山猫文庫第3版

書評と軍事史関連のレポート、その他ニュースを見て感じたことなど日常のあれこれについて。 

最悪の戦場 独立小隊奮戦す

緩詰修二「最悪の戦場 独立小隊奮戦す―沈黙五十年、平成日本への遺書」
                 (光人社NF文庫、1999年)
総合評価:★★★★☆
 第53師団(安兵団)歩兵第119連隊(浅野連隊)機動砲小隊長を務めた著者が、晩年、自身の戦場経験を率直に書き残した個人戦記。1993年初版の単行本を、1999年に文庫化。
 太平洋戦争後期のビルマ戦線では、日本軍が、インパール作戦にも敗北して、優勢な連合軍の反撃を迎えていた。
 こうした中、ビルマに増援として到着した第53師団には、対戦車戦の切り札として新型の47mm機動速射砲が配備された。馬ではなく牽引車に運ばれる機動砲は、日本軍歩兵の中で異色の存在であった。百合少尉は、連隊本部直属として特設された機動砲小隊長に任命され、イギリス軍戦車部隊に対する待ち伏せ戦闘に身を投じていく。
 本文中では「百合少尉」「百合中尉」の三人称で通されていますが、著者の個人体験をもとに書かれた本です。緩詰をもじった仮名なのか、旧姓なのか、その辺の事情はわかりません。最後の場面の回想など多少小説風のところは見られますが、経歴もそのままなので事実関係は実体験そのままと考えてよさそうです。
 書かれている内容は、著者自身の体験した範囲の事象を中心に、同じ浅野連隊の第3大隊のことも触れられています。これは、著者が、機動砲小隊長となるまで第3大隊の大隊砲小隊にいたことと、戦場でも第3大隊に配属されることが多かったためのようです。何かというと「お公家さん部隊」と弱兵扱いされる京都兵団の「安」の立場から、その戦闘を細かく描いている資料として、参考になろうかと思います。
 時期的には、1943年末の第53師団動員から始まり、1944年4月頃からのマンダレー以北での対空挺部隊戦闘や第18師団(菊兵団)の撤退援護、1945年のイラワジ会戦及びメイクテーラ会戦(3月末)までを取り扱っています。メイクテーラ会戦後の敗走行が始まるところまでで終わっており、その後のトングーやピンマナでの戦闘は出てきません。そのため、ビルマ戦ものにしては華々しい戦闘が多く、それほど酷い飢餓状態でもありません。

 主役となる機動砲小隊は、建制外としてビルマ動員時に第53師団の各歩兵連隊に1個小隊(2門)ずつ特設されたものです。日本の通常の歩兵師団では、各歩兵連隊に37mm速射砲4門が対戦車砲として配備されていただけで、より強力な47mm機動砲が配備されることは珍しいです。「機動」とは自動車で高速牽引できることを意味します。なお、47mm機動砲は新型対戦車砲で切り札扱いとはいえ、連合軍の中戦車級には威力不足で、正面から打撃を与えることは難しかったようです。
 本書では、日本軍の対戦車砲部隊が活躍する珍しい場面が、対戦車砲兵の視点から描かれています。シングー付近での戦闘では、機動砲が空襲で破壊されたため代用装備の37mm速射砲で、戦車5両を撃破。本来の機動砲で挑んだメイクテーラ会戦でも数度の戦闘で計7両撃破を報じました。なかなか貫通しない砲弾を連射して、かろうじて擱座に追い込んでいく経過がよくわかります。

 全般には劣勢な戦況ながら、肉迫攻撃でないちゃんとした対戦車砲で戦果を上げる活躍が読めるのは、大戦後期を扱った日本軍陸戦記として珍しく、読み物として楽しむこともできると思います。

総合評価:★★★★☆
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