山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
    --:-- | Top  このエントリーをはてなブックマークに追加

鋼棺戦史(第4部 ビルマの落日・第1章・後編)

1.方面軍に唯一つ(承前)

 5月11日、戦車第14連隊に転進命令が下ります。山本支隊を離れ、第33師団主力に配属、ティディム道(インパール南道)より進撃せよ。
 しかし、言うは易し、実際の転進は極めて困難でした。戦車隊は、パレル手前から逆戻りしてカレンミョーを経由、3000m級のケネディ・ピークを越え、ビシェンプールを目指して550km以上もの長距離を自走しなければならないのです(注1)。しかも、5月に雨期を迎えインパール南方は一面の湿地帯となっていました。緬甸方面軍野戦自動車廠の装軌車移動修理班がティディムに進出して整備にあたりましたが、焼け石に水で、故障脱落する車両が相次ぎます。例えば、期待の砲戦車小隊は、隊長車のチハがトンザン付近で故障し、修理の間にマニプール川が増水して渡河追及不能となってしまいました。この転進で、連隊の保有車両の約半数が戦うことなく失われたものと思われます。

 さらに悪いことに、イギリス軍の妨害も重なります。第17インド師団の第48インド歩兵旅団が、インパール南方のログタク湖東岸を回り込んで、5月16日にチュラチャンプール=モイラン間を寸断したのです(注2)。日本軍は付近に兵站部隊しかなく、補給トラックで強行突破しようとしたり、通りがかった転進中の歩兵を逐次投入して撃破しようとしたりしますが、いずれも大損害を出して失敗してしまいました。
PIAT.jpg そんなところへ戦車第14連隊主力が差し掛かれば、当然ながら道路解放作戦に投入されることになります。さっそく17日には、トルブンに陣取ったイギリス軍歩兵に対し、おそらく95式軽戦車と思われる日本戦車が攻撃を仕掛けました。第7グルカ歩兵連隊第1大隊B中隊の兵士ガンジュ・ラマ(Ganju Lama)は、中隊の後退を援護するために携帯対戦車火器PIAT(左は参考画像)で日本戦車に立ち向かい、2両を撃破するという名にし負うグルカ兵らしい活躍を見せます(注3)。イギリス軍は、この戦闘で計3両の日本戦車を破壊したと主張しているようです。
 25日未明には、新たに到着した鹵獲M3軽戦車1両・97式中戦車改4両が、トルブン北方のインパール32マイル道標所在のイギリス軍めがけて出撃。ところが、すでにイギリス軍は撤退に移っており、これは空振り。
 翌26日、さらに北のモイラン付近のイギリス軍を攻撃、今度は後衛方陣と戦闘となります。友軍歩兵を追い抜きつつ路上を突進した97式中戦車改は、またも対戦車地雷に引っかかり炎上。停止したところに集中砲火を浴び、後退できたのは4両中1両のみという大損害を受けてしまいます。第48インド旅団は追撃をかわしつつ北上し、5月30日にポッサンバム北方で師団主力に合流しました。

 途中で散々に消耗した戦車第14連隊主力は、6月3日にようやくニンソウコン(ニントウコン, Ningthoukhong)に到達します。トルブン突破戦の間に連隊長の交代が行われたため、新連隊長の井瀬清助大佐が部隊を率いていました。
 ニンソウコンやポッサンバムに展開していた諸部隊や、戦車連隊同様に転進してきた新着兵力を合わせ、井瀬支隊が編成されます。第33師団の指揮下ながら、第15師団から1個歩兵大隊、第54師団から1個歩兵大隊・1個砲兵中隊、独立工兵第4連隊など、外様部隊の寄せ集め状態でした。いずれの部隊も消耗した状態で、特に早くにニンソウコン北方ポッサンバムの最前線に出ていた独工第4連隊は、連隊長が戦死し、進出兵力240人中76人しか残っていません。主力と別動で先着していた戦車第14連隊第5中隊も、連隊主力が来た頃には戦力の多くを失っていました。支隊の掌握兵力500人前後、進出済みの戦車約10両といったところと思われます。
 井瀬支隊に与えられた当面の任務は、ビシェンプールへの突進でした。が、実情は、ニンソウコンを維持するのが精いっぱい。ニンソウコンは部落中央を東西にニンソウコン川(写真)が横切っているところ、その北半分の北ニンソウコンにもイギリス軍が食い込んでいる有様だったのです。
 6月6日夜、井瀬支隊は、道路西方を迂回してポッサンバムに第1回攻撃を開始しました。軽戦車3両も投入された諸兵科連合の作戦でしたが、仮設橋をなんとか渡河できた1両はイギリス戦車の餌食になってしまいます。2昼夜の激戦の末、日本軍は200人近い死傷者を出して敗れ、ポッサンバムの前哨拠点も失ってしまいました。もっとも、イギリス軍の損害も軽くはなく、ウェストヨークシャー連隊第1大隊が将校2名を含む50人を失っています。

 6月12日、井瀬支隊の第2回攻撃が実施されます。可動状態の97式中戦車改7両のうち4両(ただし1両は実際には不出撃)を投入し、野戦重砲兵第18連隊(実数1門)など全砲兵力も使った支隊最大の攻撃でした(注4)。砲兵の直前射撃に続いて走り出した3両の戦車は、泥土に足を取られつつ、北ニンソウコンの敵陣を目指します。
Burma: The Turning Point 突破されかかったイギリス軍は、第7グルカ兵連隊第1大隊のB・D中隊を救援に送ります。その中に、トルブン戦で活躍したグルカ兵ガンジュ・ラマの姿もありました。ガンジュ・ラマは、PIATを抱えて約30mまで忍び寄ると、日本戦車の側面に弾丸を発射します。日本の歩兵士官は、頼みの友軍戦車に黄色いような赤いような光の玉が当たるや、たちまち炎上するのを目にしました。ガンジュ・ラマは機銃弾を浴びて負傷しながらも、さらに1両の戦車をPIATで撃破してしまいます。ガンジュ・ラマは意識が薄れゆくなかで、手榴弾を投げ続けました(注3)。
 残る3両目の戦車は迂回突破を図りますが、完全に沼地にはまってしまいました。あきらめた乗員が脱出するや、対戦車砲弾か戦闘機の機関砲が車体を貫き、車体は炎に包まれます。第2回攻撃もあえなく頓挫したのです。(画像は書籍表紙。ニンソウコンで撃破されたらしき97式中戦車改が写っている。リンク先のAmazonに大判画像)

 以後、井瀬支隊に攻勢を続ける戦力は残っていませんでした。新たな第33師団命令に従い、南ニンソウコンの死守にあたります。残存する戦車の多くはダグインしてトーチカ化されました。連日の空襲と砲撃で支隊の戦力は消耗し、指揮下歩兵大隊の1個は転進、もう1個は士官が全滅して曹長が指揮を執っていたようです。
 7月3日、ついに日本軍はインパール作戦の中止を決定します。井瀬支隊は、第33師団の退却を援護するため、引き続きニンソウコンを死守するよう命じられます。最も厳しい殿軍を務めることになったのでした。7日には、M4中戦車を先頭にしたイギリス軍地上部隊が、南ニンソウコンに侵入を始めます。兵力150人程度にまで落ち込んだ井瀬支隊は、戦車を次々と破壊されながらも、かろうじて踏みとどまっていました。
 7月14日、戦車第14連隊本部が砲弾の直撃を受け、井瀬連隊長が戦死。連隊長戦死を報告する電話が、15日未明に第33師団司令部へ繋がった時、司令部職員が告げたのは、ニンソウコンからの撤退命令はすでに前日に出ているとの言葉でした。なんと皮肉なタイミング。
 こうしてインパール作戦における戦車第14連隊の戦いは終わったのです。ニンソウコンを去る際に、材料廠の95式軽戦車1両を除き、すべての展開戦車は破壊放棄されました。高木俊朗の小説のタイトルにもあるとおり、戦車連隊は「全滅」したのでした。
 最後の戦場ニンソウコンの戦いは、イギリスでは意外に知名度が高いようです。イギリス軍人最高の栄誉であるヴィクトリア十字章は、第二次世界大戦中に182個が授与されたのですが、そのうちの3つもがニンソウコンの局地戦に関係しているためです。受章者の一人は、戦車第14連隊を大いに苦しめたグルカ兵ガンジュ・ラマ(気絶後に収容され生存)でした。敵方に多数の英雄が生まれたということは、日本軍の勇戦の証でもあるといえば、せめてもの慰めとなるでしょうか。(この章終わり

注記
1 こうした悪路での行動では、鹵獲M3軽戦車が最も優秀だったようです。前年の第1次アキャブ作戦に参加した第2中隊では、97式中戦車改<95式軽戦車<M3軽戦車の順に山地踏破能力が大きいと評価しています。あまりに軽快で予想外だったとのこと。

2 英軍側の狙いとしては、第63インド旅団をビシェンプールからティディム道西側を南下させ、東方へ迂回した第48インド旅団とで第33師団を包囲殲滅したかったようです。しかし、ポッサンバム西方での日本軍の抵抗が激しく、第63インド旅団が阻止されてしまい、第48インド旅団も孤立を避けて退却することになりました。

3 “Ganju Lama, VC”(Times Online, 2000年7月3日)
  “Obituary:Ganju Lama VC - Two medals for bravery in the space of a month
   (The Guardian, 2000年7月20日)

4 連隊史によると、同日、第1中隊の中戦車2両が出撃しイギリス軍戦車と交戦して失われたとしています。日付の誤りとも思われますが不明です。
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://yamanekobunko.blog52.fc2.com/tb.php/300-b944a6b5
プロフィール

山猫男爵

Author:山猫男爵
ここは「塹壕文庫」「山猫文庫第二壕」に続いて三代目のブログになります。
連絡したいことがある方は、記事のコメント欄か、サイドバー下方のメールフォーム、あるいはツイッターから、お気軽にどうぞ。
Twitter:baron_yamaneko

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
参加企画
にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ
にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
リンク
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール(不要ならそのまま):
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。