山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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鋼棺戦史(第1部ノモンハン・第4章・後編2)

4.フイ高地の死闘(承前)
 8月20日、天候は快晴。夜明けとともに、フイ高地は猛烈な砲撃を受けます。3時間に渡って事前砲撃は続き、これに空襲も加わりました。フイ高地は爆煙に覆われ、その煙が遠く戦線中央の友軍部隊からも見えたほどでした。
 砲撃が止んだとき、塹壕から顔を出した日本兵の目の前には、ソ連軍の歩兵と支援戦車が迫っていました。わずか30mの距離に見えたという話もあります。
 ソ連軍の第一撃は鋭く、20日12時頃には40両ほどの戦車・装甲車が陣地に接近。これに対し、井置支隊は野砲・山砲・速射砲、ダッグインした装甲車両の砲塔射撃などでありったけの重火器で応戦、十数両撃破を報じました。ソ連軍は今度は歩兵を前進させ、陣地の一角を占領します。
 しかし、日没とともにソ連軍は後退し、日本側の逆襲もあって井置支隊はかろうじて初期位置を回復します。井置支隊は破損した陣地の修復を試み、特に西側正面にはなけなしの鉄条網が展張されました。この鉄条網は翌日以降、ソ連兵の接近を抑制するのにかなり効果を発揮したようで、量が十分でなかったことが惜しまれます。
 初日の戦闘で、井置支隊の受けた物的被害は甚大でした。食糧や軍馬多数が失われ、中でも手痛いのは給水関係の被害です。水を備蓄したドラム缶は吹き飛ばされ、10本も掘っていた井戸も全て砂に埋もれて使用不能。夜露をなめてのどを潤す苦境に陥っていました。

 翌8月21日もソ連軍は北部集団の全戦力を投じてフイ高地に猛攻を加えますが、少しも前進することはできませんでした。井置支隊はことごとく攻撃を跳ね返したのです。
 この結果はジューコフを激怒させます。ソ連軍の北部集団司令官シェフニコフは更迭され、アレクセンコ大佐が替わりました。シェフニコフに対しては、一部の戦力でフイ高地を包囲して、主力はそのまま前進させるべきだったとの戦術的批判が向けられています。
 また、ジューコフは、総予備として温存していた第9装甲車旅団と第212空挺旅団などを、北部集団へと増援します。井置支隊の奮戦の証といえますが、彼我兵力差はさらに絶望的となったのです。
 対する日本側は、南部で攻勢転移して反撃する方針を決める一方、北端の井置支隊には守備命令を与えたまま放置しました。21日夜に第7師団によってわずかな増援・補給(野砲1門その他)と負傷者収容がされたほか、若干の航空支援があったにとどまっています。

 8月22日、戦闘3日目にして井置支隊の陣地は侵食され始めます。防備の脆弱な高地東側からソ連軍戦車が侵入したのです。夕刻には野砲中隊の陣地が蹂躙され、中隊長も戦死します。それでも果敢な抵抗は続き、この夜、捜索隊第2中隊は37mm砲(おそらく95式軽戦車の主砲)で2両の敵戦車撃破を報じています。捜索隊の副官は、夜陰にまぎれて負傷者をトラック2両で第23師団司令部へと後送し、お土産に速射砲2門の支給を受けますが、折悪しく敵襲があったため司令部の自衛用に取り返されてしまいました。
 23日、フイ高地東側で終日激戦が続きました。日本側では連隊砲が戦車5両撃破を記録。ソ連軍は猛砲撃で応え、19時頃までには日本軍の重火器の大半が失われます。ソ連兵の侵入で支隊本部も移動を余儀なくされました。井置中佐は夜襲による一斉反撃を命じ、支隊の各部隊はそれぞれ対峙する敵に突進しましたが、かえって大損害をこうむってしまいます。捜索隊第2中隊は全戦車・装甲車が撃破され、中隊長以下壊滅状態。工兵中隊は帰還不能となり、そのまま独自行動で戦線離脱。この夜襲についても日本軍の戦例集は非難し、多方面に出撃せず東側に集中反撃すべきだったと評しています。なお、ソ連側戦史では、この23日夜をもってフイ高地陥落と記録されているようです。
type93_13mmMG.png 24日、夜明けとともにソ連軍の手番となります。夜襲で消耗した日本軍陣地は、東側から一気に崩壊していき、西端の歩兵陣地付近に残存部隊が圧迫された状態となります。兵力は当初の1/3の273人、なかでも旗本というべき師団捜索隊は本部5人・第1中隊29人・第2中隊2人だけ、残された重火器は修理中の連隊砲1門きりでした。壕の中にダッグインしたまま撃破された日本戦車の残骸を、侵入したソ連戦車が戦利品として牽引して持ち去りますが、日本兵はただ見送ることしかできませんでした(注1)。なお、右のソ連軍が停戦後に撮影した戦利品写真を見ると、92式重装甲車の93式13mm機関砲が2門混じっており、第23師団捜索隊の装備品だったものと思われます(画像赤丸部分)。

 24日午後、井置大佐は最後の決断を下します。独断撤退です。決断の経緯は、部下から進言があったとも、支隊の指揮官会合で決まったとも言われますが、はっきりしません。確かなのは、すでに23日午前には上級部隊と通信途絶状態で独断せざるを得なかったこと、午後4時に井置名で撤退命令が出されたことのみです。「マンズテ湖道を経て敵の側背を攻撃しノモンハンに向かい前進せんとす。」名目上はあくまで攻撃であり、前進でありました。
 22時撤退開始の予定でしたが、月が明るすぎるために翌25日午前2時に遅れて出発(注2)。午前10時半頃に満州国軍と接触し、トラック3両による輸送援助と誘導を受けて、オボネ―山(将軍廟北西5km)西方15kmの満軍北警備軍へと収容されました。フイ高地の初期兵力759人のうち、269人だけがこのときの脱出者でした。基幹部隊の第23師団捜索隊は70%を超える死傷率を記録しています。その後、師団捜索隊は予定とは違ってノモンハンにはゆかず、オボネー山付近の守備を命じられ停戦を迎えます。
 井置大佐は独断撤退の責任を問われ、停戦2日後の9月17日に自決に追い込まれます(注3)。その死は2年後になってから戦病死として公表されました。靖国神社への合祀は、太平洋戦争終結後の1949年まで認められませんでした。しかし、8月20日に南部での反撃実施が決まった時点で、フイ高地の戦術的価値は失われていたのであり、遊兵化した井置支隊に漫然と守備を続けさせた第6軍や第23師団司令部こそ責められるべきではないかと思われます。たまたまソ連軍の戦術ミスでフイ高地は敵の大戦力を数日間も拘束できましたが、ジューコフの指摘したように、一部の戦力で包囲したうえで迂回されれば、このような成果も本来は期待できなかったはずです。少なくとも連絡途絶・全滅寸前となった8月24日時点では、井置大佐の決断は違法な無断撤退ではなく、正当な独断専行と言えるでしょう。

 ノモンハン事件停戦後、第23師団は日本軍としては特異な機械化師団として再建されることになります。第23師団捜索隊は、10月4日には95式軽戦車5両を支給されることが決まっています。戦車第4連隊から中古戦車が回されたようです。後には第23師団捜索隊は捜索第23連隊へと拡大改編されています。別に師団戦車隊まで新設され、2個中隊規模の軽戦車が装備されました。
 軍の機械化推進の実験部隊としての意味合いもあったようですが、結果的にはノモンハン付近の平原向け特殊師団という程度に終わり、同種の師団はほとんど生まれませんでした。太平洋戦争時には師団戦車隊は抽出されて戦車第16連隊へと改編されてしまい、師団主力も南方進出に際して軽装備化され、さらに海没で消耗という運命をたどります。捜索第23連隊は非力な97式軽装甲車を駆って、ルソン島リンガエン湾で米軍と戦い、再び壊滅しました。(この章終わり

注記
1 ソ連側記録によると、ノモンハン事件では7両の日本戦車が鹵獲されています。主力戦車部隊である第1戦車団関係で鹵獲されたものとして、95式軽戦車と94式軽装甲車各1両が確認できますが、そのほかは不明です。おそらく第23師団捜索隊第2中隊の装備車両が相当数鹵獲されているものと思います。
 92式重装甲車の主砲でもある13mm機関砲は、5門の鹵獲記録があります。

2 行軍の順序は、先頭から歩兵第6中隊・捜索隊第2中隊・野砲中隊・歩兵第9中隊・速射砲中隊・連隊砲中隊・捜索隊第1中隊。本文で触れたとおり、工兵中隊は23日の夜襲の際に単独行動で撤退しています。

3 井置大佐は、当初は部下だけを撤退させて自決する意思だったとも言われます。しかし、部下に自決を止められて撤退を終えた後は、むしろ生きて戦訓を伝えることを考えていたようです。停戦1週間前の9月8日に妻にあてた手紙が残っており、そこには「今となっては長生きして戦争の実際を世間に伝える必要がある。」それこそが部下への供養となるだろう旨がつづられています。
 井置大佐を自決に追い込む中心的役割を果たしたのは、第23師団長の小松原道太郎中将と言われます。もともと井置に不信感を持っていた彼は、撤退についても不当と考えたようです。また、騎兵関係の高級士官たちの間にも、騎兵の名誉を守るために自決させようという動きがあったようです。
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