山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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リーフ共和国興亡(第9回)

7.アルセマス上陸作戦
(1)反撃準備

 フランス軍の反撃に呼応するべく、スペイン軍も一大反撃作戦を準備していました。
 その作戦に重要な役割を演じることになるのが、スペイン海軍です。

 かつて無敵艦隊と呼ばれたスペイン海軍ですが、イギリス海軍・オランダ海軍に幾たびも破れ、その栄光は失われていました。19世紀末の米西戦争では、新興海軍のアメリカ艦隊の前に、マニラ湾海戦、サンチアゴ海戦と大敗を喫し、保有艦艇の大半を喪失するという屈辱を味わっています。
Acorazados_Jaime1-España1931 それでも再建の努力の結果、このリーフ戦争の頃には、「エスパーニャ」級戦艦3隻をはじめ、巡洋艦8隻、水上機母艦1隻、駆逐艦3隻などの艦艇を揃えていました。
 「エスパーニャ」級戦艦(右画像)は、第一次世界大戦前に着工された小粒のド級戦艦です。大戦の影響で建造が遅れていた3番艦の「ハイメ1世」は、1921年に完成したばかりでした。
 巡洋艦では、「レイナ・ビクトリア・エウヘニア」「ブラス・デ・レソ」「メンデス・ヌネス」の3隻の軽巡洋艦が新しく、ほかには装甲巡洋艦3隻、小型巡洋艦2隻がありましたが旧式でした。
 そして、目玉と言うべきが、水上機母艦の「デダロ」です。貨物船改装ながら、水上機20機以上の運用能力を持つ、世界的に見ても珍しい大型母艦でした。
 これらの艦艇の要目は、こちらなどの別記事を参照してください。

 リーフ戦争勃発当初、海軍はあまり大きな活動を見せませんでした。リーフ共和国側には海軍などありませんから、当然ですが。主に、沿岸封鎖や敗残兵の救助をしていたようです。メリリャの防衛戦に際しては、一部の艦艇を派遣して艦砲射撃を行っています。
 大きな艦隊が動いたのは1923年11月、国王アルフォンソ13世のイタリア訪問です。このとき中心になったのは、その名も戦艦「アルフォンソ13世」と「ハイメ1世」の2隻でした。
 あと一隻の「エスパーニャ」(初代)は、どうしたのでしょうか。実は同年の8月にモロッコ沿岸を行動中に座礁して、あえなく沈没してしまっていたのです。おそらく練習航海をかねての沿岸封鎖をしていたのだと思います。惨めなことに、スペイン海軍は、ほとんど動かぬ間に艦隊旗艦を失くしてしまっていたのです。
 1924年には海軍航空隊の水上機がセウタに進出して、天候不良で大損害を受けてしまったのは既述の通りです。
 なお、このほかの海軍被害として、1922年3月にスペイン艦艇1隻が沿岸行動中にリーフ軍の砲撃で撃沈されているとの情報もあるのですが、該当する艦艇を発見できていません。ただの誤認か、あるいは小型のボートの類でしょうか。

 さて、こんなスペイン海軍が引き受けることになった作戦とは、アルセマス湾への大規模な上陸作戦でした。リーフ共和国の首都アジール付近に大軍を揚げ、一挙に首都を占領しようという野心的な計画です。投入される陸上兵力は、第一次上陸部隊だけで8千人。しかも、火砲や戦車10両までも含まれていました。
 世界の近代戦史上においても、これほどの規模の上陸作戦が実行されたことは、それまでほとんどありませんでした。貴重な一例が、第一次世界大戦中の 1915年に行われた有名なガリポリ上陸作戦です。このガリポリ作戦には、はじめ連合軍5個師団が投入され、最終的に増援部隊を含め14個師団が上陸した挙句、死傷25万人を越す完全な失敗に終わっています。
 アルセマス湾上陸作戦は、ガリポリに比べれば上陸兵力は小さなものです。しかし、ガリポリの時には、戦車の上陸はありませんでした(注1)。そのうえ、支援を担当するのは世界最強の英国海軍ではなく、落ち目のスペイン海軍というのですから大変です。

 作戦に向け、スペイン海軍は準備を整えます。
 すでにスペイン海軍は、これ以前にも上陸作戦の可能性を研究していました。海軍の陸戦部隊である海軍歩兵(海兵隊)には、多少の上陸戦の訓練を積ませていました。海軍歩兵は、もともと接舷切り込みや軍港警備のための部隊であり、この時点では、まだ上陸作戦を正規任務とまではしていませんでしたが。
 それから、上陸用舟艇が要ります。これも、1921年に入手済みでした。スペインは英国と交渉して、ガリポリで実際に使用された中古の上陸用舟艇を26 隻も購入していたのです。これらの「K-1」~「K-26」と命名された揚陸艇は、全長30mで浅い喫水の自走式バージといった感じの船です(追記2)。船首に門型の支柱が立っており、道板が下ろせる様になっていました。人員なら300人ほどが運べ、戦車の搭載も可能でした。ほかに、小型の手漕ぎボートなども用意されたようです。
X_craft.png

 波打ち際の上陸部隊ほど弱い存在はありません。そこで、多数の航空機が援護用に投入されることと決定されました。海軍からは、新鋭水上機母艦「デダロ」も出動することになります。
 これまで航空母艦・水上機母艦が上陸作戦に投入されたことも、ほとんどありません。ガリポリ作戦に英水上機母艦「アーク・ロイアル」と少数機が参加しています。ほかには、大戦参戦前のアメリカが、1914年4月に中米で行ったベラクルスへの上陸作戦で、前弩級戦艦「ミシシッピ」に臨時に2機を搭載して使用した程度です。なお、このベラクルス上陸作戦には、後にアメリカ初の空母「ラングレー」となる給炭艦「ジュピター」も参加していますが、まだ改装前でした。
 陸軍航空隊やフランス軍機と合わせ、航空機は80機以上が用意されました。160機以上という説もあります。
 かくて、未知の要素を抱えながら、決戦の態勢は整ったのです。(第10回へ続く

注記
1 第一次世界大戦中にドイツ軍がバルト海方面で行った上陸作戦で、少数の装甲車が揚陸されたことはあるようです。ロシア内戦中への干渉戦争でも英軍が戦車を海上輸送しています。
 演習では米軍が1923年末~1924年に、クリスティー水陸両用戦車を試験した例もあります。ただし、これは失敗作と評価されたようです。

2 スペイン海軍が購入した上陸用舟艇は、英軍が開発した「XライターX-Lighter」と呼ばれる形式の舟艇のようです。装甲を施され黒く塗られた姿から、英軍内では「ビートルBeetle(甲虫)」とも呼ばれました。
 野砲などの重装備揚陸用の機材として、200隻以上が建造されました。排水量160t(後期型137t)、速力5kt前後。甲板下に船倉があり、3つのハッチが開いています。防弾も一応考慮されており、鋼鉄のハッチ蓋のついた船倉内部に居れば、小銃弾に耐えられる程度の構造になっていたようです。ガリポリ作戦の後期から、実戦投入されました。
 なお、英軍が第1次大戦で使用した上陸用舟艇には、「Yライター」と呼ばれる兵員輸送用の小型艇もあったようですが、こちらは、スペイン軍が使用した形跡は無いようです。
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