山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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リーフ共和国興亡(第2回)

2.共和国前史
(1)モロッコ分割

 17世紀以来、現在のモロッコに当たる領域は、アラウィー朝モロッコのスルタンが統治していることになっていました。このアラウィー朝は、現在のモロッコ王室であります。
 しかし、19世紀中ごろから、フランス及びスペインによる植民地化が始まり、さらに地方部族の反乱やお家騒動などが相次いだため、アラウィー朝は20世紀初頭には完全に弱体化していました。
 そして、1912年に結ばれたフェズFez条約と仏西協定の結果、モロッコは、仏西2国の分割統治による保護国化が決められてしまいます。スペイン領には、名目的なスルタンの総督(ハリーファ)が置かれます。もちろん実権を握ったのは、西仏の高等弁務官でした。以後、フランスは、急速に内陸部への支配力の浸透を進めることに成功します。

(2)アブデルクリムの登場
アブデルクリム_アブドゥル・クリム こうした中、一人の指導者が現れます。後にリーフ共和国大統領となるアブデルクリム(Abd el-Krim、アブド・アル=クリム、アブドゥル・クリム 注1)です。
 彼は、西領モロッコのベルベル人系部族であるリーフRif族の支族ワリギールOuriaghel族の出身でした。裕福な裁判官の家柄だったようです。
 仏領モロッコの首都フェズFezにあるカラウィーンQarawiyin大学で、イスラム法などを学んだ彼は、次第にリーフ族の独立を目指すようになります。大学卒業後、一時は裁判官を継いでスペイン植民地府やスルタン政府の統治に協力しますが、1915年からは通信社に勤めだします。その記者活動が咎められ、投獄されてしまいました。
 脱獄に成功したアブデルクリムは、ワリギール族の族長に就任。周辺部族との抗争を終結させ、西領モロッコ東部のリーフ族統一と安定に成功します。1920年頃には、スルタン政府からもスペイン植民地府からも、事実上の独立状態を確保していました。
 さらに、彼は、リーフ族の完全な独立国家建設も進めていきます。イギリスやフランス、ドイツ等の政治家や商人と密かに接触を計ります。武器調達や資金援助はもちろん、銀行の設置や通貨の発行など、幅広い分野での協力確保が目的でした。
 第1次世界大戦でのドイツの活躍にも影響され、アブデルクリムは軍備を重視します。軍事面では、弟のムハンマドも中心的な役割を果たしていたようです。外国人の軍事顧問としては、元ドイツ軍将校でフランス外人部隊からの脱走兵でもあるクレムスという人物がいました。リーフ軍は、空軍の整備まで計画していたというのですが、残念ながら詳細は存じ上げません。(第3回へ続く


注記
1 アブデルクリム(アブド・アル=クリム)の人名表記についてですが、これ全体で一個の名字に近いようです。おそらく元の意味としては「(寛大なる)神のしもべ」。後半のel-Krimは「寛大な」というのが本来の意味で、ここでは神の尊称として用いられています。
 なお、アル=クリム以外にも同様の神の尊称は多数存在し、人名に用いられているようです。例えば「アル・アズィーズ」で「比類なき威力の」、「アル・ハキーム」で「叡智ある」といった具合。イスラム教圏の人名でアブドゥルさんという言い方が出てきますが、これはこういった「アブド・アル~」系の名前の「~のしもべ」という部分だけを勝手に切り取っていることになり、不適切なようです。

参考:「アラブ人名の表記と読みに関する注意点」(東京外語大)
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