山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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鋼棺戦史(第1部ノモンハン・第1章・後編)

1.軽騎兵の突撃(承前)
 5月29日0030時、小松原第23師団長は、山県支隊の攻撃が成功してソ蒙軍はほぼ一掃されたと誤認して、ハイラルへの帰還命令を発しました。それどころではない山県支隊長は、もう1日だけ攻撃を続ける旨を報告します。
 同日未明、増援の第149狙撃連隊の到着したソ連軍は、取り残されている東捜索隊に攻撃を再開します(*1)。夜間のうちに壕を掘り直して、ささやかな強化を施した東捜索隊の陣地に、自走砲と対岸の砲兵の砲弾が降り注ぎます。うち自走砲中隊が、日本側の車両置場に効果的な砲撃を加えました。0600時には車両置場への着弾が相次ぎ、乗用車が発火、5日分の予備燃料を積んだトラックも炎上、貴重な92式重装甲車も含めて車両は全損してしまいました。
 歩戦協同の攻撃も反復されました。特に化学戦車による火炎放射が脅威を与えたようです。接近してくるソ連軍装甲車両に対して、日本兵は重装甲車が健在ならば逆襲できるのにと悔しがっています。
 1400時頃には隊付き将校の岡元少佐が撤退を具申したようですが、東中佐は拒絶しています(*2)。負傷兵若干だけを乗馬で退却させ、1500時には生存者25名となりました。そして1530時に最後の伝令を支隊本部へ送った後、1800時までに東中佐以下第23師団捜索隊は全滅しました。軍医以下11名が脱出生還、数名は捕虜となり、ほかに遺体収容時にも若干の生存者が発見されています。なお、応援に来ていた歩兵小隊も脱出の勧めを断って運命を共にしました。

 東支隊を全滅させた後、夜までにソ蒙軍はハルハ川を渡って西岸へ撤退しました。翌日日中にモンゴル騎兵が再度渡河しますが、撃退されています。
 山県支隊は29日から31日の3夜に渡って東捜索隊の遺体収容を行い、6月1日未明に戦場を去りました。

 第一次ノモンハン事件の結果、日本軍は戦死・不明171名、負傷119名の人的損害を受け、装甲車2両、乗用車2両、トラック8両、速射砲1門などを失いました。人損の約半数にあたる死傷139名(損耗率63%)、物損の大半は東捜索隊の損害です。気になるのが装甲車2両損失という点で、重装甲車の出動は1両のみだったとされるのと計算が合いません。この点、ソ連軍の自走砲中隊は日本戦車2両の撃破を報じており、前回触れたようにブイコフ上級中尉も2両と交戦したと述べています。どうやらもう1両、整備が終わって追及してきたようです。なお、満州国軍も損害を受けたはずですが、具体的統計は知りません(*3)。
 ソ連軍の損害は戦死・不明138名、負傷者198名、モンゴル軍の損害は戦死33名、負傷者不明でした。装甲車両13両、自動車15両、火砲3門も失い、日本側の意図した殲滅とは程遠いものの、日本側を若干上回る損害と思われます。一応は日本側主張国境の外へ撤退しており、航空戦でも劣勢で、引き分けないしソ連側が敗北したと言えそうです。ブイコフ上級中尉ら幹部の多くは左遷されています(*4)。
 初めて実戦投入された師団捜索隊は、その機動力は証明したと言えるでしょう。ただ、乗馬兵と装輪車両、装軌車両の混成という機動力の不均一の問題も見えました。それ以上に大きな問題は戦闘力の脆弱さです。圧力のかかる栓として使うには無理があり、敵軍に食い破られてしまいました。第23師団捜索隊のまとめた報告書では、重装甲車を軽戦車に代え、速射砲小隊を持たせれば改善されるとしています。対戦車戦闘が予想されることを考えると、妥当な方策です。それでも兵力不足・曲射火器欠如・機動力偏重で独立拠点防御には不向きな編制なのは否めないのですが、第二次ノモンハン事件では再びその種の任務を負わされることになります。(この章終り

注記
*1 ソ連側は夜通し戦ったと言っていますが、少なくとも統制のとれた攻撃はできなかったようです。

*2 岡元少佐は、その後1430時頃に増援要請のために送り出されたため、戦死を免れました。小松原日記は、報告のための帰還や救出部隊への参加をしなかったとして、岡元少佐を非難しています。扇廣も「私評ノモンハン」や「歴史と人物」誌上の座談会において、事実なら責任があると言っています。

*3 断片的情報としては、ノモンハン・ブルド・オボ付近で砲撃により1個小隊全滅しているのを目撃したとか、モンゴル軍が騎兵第1団の12名を捕虜にしたという記録があります。

*4 ブイコフ上級中尉は戦意不十分などの理由で後方部隊へ左遷されますが、幸運にも死刑は免れ、極東戦犯法廷(東京裁判)に証人として出廷しています。
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