山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

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鋼棺戦史(第4部 ビルマの落日・第3章・後編)

3.先遣隊の槍は砕けて(承前)

 吉田先遣隊は、バセイン北東のヘンダサを出発して北東に進み、ラングーン=プローム街道に出て一旦は南下した後、ラングーン=マンダレー街道をとって再北上しました。先遣隊の先頭部隊は、4月1日にトングーへ到達し、10日頃まで反乱を起こしたビルマ国軍を掃討するなどの治安戦闘を行っています。
burma_map2.png 諸兵科連合部隊が行軍する場合、装甲戦力は部隊の先鋒として先頭に立つことになりそうですが、吉田先遣隊の装甲戦力である騎兵第55連隊第3中隊の場合は違いました。同中隊は、先遣隊の他の部隊よりも大きく後れ、4月10日頃にようやくラングーンとトングーの間のニャウンレビンNyaunglebinに到達したところだったようです。おそらく装備車両の状態が悪く、連続走行が難しかったのだろうと思われます。なお、中隊員の回想によると、同中隊のうち1個小隊は吉田先遣隊に加わらず騎兵連隊主力と行動を共にしていたそうですが(注1)、騎兵連隊主力を基幹とする神威部隊についての資料では確認することができていません。
 騎兵第55連隊第3中隊はニャウンレビンに数日滞在して、車両の整備と、治安警備を実行しています。反乱ビルマ国軍の司令官であるアウンサン将軍が付近を逃亡中との情報があり、街道上に戦車を出して検問を敷いたりしていました。

 4月9日、イギリス軍は、日本の第33軍部隊が防衛中のピヨベPyawbwe(メイクテーラとピンマナPyinmanaの間)を迂回して、ピヨベとピンマナの間でラングーン街道を遮断してしまいました。この緊急事態を知った吉田先遣隊は、翌10日夜、トングーを発してピンマナ防衛へと向かいます。そして、12日、ピンマナ北方のシンテ川(シッタン川支流の一)に展開しました。
 4月14日、戦車隊を先頭にしたイギリス軍第5インド師団が、シンテ川防衛線に襲いかかります。守備するのは、吉田先遣隊主力のほか、ピヨベから後退してきた第33軍の残党ですが、名目上は第18・第49・第53師団の3個師団を誇っても、実力は合計で5000人以下でした。吉田先遣隊も、装備火砲の一部は戦車隊と同じく落伍してしまっていたようです。頼みのシンテ川も乾季のため水量が少なく、地形障害になりませんでした。日本軍はたちまち劣勢になります。

 先遣隊主力の苦戦を知ったのか、騎兵第55連隊第3中隊長の矢沢大尉は、4月16日、出撃可能な軽戦車2両「あかつき」「あけぼの」と段列のトラック1両、人員20人弱だけを直率して、ニャウンレビンを出発しました。その他の装甲車両は整備未了のため、2個小隊を後藤中尉に指揮させて残置しています。とりあえず出撃した2両も万全の状態ではなく、「あけぼの」はすぐに不具合が発生して引き返し、後藤中尉の乗車の部品をもらっての共食い整備で隊列に復帰するような有様でした。
 4月17日にトングーに到着した矢沢隊は、夜間走行での前進に切替え、18日夜にピンマナ南方8kmの地点に到達しています。この間、もう1両整備が完了した軽戦車「龍」を西少尉が指揮してニャウンレビンから後を追い、18日にトングーに着いています。

 4月19日未明、ピンマナ南方8kmの小部落で待機中の矢沢中隊長らに、西少尉の「龍」が合流。
騎兵第55連隊対第116機甲連隊_ピンマナ1945年4月19日 朝食を食べたり、ビルマ人の老婦人が売りに来た餅を買い食いしたりしつつ警戒していると、午前10時半ころ、街道をピンマナ方向から友軍の歩兵やトラックの一団があわてた様子で敗走してきました。呼びとめて事情を聴くと、イギリス軍の機甲部隊が北西方向からすぐそこまで南下してきていると言います。矢沢中隊長は、ただちに迎撃態勢を敷くよう命じました。中隊は、街道東側の車道より一段低い牛車道に、「あかつき」(中隊長車)・「あけぼの」・「龍」の順に95式軽戦車を潜ませ、車道を盾に砲塔射撃の構えをとります。敵戦車に対して絶望的な性能差であることは認識した中での、精一杯の策でした。段列のトラックはやや後方に離れて潜み、数名の段列要員は騎兵銃を手にとってささやかな随伴歩兵となっています。なお、段列員らは、戦闘を予期して、午前の待機時間中に昼食用の握り飯を作り、トラックに用意していました。
 まもなく、覚悟を決めた矢沢隊の前に、北西方向から路外の平原をイギリス軍の機甲部隊が姿を現します。これは、第255インド戦車旅団に属する第116機甲連隊C中隊のM4シャーマン戦車隊と随伴歩兵でした。第116機甲連隊は、イギリス軍の先鋒部隊として第9ジャット歩兵連隊第3大隊やボンベイ擲弾兵大隊とともに、ピンマナ南方にあると見られた日本の第33軍司令部その他を狙って侵攻してきたのです。同日朝には、ピンマナ南西4kmに進出したばかりの第55師団司令部をそれと知らずに一撃しています。
 M4中戦車が300mの距離まで接近した時、日本側は号令一下、射撃を開始しました。37mm戦車砲弾は次々と目標の戦車に命中しましたが、黒煙を上げるだけで装甲にはじき返されてしまいます。M3軽戦車にすら歯が立たない非力な砲ですから、M4中戦車の前面装甲に無効なことは明白でした。逆にわずか12mmの95式軽戦車の装甲は、M4中戦車の75mm砲弾はおろか、12.7mm機銃にすら貫通されかねない代物です。イギリス側は、日本軍の3両の豆戦車Tanketteと交戦したと認識していたようで、そう思われても仕方のない性能差でした。
 英軍戦車も応戦を開始しますが、地形が日本側に有利だったこともあってか、なかなか命中しなかったようです。日本兵の記憶では、戦闘は30分近く続いたといいます(注2)。しかし、ついに一弾が2号車「あけぼの」の起動輪を粉砕し、擱座させました。生き残った乗員は車載重機を外して飛び出し、なおも歩兵として抵抗を続けます。ついで、隊長車「あかつき」も被弾し沈黙、しばらくすると車体から炎が上がり、爆発しました。矢沢大尉以下、1号車の乗員で脱出した者はありませんでした。
 唯一健在の3号車「龍」が陣地転換のため後退すると、イギリス軍戦車は接近して、擱座放棄状態の「あけぼの」にとどめを刺し炎上させました。いよいよ日本側は全滅かと思われた時、どうしたことかイギリス軍戦車が撤収に移ります。日本の戦車兵は、随伴歩兵に損害を与えたためか、あるいは頑強な抵抗が多数の予備兵力を隠していると誤認させたのではないかと推測しています。もしかすると、日本側を全滅させたと誤認したのではないかという気もしますが、定かではありません。
 この戦闘による日本側の損害は、95式軽戦車2両損失と中隊長以下5人戦死でした(注1)。生き残った将兵は、段列のトラックに集まって握り飯を黙々と食べました。この日の午後も部隊は現地点にとどまりましたが、散発的な戦闘だけで済みました。なお、同日、ピンマナ南方の寺院にいた第33軍司令部は、第116機甲連隊に捕捉され蹂躙、本多軍司令官や辻参謀も命からがら逃げのびています。

 翌4月20日、シンテ川防衛線は崩壊し、ピンマナ市街にイギリス軍が侵入しました。同日午後、騎兵第55連隊第3中隊の生き残りも、街道上で南下してきたイギリス軍と出くわし、段列車が破壊炎上されてしまいます。おそらく生き残りの軽戦車「龍」も破壊されたものと思われます。
 その後の中隊の行動は、部隊史にも記載が乏しくよくわかりません。残置部隊が2個小隊はあったはずですが、状態の悪い車両が多かったことから、戦力として活用できないまま破壊放棄した戦車が多かったのではないでしょうか。残置部隊のいたニャウンレビンは、4月27日にイギリス軍部隊に突破されています。
 騎兵第55連隊主力を基幹とした神威部隊のほうは、アレンミョー付近での戦闘で重火器を全て失う大打撃を受けた後、ペグー山系を横断して師団主力と合流、第28軍の前衛として7月25日にシッタン川を渡河しました。渡河直前の7月23日に連隊長の杉本泰雄大佐が戦死しています。第3中隊も連隊主力と一緒に渡河した可能性が高いですが、はっきりとはしません。終戦時、第3中隊が後藤大尉の指揮下に残っていたことだけは確かです。
 終戦後、第55師団の諸部隊は仏印へ転進を続け、フランス軍の管理下に入りました。ベトナム独立派に対する治安戦闘に動員されるなどしつつ抑留生活を送り、翌1946年4月29日にサンジャックを出港。5月8日に広島に上陸し、翌日、連隊長の大谷少佐以下424人で復員完結しました(注3)。太平洋戦争における騎兵第55連隊の将兵のべ2067人中、生きて祖国の土を踏めた者は、中途帰還者を除くと約1/5だけということになります。(この章終わり

注記
1 「最後の騎兵隊」・454頁、前田繁義伍長の回想。

2 「最後の騎兵隊」・456頁、前田繁義伍長の回想。

3 「最後の騎兵隊」・83頁。
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