山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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リーフ共和国興亡(第13回)

9.エピローグ
(1)決算

 第三次リーフ戦争の結果、スペインは勝利したものの大きな代償を支払うことになりました。人的損害はスペイン軍だけで4万人以上に及んだものと推定されます。戦費もかなり大きなものとなり、国家予算の1/3以上が消えました。
 フランス軍の損害は戦死者が約4千人で、負傷者の数はわかりません。余談ですが、フランス軍は負傷者救出に航空機を有効活用し、3000人以上を運んだようです。
 対するリーフ軍側の損害は5千人程度と言う数字がありますが、おそらく正確な数は永久に不明のままでしょう。現在でも残存化学兵器の被害者が生じているという情報もありますが、モロッコ政府が調査を禁止しているため、これも詳細不明です。


(2)アブデルクリムの後半生
 フランス軍に投降し捕虜となった元大統領アブデルクリムは、死刑とならずに済みました。代わりにインド洋に浮かぶ仏領レユニオン島への流刑となります。流刑といっても、それほど厳しい拘束は無かったようです。第1回に掲載した回顧録は、この時期に書かれたものです。
 第二次世界大戦後の1947年にアブデルクリムはリビアへと移送されることに決まります。ところが、護送中の船から海へ飛び込むと、まんまと脱走に成功してしまいました。
 その後はエジプト政府に「英雄」として保護を受けて、アラブ諸国の独立運動に参加していたようです。例えば1948年にはカイロに設置された北アフリカ解放委員会の代表者に据えられ、会の樹立を宣言しています。その宣言の内容は、アラブとマグレブのイスラム教徒としての団結を謳い、チュニジア、アルジェリア、そしてモロッコの完全独立を要求するものでした。
 しかし、モロッコが独立を実現した後も故郷に帰ることは無いまま、1963年にエジプトで生涯を終えました。


(3)それからのアルフォンソ13世
 モロッコ征服という願いを果たしたスペイン国王アルフォンソ13世ですが、その喜びの日々は長く続きませんでした。
 リーフ戦争がスペイン国民にもたらした負担は耐え難いものでした。おまけに世界恐慌の波も重なります。経済状況の悪化を食い止めることができなかった宰相プリモ・デ・リベラ将軍は、1930年に辞職に追い込まれ、数ヵ月後に亡命先のフランスで失意のうちに死亡します。
 プリモ・デ・リベラ将軍の失脚の背景には、彼が軍部の改革を試みた結果、軍人貴族の支持を失ったこともあるようです。

 「ムッソリーニ」を失ったアルフォンソ13世は、停止されていた憲法の復活と総選挙を公約して王政維持を図りますが、もはや限界でした。
 1931年4月に公約どおり実施した総選挙で与党敗北という大勢が明らかになると、最終結果を待たずしてプリモ・デ・リベラ将軍と同じくフランスへと亡命するはめになります。「私が国民の愛を失っていたことを知った」との言葉を残して。スペイン第二王政の終焉です。
 イタリアに移り復位工作を続けましたが実らず、1941年に三男のフアンへ当主の地位を譲り、ローマのホテルの一室で世を去ります。なお、亡命中にブルボン家家長の地位も承継していますが、これは次男へ渡りました。(エピローグ続く
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