山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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鋼棺戦史(第1部ノモンハン・第2章・後編)

2.機械化工兵(承前)
type95tank_nomonhan.jpg 第23師団主力の渡河作戦も失敗に終わった日本軍は、東岸の安岡支隊に戦力を集中し、攻撃再興を図ることにしました。大打撃を受けた戦車第3連隊はマンズテ湖付近へ後退し、戦車第4連隊や工兵第24連隊は増援到着まで守備態勢に移行します。7月4日から6日にかけて、戦車第4連隊は、失地回復を図るソ連軍の歩戦協同部隊と激戦を繰り広げ、6日だけで89式中戦車甲6両・95式軽戦車5両・軽装甲車1両が撃破されました。ソ連側の反撃はすべて撃退され、そのつどソ連側も数両の装甲車両を失いました(注1)。右の画像はこの時期のものと思われ、「擱座せるベーテー戦車」「鹵獲せるベーテー戦車」という解説が付いていましたが、日本の95式軽戦車に見えます(注2)。
 7月7日夕刻、薄暮に紛れて日本軍の東岸総攻撃が再開されます。今度は歩兵が主役で、消耗した戦車部隊は脇に下がりました。工兵第24連隊も左翼の歩兵第64連隊に協力して前進し始めたのですが、とたんに運の悪い一撃を受けます。対岸から飛来したソ連軍の長距離砲弾1発が、行軍中の連隊本部を直撃したのです。連隊長の川村質郎大佐は後頭部に弾片を受けて、副官や軍医らが駆け寄った時には手遅れでした。なお、歩兵第72連隊(酒井部隊)も同様に行軍中に砲撃を浴び、一挙に300人が死傷する損害を受けています。
 連隊長を失いながらも、代理となった第1中隊長の薮内烈夫大尉の下で工兵第24連隊は奮闘しました。詳細な戦果は不明ですが、工兵としての爆薬技能を生かして、橋梁爆破や対戦車肉薄攻撃に従事したようです。9日には1個小隊を第7師団の歩兵第26連隊(須見部隊)に配属しています。12日夜、歩64に配属の工兵隊がハルハ川の橋梁爆破を試みて、ソ連側装甲車多数と遭遇して壊滅していますが、これも工兵第24連隊の一部である可能性があります。
 しかし、結局7月12日まで断続的に続いた夜襲主体の日本側総攻撃も失敗に終わります。ホルステン川にかかるソ連側軍橋を一部爆破するなど、かなり良い線まで行っていたようですが、ハルハ川西岸の砲兵による損害が懸念されて前進停止が命じられたのです。対抗可能な友軍重砲兵の到着を待つという理屈でした。こうして、一時的にせよソ連軍を東岸から一掃できたはずの最後の勝機は去ったのです。このときソ連軍は、第11戦車旅団長ヤコブレフ大佐や第149狙撃兵連隊長レーミゾフ少佐ら幹部が戦死し、訓練未了の第82狙撃師団を前線に送るところまで追い込まれていました。

 上記の歩兵総攻撃最中の7月9日、安岡支隊の解組と第1戦車団の帰還が発令されています。理由としては、第1戦車団の損耗が、予定される戦車部隊拡張(注3)に悪影響を与えると危惧されたこと、指揮系統の複雑化回避などが言われます。実際、第1戦車団の損害、特に将校の死傷は激しいものがありました。ただし、第1戦車団の帰還は現地部隊の反対で7月下旬まで延期となり、フイ高地方面などで若干の戦闘を行っています(第4章参照)。
 安岡支隊の解組で、最も割を食ったのと思われるのが、工兵第24連隊でした。もともと兵力300人程度の小さな部隊で兵站機能に不安があったのが、世話役の安岡支隊まで失い、赤の他人の第23師団の指揮下に放り込まれたからです。どこの組織でもありがちですが、こと日本陸軍においては、このような臨時配属の継子部隊は冷遇される傾向がありました。
 工兵第24連隊の食糧事情は、悲惨な状態に陥ります。米飯が調達できず乾パンを常食したり、他部隊の残飯を渡されたりと、文字通り冷や飯を食わされたようです。3日くらい雑草を食べて飢えをしのいだとの回想もあります。日本陸軍では加給品といって菓子などの特別食が支給されることがあり、ノモンハン事件では割合に潤沢に供給されていたのですが、工兵第24連隊が事件中に受け取れたのは一人宛サイダー2本・ビール1本・羊羹1本だけでした。
 なお、連隊長が戦死して大尉の若造が代理だったということも、発言力の弱さから不遇を招いたのだと思われます。

 7月中旬から、工兵第24連隊は第23師団配属となり、砲兵団の陣地構築や、歩兵に協力しての対戦車戦闘などに駆り出されます。詳細は不明ですが、連隊長代理だった薮内大尉の回想では、残存兵力数十人まで打撃を受けたといいます。これらの攻撃は失敗に終わりました。
 日本軍が持久戦体制に移った7月末ころ、補充要員約300人を得て連隊は戦力を回復します。新たな連隊長として沼崎恭平中佐も現地に到着しました。不足がちだった築城用資材も多少はもらったようで、せっせと各部隊のために陣地を作っています。8月には、南北の連絡線確保のためホルステン川に木造の2本目の軍橋を完成させ、「新工兵橋」と命名しました。ある兵士の回想によると、褌一つで水に浸かる架橋作業はつらいものであったのに対し、陣地作りは掘りやすい砂地なので楽だったそうです。なお、沼崎中佐は、地形的に現在の第一線は防御陣地に向かないから、もっと後退して築城するべきとの意見具申をしていましたが、採用されませんでした。
 8月20日、ソ連軍の総攻撃が始まった時、工兵第24連隊は第6軍司令部の護衛部隊として後方に移動したため、難を逃れます。8月27日、小松原第23師団長は、包囲された前線部隊を救うべく、師団の残存部隊を直率して最後の出撃をしました。沼崎中佐は、元気が無く絶望的な決意を固めた風情の小松原中将を見送っています。小松原救援隊はホルステン川沿いに新工兵橋を目指して前進しますが、31日までに兵力の過半を失って帰りました。
 工兵第24連隊は、9月の停戦まで守備配置についた後に撤収しました。ノモンハン事件における連隊の損害は死傷約200名とも言われますが、正確な数は不明です。その中には、連隊長川村大佐や小隊長2名以上の戦死のほか、第1中隊長・連隊長代理を務めた薮内大尉や、連隊副官の負傷が含まれていました。

 ノモンハン事件終結から半月後の1939年10月に第24師団が新設されると、工兵第24連隊は予定通りにその隷下に入ります。そして、一般の師団工兵部隊となったのでした。太平洋戦争では沖縄戦に参加して壊滅しています。
 日本陸軍の機械化工兵は、1942年にようやく誕生した戦車師団の工兵隊となっていきます(注4)。装甲作業機部隊の独立工兵第5連隊は解隊され、戦車第1師団(第1戦車団の後身)と戦車第2師団および教導部隊に改編されました。戦車第3師団工兵隊は、独立混成第1旅団工兵隊第1中隊の後身である騎兵第4旅団工兵隊を改編してできたもので、いわば工兵第24連隊の兄弟にあたる部隊です。それらの実態はというと、太平洋戦争の終戦近い1945年3月の戦車第1師団工兵隊には、装甲作業機24機・装甲兵車12両(定数54両)・装軌貨車3両(定数44両)などが配備されていたようです。大幅な定数割れの数字が、日本陸軍の諸兵科連合機械化部隊の夢と現実を見せてくれています。
 ひとつ面白いのは、ノモンハン事件中に工兵第24連隊の連隊長代理として活躍した薮内烈夫大尉が、戦車第2師団の後方参謀(階級は少佐)になったことです。歩戦協同に苦労した経験に期待する人事であったのか、単なる偶然なのかはよくわかりません。なお、事件中、薮内大尉は、あの辻政信参謀と一時行動をともにしたことがあるといいます。辻参謀からは「将来お前は参謀になるだろうが、参謀の仕事は机上では駄目で、兵とともに戦うべき」旨の助言をもらい、薮内はこの言葉に感銘を受けてずっと大事にしたそうです。(この章終わり

注記
1 例えば7月4日の戦闘では、ソ連軍もBT-5快速戦車3両が日本戦車と交戦して損傷したのを認めています。対してこのソ連戦車部隊は、日本戦車1両の撃破を主張しているところ、戦車第4連隊も7月4日に89式中戦車甲1両が損傷したことを認めています。

2 画像引用元:樋口紅葉「ノモンハン実戦記」(大東出版、1940年)

3 第1戦車団の隷下3個戦車連隊について、戦車第3連隊は戦車第9連隊、戦車第4連隊は公主嶺学校の戦車教導隊、戦車第5連隊は戦車第10連隊という具合に各新設部隊の編成を担当することが決まっていました。

4 戦車師団の工兵隊のほかにも、機械化された特殊な工兵部隊が若干は存在しました。大規模なところでは、満州東部国境の森林地帯を突破するための伐開機部隊である独立工兵第12連隊や、トーチカ爆破用の遠隔操縦車両などを装備した独立工兵第27連隊が挙げられます。
 独工12連隊は、太平洋戦争中にはニューギニア方面の飛行場建設に送られますが、輸送途中に多くが海没してしまいました。同連隊の生き残りは満州に帰還し、ソ連対日参戦時には、横道河子方面で伐開機などで居留民を護送して無事に避難させています。矢野和子さんの手記「東満より遥かなる故国へ」に、そのときの様子が描かれています。
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