山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
    --:-- | Top  このエントリーをはてなブックマークに追加

リーフ共和国興亡(第4回)

(3)アンワールの戦い
 スペイン軍部隊が到達したアメクラン川、その向こう岸は、アブデルクリムを中心としたリーフ族が実効支配する領域でした。スペイン軍の接近を知ったアブデルクリムは、遠征部隊に対して「最後通告」を発します。「川を越えた場合、実力を持って抵抗する。」
 遠征部隊司令官マヌエル・シルベストレManuel Fernández Silvestre将軍(注1)は、この通告を一笑に付します。そして、部隊に渡河前進を命じました。目的地はアンワールAnnoual(スペイン風に読めばアニュアル)。

 アブデルクリムは、すぐには攻撃に出ませんでした。正面からぶつかっても、勝ち目が無いことを知っていたからです。
 モロッコ東部を担当するシルベストレ軍の総兵力は、25000人。進撃途中に多数の駐屯地を設けて、補給線防衛のための守備隊を置きながらの前進でしたが、それでも20000人は主力部隊に握っていたと思われます。
 対するリーフ軍は、この時点で戦力として期待できるのは、せいぜい3000人程度だったようです。
 シルベストレ軍の補給線が伸びきり、兵力が分散するのをじっと待っていました。

 6月初め、沈黙を守っていたリーフ軍が攻撃に出ます。アブデルクリムが直率する300人が、アメクラン河岸のダル・アバラDar Abara駐屯地を奇襲したのです。スペイン軍守備隊250人は、かなわず退却しました。しかも、退路上に敷かれていた待ち伏せ部隊にも攻撃され、180人近くを失う大損害を蒙ってしまいます。多数の集積物資が、リーフ軍の手に落ちました。
 これは、以後続発する駐屯地襲撃の最初のケースであり、典型パターンとなります。街道各地の駐屯地が突如として包囲され、攻撃を受けます。守備隊が脱出を試みると、その先には伏兵が潜んでいるのです。

 シルベストレ軍主力は、7月上旬には、なんとか目的地アンワールへと到着していました。しかし、後方拠点が次々に攻撃されたため、補給が滞って苦境に陥っていました。特に、水の不足が深刻でした。おまけにマラリア感染も広まっていたようです。
 シルベストレ将軍は、それでも戦線維持にこだわっていました。はるかマドリードの国王アルフォンソ13世も、強気の姿勢を崩していなかったようです。
 将軍は、包囲された駐屯地を救出するべく、2度にわたって騎兵多数を含む精鋭部隊を送り出します。救援部隊は、リーフ軍陣地に対して果敢に突撃を仕掛けました。ところが、兵力では圧倒的なはずの彼らが、一度たりとも突破することはできませんでした。この戦闘で、スペイン軍は戦死者だけで340人以上を出しました。リーフ軍の死者は20人程度だったと言います。
 なぜ、このような結果になったのでしょうか。このときアブデルクリムは、リーフ軍兵士に塹壕を掘らせて強力な野戦陣地を構築させていたのです。塹壕には小銃を手にした兵士が篭り、鹵獲した機関銃まで据付けられていました。勇敢な兵士と機関銃のある塹壕を、ただの突撃によって突破することはできないという第一次世界大戦の戦訓が、「野蛮な」ベルベル人によってモロッコの地に再現されたと言えます。第一次世界大戦を中立ですごしたスペイン軍は、ここで初めて塹壕の威力を経験したことになります。

 7月21日、シルベストレ将軍は、ついに撤退を命じます。15000人の残存兵力が、出撃したメリリャをめざし後退を始めました。戦略的撤退はすぐに単なる敗走に変わり、秩序を失って潰走に陥りました。
 救援のため、陸軍航空隊が飛び立ちましたが、ほとんど役に立たなかったようです。街道上に無数の遺棄死体と放棄された物資が転がるのを、ただ呆然と見つめることしか出来ませんでした。
 このアンワールの戦いでスペイン軍が出した損害は、公式発表によると戦死8000人、負傷4000人、捕虜数百とされています。実際にはもっと大きな損害を受けた、とする見方もあります。いずれにしても、歴史的敗北といってよいのは間違いありません。数多くの植民地戦争のなかで、一局面でヨーロッパ人が受けた損害としては史上最大のケースと思われます。イタリアの第一次アビシニア戦争のケースをも上回るでしょう。
 生存者のうち、メリリャまでたどりついた者以外に、フランス領に逃げ延びたり、海軍艦艇に救出された者がかなりあったようです。生存者の中にシルベストレ将軍の姿は有りませんでした。待ち伏せによって戦死したとも、自決したとも言われます。次席指揮官も捕虜となってしまい、帰りませんでした。(第5回へ続く


注記
1 シルベストレ将軍は、戦場経験で昇進したという型ではなく、国王の個人的信頼によって重用されていたようです。国王の親友であったそうで、典型的な宮廷武官だったと言えそうです。
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://yamanekobunko.blog52.fc2.com/tb.php/208-8ad340a8
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
連絡したいことがある方は、記事のコメント欄か、サイドバー下方のメールフォーム、あるいはツイッターから、お気軽にどうぞ。
Twitter:baron_yamaneko

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
参加企画
にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ
にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
リンク
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール(不要ならそのまま):
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。