山猫文庫第3版

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海防艦第二〇五号海戦記―知られざる船団護衛の死闘

江口晋「海防艦第二〇五号戦記」
          (光人社NF文庫、2007年)

海防艦第二〇五号海戦記―知られざる船団護衛の死闘 (光人社NF文庫)総合評価:★★★★☆
 太平洋戦争中に海防艦へ乗艦した一水兵の回想。「回想 海防艦第二〇五号」(東京経済、1994年)の改題。
 1944年、日本海軍舞鶴海兵団に入隊した筆者が、訓練の後に配属されたのは丙型海防艦第205号であった。すでに敗色濃厚な中、海防艦は日本の生命線たるシーレーン防衛を担い、潜水艦や爆撃機に立ち向かう。機雷術練習を受けた筆者も、艦の主兵装たる爆雷員として懸命に戦った。しかし、戦局は悪化の一途で、ついには北海道の室蘭港にいてさえ、敵戦艦の艦砲射撃にさらされるのであった。
 1945年、ついに敗戦。からくも生き残った海防艦第205号は、特別輸送艦として復員輸送に従事する。12月、筆者は待ちに待った召集解除を迎え、故郷の新潟へと帰りつく。
 海防艦第205号は、量産型船団護衛艦である丙型海防艦の1隻として新潟鉄工所で建造された艦です。その艦歴は、艦種の性質上、大規模な海戦には参加せず、船団護衛に終始しています。終戦後は復員輸送任務を経て、中国へ賠償艦として譲渡。
 しかし、地味な任務ながら、割合に著名な場面に顔を出しています。モタ29船団・ヒ87船団を護衛した最初の出撃では、高雄と香港でアメリカの第38任務部隊の空襲(いわゆるハルゼー台風)に遭遇。帰路には、南号作戦のヒ88A船団としてタンカー「せりあ丸」を護衛し、奇跡的に輸送を成功させました。北方に転戦しては、室蘭で3度目の機動部隊空襲に遭遇するも小破で済み、「ミズーリ」以下戦艦6隻の艦砲射撃にも生き残ります。終戦前日には、秋田県の八橋油田が空襲で炎上するのを茫然と見つめました。
 艦の行動についての本書の記述は、筆者の記憶だけでなく、海防艦顕彰会「海防艦戦記」(海防艦顕彰会、1982年)や同僚からの聞き取りも参考にして書かれており、信頼性は高いと思われます。

 著者は、海軍に志願して舞鶴海兵団入隊後、爆雷操作要員として対潜学校の機雷術練習生、舞鶴防備隊での短期間の待機(名目は敷設艇「鷲崎」乗員)を経て、第205号海防艦に乗り組んだ水兵です。配置は第2分隊爆雷員。
 回想内容として、陸戦・手旗・漕艇といった海兵団での基本教育、食事やバッター制裁の話といったあたりはありふれていますが、対潜学校(ただし舞鶴防備隊での代用教育)のことは珍しい気がします。また、海防艦第205号が最終艤装中の段階での配属のため、実戦前に対潜訓練隊で過ごすなどのオープニングスタッフの活動もわずかに伺うことができます。
 戦闘配置では、対潜戦ではもちろん爆雷投射を担当したほか、対空戦では主砲である高角砲の揚弾を務めています。対空戦の際に、持ち場を離れて機銃の弾薬運びをするなど自由な動きをしているのが、小型艦の気ままさなのか、ちょっと面白いと感じました。

 本書には、終戦後の出来事、特別輸送艦としての引き揚げ輸送のことも触れられています。復員輸送は、ミンダナオ島ダバオとルソン島マニラへ1往復ずつ。ダバオ行きの際には、着の身着のままの民間人を収容し、彼らから軍に物資を奪われたとの苦情をぶつけられる体験をしたそうです。

総合評価:★★★★☆(全体に記述はあっさりとしているが、海防艦のサンプルとしてまずまず)
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