山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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リーフ共和国興亡(第7回)

(3)西部でも続く敗戦
 スペイン軍の改革努力によっても、リーフ軍の勢いは、なかなか止まりません。
 東部ではメリリャだけが一時孤立した後、1921年冬には、スペイン軍は再びアンワール付近に前進拠点を設置していました。ただ、ゲリラ攻撃のため十分な補給が維持できず、こう着状態に陥ります。東部では、当分の間、街道の駐屯地の争奪戦が繰り返されることになります。

 代わって、主戦場は西部のセウタ側に移ります。
 西部は、もともとアブデルクリムの影響下に無い地域でした。そのため、スペイン軍の初期侵攻は順調だったことは、既に述べた通りです。しかし、東部での戦闘をきっかけに、西部でも激しい抵抗が始まったのです。
スペイン陸軍のルノーFT-17軽戦車隊 西部でスペイン軍は、新鋭の戦車部隊を中心に前進を図ります。
 ところが、ルノーFT-17軽戦車12両の戦車部隊は、天候不良で速度の鈍った随伴歩兵と分離してしまい、単独攻撃をするはめになってしまいました。対戦車火器を持たない部族兵を一時的に圧倒したものの、視察孔を狙撃されたり、ナイフを手に乗り移られたり苦戦します。結局、乗員多数が死傷し、2両を放棄して退却するしかありませんでした。

 天候不良に苦しめられたのは、海軍航空隊も同じでした。せっかくセウタに進出させたスーパーマリン「スカラブScarab」飛行艇は、天候不良により次々と失われ、20機中2機しか残りませんでした。
 陸軍からは、海軍機不要論さえ出てしまいます。

 リーフ共和国を建国したアブデルクリムらと西部の諸部族との間で連合協定がまとまると、西部もリーフ共和国に含まれることになりました。
 これにより、1924年初春から、強力なリーフ軍部隊が西部にも進出してくることになります。近代的な組織を導入し、優良な装備のリーフ軍は、西部の戦況をも一気に動かす力がありました。機関銃や200門以上の各種火砲も保有し、そのなかには最新式の迫撃砲まで含まれていました。兵力も、部族の在来兵士(というか戦士)とあわせ、70000人に膨れ上がります。
 リーフ共和国にとっても、西部進出は、中立港のタンジールとの間で補給線が確立されるという大きな戦略的メリットがありました。

 正規軍を中核に部族兵を加えたリーフ軍は、シャウエンに猛攻を加え、1924年秋に奪還します。装甲車を護衛につけた車列すらも、壕で足止めされた隙に手榴弾で撃破されるようになり、守備隊への補給が不能になったためです。
 このとき、スペイン軍の撤退作戦の指揮を執ったのが、フランコ中佐でした。退却は困難を極め、スペイン軍の損害は死傷12000人に及びました。待ち伏せにより、一度に40両以上のトラックが失われたこともあります。
 それでも、なんとかテトゥアンへの3万人以上の撤退を成功させたことで、フランコ中佐の名声は大いに高まります。翌1925年2月に、1924年1月まで遡及して(!)、大佐に昇進となりました。(第8回へつづく
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