隻、それに植民地用の通報艦6隻などです。建造はまたも英国頼みですが。
Albuquerque.jpg そのうちの一隻が、1934年就役の一等通報艦「アフォンソ・デ・アルブケルケAfonnso de Albuquerque」でした。通報艦avisoというのは、もともとは艦隊内の連絡用に用いられた、小型の巡洋艦と砲艦の間のような艦種のことです。無線機の発達により本来の意義は失われていましたが、フランスなど一部の国で植民地警備用の大型砲艦の分類として復活しています。英国流に言う警備スループと同じといってよいでしょう。
 要目:基準排水量1780t、速力21kt、兵装12cm×4、76mmAA×2、40mmMG×2、水上機1
 一応の水上機搭載能力を有するあたり、フランスの通報艦「ブーゲンヴィユBougainville」級に近い性能と言えます。ポルトガル海軍の広報誌“Revista da Armada”の2006年3月号に、水上機搭載状態の美しい写真が載っています。搭載機は、ホーカー「オスプレイ」水上機のようです。
 艦名の由来は、インドのゴアを征服したポルトガル史上最高の軍人と言われる人物です。同型艦「バルトロメウ・ディアス(バーソロミュー・ディアス)Bartolomeu Dias」と並び、大航海時代の栄光を思い出させる名前であります。

 サラザール政権は、国家主義的色彩が強いながらも、独伊枢軸とはやや距離を置いていました。この点、隣国スペインに成立するフランコ政権とよく似ています。
 そのフランコ政権が成立するのは、1936年7月に勃発するスペイン内戦によってでした。(詳細は、こちらの別記事シリーズを。)
 スペイン内戦が始まると、ポルトガルは、独伊枢軸と共にフランコ率いる国粋派を支援します。スペイン国粋派への援助物資はポルトガル領に陸揚げされ、その後、陸路で輸送されています。

 内戦開始2ヵ月後の9月、今度はポルトガル海軍で反乱事件が発生します。
 首都リスボンを流れるテージョ川に浮かぶ艦隊が、サボタージュを起こしたのです。反乱艦隊の中核は、スループ「アルブケルケ」「ディアス」姉妹で、それに駆逐艦「ダウンDáo」が加わっていました。
 反抗の理由ははっきりしません。一説によれば、艦隊内のスペイン共和政府シンパが、スペイン共和派支援のために行動を起こしたのだとされます。少し消極的に、国粋派支援のため艦隊が派遣されるという噂が流れたため、出撃拒否の騒ぎが起きたとも言います。また、反乱参加者の証言とされるものによれば、直接的な動機は、スペイン内戦ではなく、脱獄中の海軍共産党員の特赦を要求するためだったともあります。おそらく、これらのいずれもが正しく、あまり統一的な意思はなかったのではないかと、個人的には思います。
 鎮圧のためのポルトガル政府軍とのにらみ合いが続いた後、9月8日、「アルブケルケ」「ダウン」の2隻が動き出します。テージョ川を海に向かって下り始めたのです。
 これに対してサラザール首相(蔵相・外相・陸相・海相兼任)が採ったのは、強硬手段でした。要塞砲による直接砲撃を命じたのです。
 直ちに、沿岸要塞の15cm砲などが砲撃を開始しました。「アルブケルケ」に次々と砲弾が直撃、甲板は血に染まりました。損傷した「アルブケルケ」は停止し、反乱艦隊はついに投降します。砲撃による死者は10人、負傷者多数にのぼりました。

 なぜ、サラザール首相は、こうした強硬策を採ったのでしょうか。
 もしかしたら、1910年のポルトガル革命の記憶が蘇ったのではないか、と思います。あの時は、海軍艦艇の王宮への艦砲射撃が、帰趨を決しました。今度は共産主義者の手によって、それが再現されるのではないかと、博士は恐れたのではないでしょうか。この当時、ポルトガル海軍内部には、共産主義者がかなりの数存在していましたから。

 制圧された3隻からは、反乱兵たちが引きずり出されました。中心人物とみなされた60名あまりは、カーボ・ベルデCabo Verde諸島へ流刑となっています。その多くが、マラリアや飢餓に倒れたものと思われます。
 損傷した「アルブケルケ」は修理され、引き続き植民地警備にあたりました。マカオの警備に訪れたこともあります。終戦直後には、日本軍に占領された東ティモールの奪還作戦にも、姉妹艦と揃って参加しています。
 中立政策のおかげで、第二次世界大戦を無事に生き延びた「アルブケルケ」。しかし、その先にもう一度、砲火に身を晒す運命が待ち構えていたとは、誰に予想できたことでしょうか。(後編へ続く
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