山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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鋼棺戦史(第4部 ビルマの落日・第1章・中編)

1.方面軍に唯一つ(承前)

 進軍を続けた戦車第14連隊主力は、3月22日夕刻、タムの南に到達。偵察後、第1・第4中隊を街道左、第2・第4中隊を街道右に展開させると、配属の独立速射砲第1大隊・歩兵中隊とともにさっそく夜襲を敢行しました。
 対する第20インド師団は、モーレの集積物資を守るため、タムに強力な防御陣を築いていました。日本戦車の突撃は、対戦車壕と対戦車砲によって阻まれます。夜半に日本軍は反転・再集結に移り、夜明けまでに逃げ遅れた第2中隊は砲火に捕まって指揮班長車を失っています。
 このタムの戦闘で、日本戦車はイギリス軍の新兵器に遭遇します。携帯対戦車火器のPIATです。歩兵が水道管のようなものを構えるや95式軽戦車1両が撃破されたとの報告は、戦車士官たちに衝撃を与えました。その正体は当時の日本で「タ弾」と呼ばれた成形炸薬弾(HEAT)だろうと士官は気付きますが、士気の低下を恐れて兵達には知らせなかったようです。以後、PIATは、M4中戦車と並んで戦車第14連隊にとって大きな脅威となります。

インパール作戦地図 3月31日、英軍は450トンもの物資を処分してモーレを放棄。テグノパール=パレル間の峠に第20インド師団のうち第80・第100旅団を配置し、新たな防衛線とします。標高約1300mの峠に幅5m程度の山道が続く要害の地です。
 パレル道からのインパール突入を目指す山本支隊は、4月8日夜に到着した戦車第14連隊を先頭に強攻を試みました。上田連隊長は、一本道で的になるだけだと反対しましたが、山本支隊長は、強襲すれば英軍は再び後退すると見て出撃を命じたようです。4月20日夜、増加装甲付きの戦車を先鋒とした連隊全力の攻撃は、先頭車が対戦車砲の集中砲火に耐え切れず擱座されて失敗してしまいます。
 テグノパール戦では、戦車の用兵を巡って上田連隊長が山本支隊長と対立し、連隊長更迭の原因となりました。戦車は補給・整備のために戦闘後は後退して再集結する必要がありますが、山本支隊長には理解されず、臆病な退却行為と誤解されてしまったなどと言われます。やむなく戦車隊は、待機中は弾片よけの土嚢を車体に積み上げるなどして、無理な「占領地」確保に従事するはめになりました。なお、山本少将を弁護するなら、山本支隊は重装備が充実している半面、山岳戦に重要な歩兵の兵力が不足していたため、どうしても戦車に過剰な期待をかけてしまったのかもしれません。
 その後も山本支隊は5月まで強攻を繰り返しますが、5月9日に戦車第14連隊では第1中隊長が戦死するなど、ついにパレル道突破は叶いませんでした。

 パレル道を取った連隊主力が苦戦する間、第5中隊は、第33師団主力方面のフォートホワイト守備隊(工兵第33連隊基幹)に属していました。第33師団の初期侵攻は順調で、3月中旬には、トンザンを中心に展開した第17インド師団を包囲。これにあわせてフォートホワイト守備隊は、トンザン正面から追撃に参加することを命じられます。
 イギリス軍は、位置的には包囲されつつも、なお十分な戦力を有していました。第17インド師団は抵抗しつつ後退し、また第23インド師団の1個旅団も解囲のために南下しつつあったのです。ただし、戦車は投入していませんでした。
97式軽装甲車.jpg 3月24日夜、日本軍は戦車第14連隊第5中隊を先鋒とした挺進隊(1個歩兵中隊・1個工兵小隊配属。うち一部跨乗)を編成、一挙にマニプール鉄橋を確保すべく出撃させます(注1、2)。太平洋戦争初期のマレー作戦におけるスリム戦車戦の再現を狙った作戦でした。しかし、緒戦期ならともかく、大戦後期の堅固な陣地に豆戦車を突撃させるのは、コンクリート壁に卵をぶつけるような無謀な行為で、暗闇の中、軽装甲車3両が停車する間もなく次々と地雷を踏んであっけなく壊滅してしまいます。戦車が貴重な日本軍では、軽装甲車が偵察任務を越えた本格攻撃に投入され、酷い目に遭うのはよくあることでした。(画像詳細は注3
 第17インド師団は、3月26日にマニプール鉄橋を爆破しつつ、無事にビシェンプール方面へ撤退しました。日本軍は追撃し、戦車第14連隊第5中隊も独立工兵第4連隊に配属されて、本道を進みます。4月20日から25日には、日本軍は、第3銃騎兵連隊のM3中戦車やグルカ兵4個中隊との激戦の末にニンソウコン(インパールまで37km)を占領。5月1日には、ニンソウコンの北隣ポッサンバンにまで進出しています。このニンソウコン一帯が、以後の戦車第14連隊の主戦場になる地区です。
 5月初め、第5中隊は再建されて、95式軽戦車3両と97式軽装甲車2両となっていました。より高性能な英軍戦車に対抗するため、戦車の一部はダグインしてトーチカ化しています。この戦術はある程度有効で、5月7日にイギリス軍の逆襲があった際には、待ち伏せ射撃で中戦車1両を擱座、撃退しました。ただし、この日の戦闘で日本側も多くの人員を失っています。(後編に続く

注記
1 日本側記録によると、戦車第14連隊第5中隊は23日にトンザン到着、24日夜に攻撃実施。これに対し、英軍側記録では22日夜となっているようである(アレン・中11頁)。

2 毎日新聞社の保有写真に、1944年撮影のトンザンで出撃前に水杯を交わす戦車兵(ID:P20000826dd1dd5phj319000)というのがある。場所からするとこの戦闘のように思えるが、背後に移っている戦車は97式中戦車系(1式砲戦車?)であることからすると、無関係の写真と判断。水を注いでるのは上田信夫連隊長?

3 インパール作戦で英軍に鹵獲され、マウントバッテン卿の視察を受ける97式軽装甲車。97式中戦車と並べられており、おそらく戦車第14連隊第5中隊の保有車両だが、トンザン戦より後の時期に鹵獲されたものと思われる。砲塔に「はるな」のマーキング。
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