山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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昭和15年の君が代論争

 最近話題の国歌斉唱・国歌教育ですが、戦前にも式典での君が代斉唱が、一大論争になったことがあるのは、ご存知でしょうか。

 今回の裁判でも問題になった教育と国歌という論点ですが、そもそも、君が代が教科書に載ったのは、そう昔のことではありません。実は、日中戦争真っ只中の昭和12年(1937年)に、修身の教科書に収録されたのが初めてなのだそうです。
 国内の軍国主義色が強まる中、国体観念の高揚に力を注ぐ文部大臣の肝いりで、教育改革の一環として導入が決まったものです。
 同時に、君が代の「万代不易の国体」を歌った意味をも教えることになりました。ところが、教師を含め、その由来などを解する者がいなかったことから、教員教育用の国策映画「君が代の由来」まで制作されることとなります。

 当時、『学校よそに男女生徒数十名が桃いろ享楽』にふける事件や、「ひとのみち」などの新興宗教の広まりが問題化していました。事変以来、不良少年が増加したとの指摘もあります。ある少年審判長(現在の家裁判事)は、その原因を『国民精神の弛緩』とコメントしています。
 その対策の意味も含め、教育改革の動きが進んでいました。例えば、『新日本精神を叩き込み』『西欧思想への批判力養成』をするという高等学校(現在の大学)の新教育方針も、定められています。具体的には、従来の個人本意の立場からの国家社会(社会契約論の意味か?)という説明から、『人の立場即ち日本人として生まれてきた国民の立場』に基づく説明へと転換が図られたり、天皇機関説排撃が盛り込まれたりしています。

 こうした流れの中、太平洋戦争突入前年の昭和15年(1940年)、君が代斉唱を巡り、ついに論争が勃発してしまいます。そのきっかけは、皇紀2600年の祝賀式典に際して、政府が、君が代斉唱のあり方について、強引な決定を行ったことにありました。
 それまでも、式典での君が代斉唱のあり方については、専門家の間で見解が大きく分かれていましたが、特に法制化の動きなどはありませんでした。
 ところが時の近衛内閣祝典評議会が、『いやしくも国歌の奉奏、奉唱形式が区々であることは遺憾』として、突如決定を下したのです。そして決定された事項にそって、参加者心得などを作成しました。
 政府見解は、あくまで今回の式典についての定めであって、前例とするものではないというものでした。
 しかし、大きな強制力と影響力があるとして、強い反発を招くことになったのです。政府部内でも見解が分かれ、軍まで巻き込み、朝日新聞紙上で特集されるほどの事態に発展します。

 問題になったのは、君が代は1回斉唱すべきか、それとも2回続けて斉唱すべきかということでした。それまで、学校や一般式典では2回繰り返す形式が一般的だったようです。政府決定はこれに反して、「一回限り奉唱」というものでした。
 それぞれ根拠があったようです。

 まず、一回説の側から。
 (1)陸海軍の公式では1回が基本であること。君が代が国歌とされた起源は、軍楽隊が儀礼として演奏する必要にあることからすると、なるほど軍隊式が正統に思えます。
 (2)国歌は厳粛なものであり、二回も繰り返すべきでない。

 対する二回説はというと。
 (1)文部省の公式では2回と明示されていること。文部省は、君が代の制定に関して軍と主導権争いをしてきましたが、ここでも反対。
 (2)学校式典など民間では2回式が定着。
 (3)最初期の陸軍楽譜でも明らかに繰り返しになっている。おやおや。
 (4)和歌朗詠のルールに従えば当然2回が正式である。

 ちょっと馬鹿馬鹿しい争いに思えますが、結構真剣な悩みであったようです。街の声として、「奏楽が1回で止まっても、2回歌う者が出てしまったら、畏れ多い」と危惧するものが紹介されています。馬鹿馬鹿しいなどと言ったら、下手すれば不敬罪でしょうか。
 朝日新聞記事は、国民からすれば『君が代千代に八千代に授かれと繰返し祝ひたい気持ちになるのは当然であらう』と結んでいます。

 私の知る限り、現在では1回方式が一般的なような気がします。
 ただ、『基本的に国歌「君が代」は和歌の形式をふまえて二回斉唱します。』(宮城県神社庁公式サイト)のように、2回方式を正式とする方もあるようです。
 もし2回方式の経験がある方がいらっしゃれば、お話を聞かせていただけるとうれしいです。

 最後になりましたが、前半、少々誤解を招く表現をとったことをお許し下さい。
 戦前の教科書に載ったのは、上記の通り、昭和12年が初めてです。歌詞の意味や由来、奉唱作法のほか、外国の国歌に対する敬意を表すべきとの記述もあります。
 もっとも、教科書に載っていなかったのみで、それ以前も唱歌の授業のなかでは、歌詞が教えられ練習されていました。祝日大祭用の唱歌として公布されたのは、ずっと以前の明治26年8月12日のことです。(補遺へ

<参考資料>
「九千万同胞・魂の歌 国歌“君が代”小学校修身書に掲載」
 (中外商業新報1937年1月5日付より)
「『君が代』は何回歌ふ? 奉祝典の一回奉唱で両論沸く」
 (朝日新聞大阪1940年10月20日付より)
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