山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

回転翼の海鳥たち(第14回)

14.空飛ぶペンギン
 第二次世界大戦終結から10年が経った1955年夏、敗戦国日本で、1隻のヘリコプター搭載船の計画が動き出します。
 その船の名は「宗谷」。海上保安庁所属の灯台補給船、前身は大戦を生き延びた旧日本海軍の特務艦でした。ご存知の通り、第3回国際地球観測年に応じて、日本も南極観測隊を送ろうという企画が立案され、その観測隊を運ぶ砕氷船として選ばれたのです。

 他サイトにも詳しいので詳細は省きますが、多くの寄付金もあって1956年10月、「宗谷」は無事に大改装を終えます。種別は巡視船。満載排水量は約4200tでした。
soya1.png その船体後部には飛行甲板と格納庫が設置され、防衛庁から移管されたベル47小型ヘリコプター2機が搭載されました。まだ護衛艦などでもヘリの搭載例は無く、戦後日本の艦船としては、最初の本格的な回転翼機搭載を実現した船です(追記参照)。このほか船体前部には水上機1機が搭載されています。
 パイロットは旧陸海軍の航空部隊出身者が中心でした。中には空母「翔鶴」経験者や、有名な芙蓉部隊出身者もいました。

 竣工から一月もない1956年11月8日、「宗谷」は第1次観測に出航します。東京水産大学の練習船「海鷹丸」(1450総t)を従えての航海です。この「海鷹丸」にも飛行甲板が設置され、朝日新聞社提供のベル47「ペンギン号」が搭載されています。
 途中でヘリの発着試験を行いながら、翌1957年1月、ついに南極の氷海へと到着。「海鷹丸」と分かれると、早速、前路偵察のため搭載ヘリを発進させます。この偵察活動は、米国がまとめた「氷海航法」という教本を参考に行われたそうです。
 偵察で発見した航路を辿り、1月24日に接岸に成功。越冬隊と資材を揚陸し、2月15日に帰路に就きます。砕氷能力不足で航行不能となりますが、ソ連砕氷船「オビОбь」(排水量12600t、英表記“Ob”)に救出され、4月24日になんとか凱旋を果たしたのでした。最悪の場合「宗谷」を放棄して、ヘリで「海鷹丸」へ脱出する予定だったようです。

 若干の改装工事を受けた「宗谷」は、10月に第2次観測に向かったのですが、今度は往路で航行不能に陥ります。米砕氷艦「バートン・アイランド」(1947年の風車作戦に参加した艦)の支援を受けながら再起を図りますが、水上機で越冬隊を収容するのが精一杯、犬は置き去りという苦い結果に終わったのでした。
 ある「宗谷」乗員は、「バートン・アイランド」の搭載ヘリでの前路偵察が徹底しているのを見て、非常に勉強になったと言っています。

s58_ja.png 第2回観測の失敗で、馬力不足の小型砕氷船の限界を思い知らされた日本は、新戦術にかけることにしました。その切り札が、西側最新鋭の大型ヘリS-58の採用でした。従来のベル47に加えて、シコルスキーS-58輸送ヘリを2機も搭載しようというのです。
 当時、各国の砕氷船を見ても、ヘリコプター搭載は一般化していながら、空輸を主体にした方式というのは類を見ませんでした。偵察用のベル47系列しか積んでいない米国艦はもとより、ソ連砕氷船「オビ」もミーリ(ミル)Mi-4(S-58相当の東側の傑作)大型ヘリ2機や大型水上機を積んではいましたが、主に直接接岸揚陸によっていたようです。逆に言えば、外国の本格砕氷船は、空輸などという小手先の手段によるまでもなかったともいえますが、それでも後に空輸方式が広まることを考えると画期的と言ってよいでしょう。(なお、軍事的な揚陸作戦へのヘリ本格使用開始とほぼ同時期です。)
soya2.png
 改装要領は、従来の飛行甲板よりも1段上に大型の飛行甲板を設置するとともに、船内に燃料タンクを配置するというものでした。格納庫も小さすぎるため撤去されて、S-58は露天係止になりました。(ベル47の搭載方式が私にはよくわかりません。配置図を見ると飛行甲板に「ベル格納装置」との記載があります。)

 1958年11月、改装成った「宗谷」は、三度の南極行へと出発します。水上機1機を含む航空機5機を搭載した「航空母艦」と呼びたいような雄姿です。
 南極に到着した「宗谷」は、翌年1月14日から2月3日にかけて、計58便の飛行により、14名の越冬隊と57tの資材搬入に見事成功します。雪上車や水上機をも吊り下げ空輸してみせました。生存していたタロ&ジロを発見したのも、偵察に飛んだヘリコプターでした。
 なおS-58の運用は、物資搭載作業の関係で、手狭な飛行甲板から直接よりも、氷上の板敷きヘリポートから行われることが多かったようです。

 翌年の第4次観測以降も、航空指令室の設置など改良を受けながら「宗谷」の活動は続き、第4次の場合126t/103便の空輸に成功しています。
 船体が老朽化した「宗谷」は、1961~62年の第6次観測を最後に、南極観測船としての任を終えました。しかし、さらに15年以上に渡り、砕氷巡視船として北の海の守りをつとめました(搭載ヘリは無)。

s61.png その後、南極観測船の運用は、海上保安庁から海上自衛隊へと移っています。1965年に就役した後継の砕氷艦「ふじ」(満載排水量9120t)はS-61 輸送ヘリ2機とベル47偵察ヘリを搭載し、「宗谷」の血をひいて強力な空輸能力を持った船でした。「ふじ」は、海上自衛隊初の本格的なヘリコプター搭載艦でもあります。
 一方、海上保安庁でも砕氷機能を有する巡視船を必要とするため、1978年に新型の砕氷巡視船を就役させています。「そうや」を襲名したこの巡視船は、ヘリコプター搭載型巡視船PLHに分類され、海上保安庁最初の新造ヘリコプター搭載船にもあたる船です。搭載機はベル212中型ヘリ(軍用UH-1の系列)。この2代目は、現役で北の海の守護神として働いています。
 最後に、退役した「宗谷」ですが、観測船時代の姿に戻って今も東京湾に浮かんでいます。
 fuji.png sirase.png soya3.png
(左より順に、砕氷艦「ふじ」、同じく「しらせ」、巡視船「そうや」)
第15回へ続く

追記
 「宗谷」以前にも、捕鯨母船に航空機を搭載していたケースがあるようですが、詳細を知りません。「宗谷」航空要員の中に、大洋の捕鯨船出身という方がいるのですが。
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